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【12】わたし達は姉妹

「この公園ね、家にいたくないときによく来たんだ」


 雨が降り続く。傘を片手に、わたしは人気のない公園の真ん中でお姉ちゃんに語りかける。


「落ち着く場所で、安心できる場所。なのに、辛い思い出でもあって。変だよね」


 わたし以外の人がここにいるところは、今まで見たことがない。それほど目につかない場所。


 きっとこの辺りが子供の少ない地域ということも関係あるのだろう。なんにせよ、わたしはひとりの空間に何度も助けられた。


 けれど、幸せで溢れた今、辛い思い出はよりわたしを蝕む。その辛さは、弱いまま変われなかったわたし自身。


 だから、今日はここにお姉ちゃんと来た。変わるために、もう目を背けないために。思い出を刻み直すために。


「……お姉ちゃん。お姉ちゃんは、誰なんですか」


 わたしから少し離れた場所で、いつものように優しい微笑みを浮かべるお姉ちゃんに問う。


 全部、全部を知るんだ。この夏がなんだったのか、わたしは今から知るんだ。


「……お姉ちゃんもね、よくこの公園に来たんだよ。ひとりきりで辛いときに」


「……」


「お母さんのいる家にはいたくないし、学校は息が詰っちゃいそうで。こういう人のいない静かな場所でね、よく休んでたの」


 お姉ちゃんの言葉は、わたしの体験をそのまま語るように聞こえた。


「……お姉ちゃんね、優のいない世界から来たの。優がいない代わりに、私がいる世界」


「わたしの、いない世界……?」


「そう、優は生まれなかった。生まれることができなかった。でも私は生まれた、そういう世界」


 どんなに突拍子のない内容であっても、受け入れるつもりでいた。


 ある日突然目の前に現れた、それだけで十分、非現実的だった。だからどんなに非現実的な話だって、信じるつもりでいた。


 それに、お姉ちゃんはいつも本当のことを言ってくれると信じていた。


 けれど、いざ聞いてしまうと。


 どうにも現実味が無かった。






 今日と同じように、雨の降り続く日だったらしい。


 その日はずっと胸の中で何かが騒いで、耳には微かに、助けを求めるような声がして。


 その声は、聞いたことのない声なのに、どこか知っているような声。近くにいるような、近くにいたような、そんな声。


 耳から消えないままに、一日を過ごして、布団に入って。


 気が付いたとき、お姉ちゃんはわたしの家にいた。同じアパートの同じ部屋、同じ間取りに同じ家具。壁には、もう片付けたはずの制服。机においてあるノートには、見たことのない筆跡の“後藤 優”。


「……だからね、最初は、夢を見てるんだって思ってた」


 何も答えられなかった。きっとわたしだってそう思う。


「でもね、これはたぶん夢じゃないの。優は本当にいて、神様が出会わせてくれた。なんて」


「……」


「それにね、私を呼んでいた声は、優の声だった」


「わたしの……声」


 辛くて、痛くて、生き難くて。そんなわたしがどこかで願っていたのは、暖かくて優しい救いだった。そんな思いが、不思議なことにわたしに夢を見させて、お姉ちゃんに夢を見させた。そうなんだろうか。


「……想像したんだ。もしも生まれる筈だった私の姉妹や兄弟は、どんな子だったんだろうって」


 同じ。


「それがお兄ちゃんやお姉ちゃんなら、私は甘えちゃうな。なんて思ったり。それが下の子なら、せいいっぱい頼れるお姉ちゃんにならないと、って思ったり」


 同じ。


「そんなありえないこと考えて、辛いこと紛らわしてた」


 同じ。

 

 わたしと、同じだ。


「そしたらね、やっと会えたの。こっちの世界では、あなたが長女だから、優って名前もあなたのもの。でも、どこかの世界で、二人一緒に生まれてこられた世界があったら、私達は本当に姉妹になってたんだ」


「っ……」


「自慢の妹だよ、優」


 わたしは、傘を投げ捨てた。


 留められない、溢れ続ける涙を、せめて隠したかったから。


 すっかり強くなった雨は、わたしをあっという間に濡らしていく。髪に、顔に、大粒の雫が打ち付ける。


 ああ、ああ。何を言ったらいいんだろう。


 お姉ちゃんが会いに来られた理由、突拍子もないものだけど、そんなことはどうでもいいんだ。


 お姉ちゃんはわたしと同じ。一人で生きてきて、辛い思いもして、同じように苦しんだ。同じように耐えて、同じように逃げて。


 でもお姉ちゃんは、わたしと違って。


「優」


 わたしと違って、こんなにも優しい。


「優、泣かないでいいの、優」


 わたしと違って、こんなにも暖かくて強い。支えてくれて、褒めてくれて。


 同じように辛い人が、こんなにも助けてくれたってことが、何よりも心を締め付けた。


 だって、だって。お姉ちゃんだって、助けてほしかったはずなのに!


「……ごめんなさい。ごめんなさい」


「優、どうしたの」


「お姉ちゃんも、辛かったのに。大変だったのに。わたし、甘えっぱなしで、頼りっぱなしで、支えてもらってばっかりで」


「……ううん、違うよ優」


 お姉ちゃんも傘を手放して、またいつものように、わたしを強く抱きしめる。ぎゅっと、強く。


 雨に打たれて、それでもまだ女の子らしい花の香りがする。それはわたしからも同じように香っているのだと、今気付いた。


「お姉ちゃんは、優に助けられたよ。優に出会えたあの日。あの雨の日。私も助けられたよ」


「……わたしは、なにも、なにも」


「優のおかげで、お姉ちゃん幸せになれたよ。ありがとう、ありがとう優」


「……ありがとう、お姉ちゃん」


 お姉ちゃんの温もりは、いつものように温かい。雨の冷たささえ、今は感じない。


 ああ、このまま。このまま。











 バスタオルで拭いたぼさぼさの頭のまま、あたたかい紅茶を口に含む。ゆっくりの喉へ運んで、広がる熱をじっくりと感じる。そうすると、ずっとあたたかく思える。


 あれからわたしは泣き腫らして、お姉ちゃんがむりやり家まで手を引いた。帰る最中、いくら悲しくても風邪ひいては駄目だと口を酸っぱくして言ってくれていた。


 ちゃぶだいを前に、わたしとお姉ちゃんは寄り添うようにして座る。


 お姉ちゃんの髪も水分を含んで、毛先が別れて艶がかかっている。雨に濡れたお姉ちゃん、正直、すごく綺麗だ。


「優、落ち着いた?」


「……うん。そこそこ」


「よかった。もう、優は本当に優しいんだから」


「優しい……?」


「うん、優しい。優しいよ。お姉ちゃんのこと思って、泣いてくれたんだもん」


「……だって、それは」


 わたしが泣いたのは、どうしてなんだろうか。


 お姉ちゃんがわたしと同じような思いをしていた。それにも関わらず、わたしをこんなにも支えてくれた。


 申し訳ないって気持ちだろうか。同情したのだろうか。分からない、分からない。


 ただ胸の奥と指先が、きつくきつく締め付けられて、どうしようもなくなったんだ。


「優が泣いたのは、人の気持ちがわかるからだよ」


「……」


「辛い思いしたぶん、人の辛さを分かってあげられる。だから優は、これからもっともっと優しくて素敵な人になれる」


「……お姉ちゃんに、そのまま返すね」


「ふふ、ありがとう」


 確かにそうだ。手に取るように分かった、そんな気がした。


 それを実践しているのは、間違いなくお姉ちゃん自身だ。だからわたしのこと分かってくれて、受け入れて褒めてくれたんだ。


 すごいなぁ。お姉ちゃんは、ほんとうにすごい。


「お姉ちゃんは、どうやってそんなに強くなったの?」


「あ、強く見える?」


「えっ?」


 お姉ちゃんは、ちょっと嬉しそうに笑ってみせた。

 

「ふふふ、秘密」


「……そっか、秘密かぁ。あはは」


 お姉ちゃんに出会えて、良かった。


 お姉ちゃんが行ったとおり、きっとここではない違う場所で、お姉ちゃんとわたしは普通の姉妹として暮らしてるんだろう。


 もしかしたら、他にも兄弟姉妹がいるかも。そしたら賑やかだけど、お姉ちゃんがみんなにとられちゃうのは嫌だなぁ。


 この夏は、そんな夢を、少しだけ味わわせてくれているんだ。そんな奇跡をくれたのは、誰なんだろう。たくさんのありがとうを言わなくちゃ。









「ねぇねぇ、お姉ちゃん」


「どうしたの?」


「わたしも、お姉ちゃんみたいになれるかな」


「……なれるよ、私なんかよりずっと素敵な人になれる」


「でも、お姉ちゃんみたいな美人さんにはなれないかも」


「……もう、褒めても何も出ないのに」


 暗がりの中、表情はよく見えないけど、お姉ちゃんは照れ笑いを浮かべたように見えた。


 それから、布団の中、わたしに身体を寄せて。


 また優しい手つきで、わたしの頭を撫でる。


 大好き、大好き。弾けて、溢れて、零れてしまいそうなくらい大好き。


 大好き。大好きだよお姉ちゃん。




 ああ、もう、大丈夫。


 きっと、わたしは大丈夫。


 また一人でも、きっと、きっと歩いていける。


 そう、歩いていける。


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