【11】雨音
背中で、お姉ちゃんの柔らかさと、あたたかさと。心臓の音と、呼吸を感じる。不思議だ。お姉ちゃんはどう考えたって、普通の人間だ。
消えてしまうなんて、ありえない。でも、お姉ちゃんは急に現れた。それを、少しだけ疑って、でも受け入れたのは他でもないわたしだ。
わたしは少しずつ、受け入れる準備ができてきた。
きっとお姉ちゃんの正体だとか、秘密だとか、それはもう驚いてしまうものなんだろう。でも、お姉ちゃんの言葉は信じるし、お姉ちゃんの気持ちは信じられる。
お姉ちゃんがわたしを受け入れてくれるように、わたしだってお姉ちゃんを受け入れる。なにも変なことではない。
ずっと秘密を抱えたまま、それはきっと辛いことかもしれない。もしかしたら、辛くないことかもしれない。
ううん、それはどんなものでもいい。どんなものでも関係ないんだ。知るって決めたんだから、なんだって大丈夫。
一回、深く深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。お姉ちゃんの方を向いて、その眠ってる顔を覗いてみる。
お姉ちゃん、普段はわたしよりもずっと大人にも見える。でも、顔付きはまだ若い。
鼻の形は、似てるのかな。口の形も結構似てる。でも目はちょっと違うかな、お姉ちゃんはタレ目で、わ たしは普通な感じ。でも、まつげの長さは同じくらい。髪の毛はお姉ちゃんの方がサラサラ、でもちゃんとお手入れしたらわたしもサラサラになってきた。
姉妹なのは、本当のこと。それだけは絶対。そんなふうに思って、少しずつ意識は夢へと溶けていった。
朝ごはんの食器を洗い終わって、ちゃぶだいに麦茶を運ぶ。
窓を、弱く雨が叩く。
あったかくて晴れた日はあったけれど、やっぱり雨の日も多い。今日はどうしようかな、ずっと家にいるのだって幸せではあるけれども。
「お姉ちゃん、今日はどうしよっか」
「うーん、どうしよっか」
「雨、止まなそうだよね」
「また、お家でゆっくりしてよっか」
頭の中に、ふっと浮かんだ疑問。それはわたしの目線を壁のカレンダー、もう長くはない8月のカレンダーに向けたあと。
お姉ちゃんにとある質問をぶつけた。
「お姉ちゃん、夏の終わりって、いつかな」
「……」
「……いつまで、いてくれる?」
お姉ちゃんはわたしのほうを向いた。ああ、また、少し悲しげな顔で。わたしを見てる。
「ごめんね、あんまりちゃんとは、分からないんだ」
「分からない、の?」
「うん……あのね、夏の終わりまでだっていうのも、誰かが教えてくれたわけじゃないの」
わたしに会った。わたしに会えるようになった。それからすぐに、無意識が告げてくるように。何故かは分からないけれど、分かる。
お姉ちゃんはそう語った。
いつものように溢れそうになる悲しさを飲み込んで。更に飲み込んで。わたしは気になっていることを問う。もしかしたら、飲み込めていなくて、わたしの声には涙が混ざってしまったかもしれない。
「じゃあ、急に……なんてこともあるのかな」
「うん、あるかも」
「……じゃあ、じゃあさ。ほら、荷物とか、ほら」
だめ。だめだ。やっぱり零れてしまう。
「お姉ちゃんの荷物、とか。まとめておいた方が、いいのかなぁ……あと、お土産、とか」
いつまでも泣いてはいられないんだ。だからもう、受け入れないといけない。心で決めたのに。
わたしは苦しくなって、下を向いてしまった。呼吸を整えて、整えて。大丈夫。もう受け入れて。
頭の上にお姉ちゃんの手の温もりが乗った。そしたら、お姉ちゃんはぐいとわたしの肩を抱き寄せる。お姉ちゃんの胸元に顔を沈め、その優しい花の香りさえ、今は悲しいもの。
「うん、そうだね。いつでも平気なように、荷物まとめないとね」
「……うん」
「お土産かぁ、何持っていこうかな。お花に旅行のお土産に、ああ、もっと写真撮ればよかったなぁ」
「……うん」
「……ありがとう」
ありがとう。その言葉は、わたしの中の何かを断ち切った。ありがとう、ありがとう、ありがとう。この言葉は、わたしが一番伝えないといけないのに。
喉が詰まるようで、喋れない。
ありがとう、ありがとうお姉ちゃん。ありがとう。別れたくない、一緒にいたい。そう思わせてくれてありがとう。
大丈夫、これで大丈夫。本当は辛い。受け入れたくない。そうは言っていられない。
いつまでも、本音だけで生きてはいけない。
「……お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「なぁに?」
「このあと、行きたいところがあるから……一緒に、来てほしい」
「うん、わかった」
「そこで、お姉ちゃんの、ぜんぶをおしえて」
「……うん、うん。わかった。全部教える、全部」
お姉ちゃんは更に強くわたしを抱きしめる。何度も何度も、夏の間に味わった心地よさ。あたたかさに包まれて、心から溶け出しそうなこの心地よさ。もう十分、味わった。
わたしは聞くんだ。全部、全部聞くんだ。お姉ちゃんの辛さは、わたしも一緒に抱える。どんなことでも平気。一緒に背負うから。
お姉ちゃんは誰で、どこから来て、どうやって来て。
どうして、来たのか。




