【7】咲いた残り火
少しぎこちなく、川沿いの道を歩いていく。
ぼんやりとした街灯よりも、お姉ちゃんの手が道標。
お姉ちゃんは白色の生地にピンク色の花がたくさん描かれた浴衣に身を包んで。黒髪を結びあげたその横顔も相まって、見とれてしまうほどに綺麗。
それに比べてわたしはどうだろう。お姉ちゃんと同じような柄だけれど、花の色は紫色だ。水をたっぷり含んだ水彩絵の具で描いたような、小さい花びらのお花。可愛らしいけれど、わたしが着るには少し可愛すぎる気もした。
花火会場へ向かう途中、プレゼントと言ってお姉ちゃんはわたしととあるお店へと手を引いた。
そこは浴衣を借りることができるお店で、お姉ちゃんは店員さんと相談を重ねて、重ねて、重ねた末に二人は今この浴衣をまとっている。
この相談というのが、なんともお姉ちゃんらしくて。正直、もっと人目をはばかって欲しいと思ってしまった。わたしの方を見ながら、お姉ちゃんはわたしをめためたに褒めた。
この子の美人な顔立ちに似合うもの、だけれど可愛さも欲しい。はじめての花火大会が彩られるようなもの、だけれど派手すぎないように。あと、姉妹お揃いのもの。
お姉ちゃんが、優はどんなのがいい? だなんて聞いてくるから、お姉ちゃんが選んでいいよ、なんて答えた結果だ。
店員さんもにこにこと笑って、お姉ちゃんとの相談に花を咲かせてしまう。横にあった姿見を見やってみたら、耳の先の先まで紅くなったわたしがいた。
会場の近くは、すでにたくさんの人でいっぱいだ。出店もあるようで、ぼんやりと光る文字が暗闇に浮かんでいる。
手をひかれるままに、川の近く。階段のように続く土手の上の方に、二人ならんで腰掛ける。
「優、似合ってるよ、すごくすごく似合ってる。優は浴衣が似合うなぁ、和風美人さんだなぁ」
「えっ、いや、そんなことは」
急に褒めてくるのだから、取り乱してしまう。顔を隠すように両頬に手を当てる。すこしあたたかい、また紅くなってしまう。
「優、なにか食べもの買ってくる?お金はお姉ちゃんが出すから」
「えっ、悪いよお姉ちゃん。自分で買うから、平気だから」
「んー、こういうときは甘えていいの。それじゃあ、お姉ちゃんの分もお願いするから、優の分はそのお駄賃」
お姉ちゃんは巾着袋からお財布を取り出して、わたしに差し出す。わたしは少し申し訳なく思ったけれど、受け取る。
「お姉ちゃんは、りんご飴にたいやき、あとベビーカステラがいいな。よろしくね、優」
人があふれる道を、小さな不安と一緒に歩いていく。
知らない土地、ずっとお姉ちゃんと歩いていたから気付かなかったけど。すごく苦手だ。
お姉ちゃんのお財布は可愛らしい和柄が描かれている。これはたしか、麻の葉模様。お財布をぎゅうと握りしめたら、遠くに見えたりんご飴の出店へと足を早める。そのすぐ近くにはベビーカステラ。たいやきはもっと先のほうかな。
列に並んで、あたたかい質素な明かりに照らされるりんご飴を眺める。まんまるとして、赤いからだが艶めいて光る。どんな味かなぁ、食べたことないけれど、そのかわいい姿には目を奪われる。
そうだ、わたしもりんご飴を買おう。買うなら初めて食べるものがいい。ベビーカステラも、多めに買ってお姉ちゃんと分け合おう。たいやきは、違う味を選んではんぶんこ。
ほんのすこし浮かんでしまった笑みを隠して
「り、りんご飴。ふたつ、お願いします」
もうすぐ花火大会が始まるとの放送がかかった。
お姉ちゃんのとなりでりんご飴を齧って、甘くてぽりぽりとした飴と、みずみずしいけどちょっとぬるいりんごを噛みしめる。食べにくいけれど、なんだかシンプルな味で好きだ。
ここで、お姉ちゃんとわたしの間においた紙袋からベビーカステラをひとつとって口に運ぶ。ふわふわとして、甘さはほんのり控えめ。これも好き。
お姉ちゃん、やっぱり甘いものが好きなんだ。でも、駅のカフェで飲んだウィンナーコーヒーはクリーム以外は苦かった。お姉ちゃん、クリーム目当てで飲んでるのかな。
いろいろと思いが膨らんだ。その瞬間。
「優、来たよ!」
お姉ちゃんに言われて顔を夜空に向ける。どん、と空気の揺れる音にすこしびっくりしたと思ったら、一筋の黄色い光が昇る。
昇って、昇って。
ぱぁぁっ。
花火が、大きく咲いた。
輝いて。きらきらして。大きなお花の形に、ぱぁっと咲いた花火。いつの間にか、夜空の藍に溶けていった。
瞬きすら忘れたまま、次に次にと上がる花火。上の方の空で咲いては溶けてしまう。けれどすぐにまた、光が昇っていく。
それは白。黄色。緑色。水色に、ピンク色。
光って消えて、光って消えて。
それは花の形。ハートの形。柳のように垂れ下がっていたり、滝のように一面染めたり。
小さな黄色い花火が散ったところで、やっと瞬きをした。あまり目が乾いていなかったのは、いつの間にか涙が溢れそうになっていたから。
「優、綺麗だね。本当に、すごく綺麗」
花火を見上げながらつぶやくお姉ちゃんの横顔。
花火が光るたびに、暗闇に包まれたお姉ちゃんの顔が明るく照らされる。
そして、花火が散るとお姉ちゃんの顔がまた暗闇へと。
見惚れていたと言ってもいい。
「……うん、綺麗。綺麗」
ついに流れていく涙をそのままに、花火を見ていた。夜に咲く花。けれどその短い一瞬は、残り火にようにも思えた。消えていく花の、最後の輝き。
どん、どん、と空気を揺らす花火の音は、聞こえていないようにさえ思えた。
昇って、咲いて、溶けて。
昇って、咲いて、溶けて。
昇って、咲いて、溶けて。
お姉ちゃんがわたしに告げたのは、帰り道だった。
暗がりに、お姉ちゃんはわたしの方をじぃっと見て。それから。
「お姉ちゃんはね、優とずっと一緒にはいられないの」
いつもみたいに優しい声。あたたかい声。お姉ちゃんの声。
そっとわたしの耳を撫でたけれど、それからの内容は覚えていない。いや、聞けていない。
お姉ちゃんをぎゅっと抱きしめて、お姉ちゃんに抱きしめられて、ひとつの布団の中。
いつまでも眠れないわたしの心の中では、あの美しかった花火と、花火のように輝いて消えていくお姉ちゃんの情景が、いつまでも繰り返されていた。
もう涙が流れているのかさえも判らない。
お姉ちゃん、一緒にいてよお姉ちゃん。お姉ちゃん。
昇って、咲いて、消えて。
昇って、咲いて、消えて。
そう、いつまでも。




