37.鬼の子のトウマ
鬼の子の回復力は異常なほどだった。
腕を切り落とされて十日ほど経った今、まだ縫合痕は痛々しく残っているが、骨は接合し始めていた。指も元通り動いている。
「トウマ、そろそろ退院しようか?」
病室へ回診に来たショウタが、傷を消毒しながら鬼の子のトウマにそう声をかけた。するとトウマは少し顔をしかめる。痛みはもう殆どなく、消毒液がしみたわけではない。
トウマの父親が警察に逮捕されたのは、彼も知っていた。彼らは東の地方からやってきていて、まだ七歳のトウマ一人では母親のところへ帰ることはできない。そして、母親は妊娠中でありトウマを迎えに来ることもできそうになかった。
「でも、僕は行くところがない」
トウマはこの病院が大好きだった。医師のショウタは同じ鬼であり、トウマにとても優しい。他の医師も看護婦たちも、トウマが鬼だからと馬鹿にしたり恐れたりしない。
男ばかりの飯場育ちであるトウマにとって、病院食でさえとても美味しく感じていた。
病院なので怪我が治れば出ていかなければならないと知っているトウマだったが、もう少しだけ、この居心地の良い病院にいたいと思っていた。
「トウマの父親が帰ってくるまで、俺の家に来るか?」
ショウタはトウマを自分の家に来るように誘った。ショウタはトウマを尋常小学校へ通わせたいと思っているのだ。
尋常小学校は義務教育であり、人の子は六歳になれば入学することになっている。しかし、鬼は義務ではなく、殆どの鬼の子は尋常小学校へ通っていない。鬼の多くは建設や土木の肉体労働に従事しており、トウマのように幼い頃から父親を手伝っていて、学校へ通っていないのだ。
しかし、たとえ将来肉体労働に就くのであっても、勉強は決して無駄ではないとショウタは思う。そして、トウマを尋常小学校へ入学させるのならば、鬼を受け入れた実績のあるショウタの母校が最適と考えていた。
「本当か? ショウタ先生の家へ置いてくれるのか?」
トウマの顔が一気に明るくなる。期待に満ちた目でショウタを見上げてきた。
「俺の奥さんの許可をもらってくるからな。彼女は優しいから嫌とは言わないと思う」
新婚のショウタであるが、家はそれなりに広いし、ミノルもいるので妻のミホは拒否しないだろうと思っていた。
その夜、早速ショウタはミホに確認した。
「ミホ、ミノル。俺たちの結婚式の日に事件を起こした鬼は、拘置所に入っていて裁判を待っている状態なんだ。彼の息子のトウマが怪我をして中央病院に入院しているのだが、もう退院できるまで回復した。しかし、実家は東の方にあり、身重の母親は迎えに来ることもできない。だから、トウマをしばらくうちで面倒を見てやりたいのだが、許してくれるか?」
まだ七歳とはいえ、大人と一緒に生活をしていて、仕事も手伝っていたらしいトウマは、それほど手間はかからないはずだ。
病院でも世話のかからない優良な患者として皆に愛されていた。
「もちろんよ。家族が増えるようで楽しみだわ」
笑顔で応えるミホを、ショウタは嬉しそうに眺めている。
「そのトウマって子は幾つなの?」
ミノルも興味津々である。一緒に住むことになるので当然かもしれない。
「トウマは七歳だ。しかし、体格はミノルと変わらないな。力はずっと強いと思う」
「でも、歳は下だから、僕の弟分だな。それはとっても楽しみだ。いつ来るの?」
ミホと会うまで一人っ子として育ったミノルは、兄弟に憧れていた。歳の離れたミホは、姉というより母に近く、ショウタも義兄というより父親のように感じたいたミノルは、弟分のトウマと出会うのが楽しみで仕方がない。
「ミホさえ良かったら、明日にでも連れてくる」
「お部屋はミノルの隣でいいかしら。私が住んでいた部屋よ」
ミホは結婚後ショウタの部屋に移ったが、ミノルは新婚の姉夫婦に気遣って、そのままかつての書生部屋に住んでいた。
狭い部屋だが、子ども同士で近い方がいいのではないかとミホは思う。
「それがいいだろうな。それから、トウマを春から尋常小学校へ通わそうと思っているんだ」
「僕と同じところ?」
「ああ。あそこは俺の母校でもあるから、鬼に慣れているはずだ」
鬼の数は非常に少ない。そのため出会う機会がなく、知らないから鬼の力を恐れるのだ。ショウタはそれを肌で感じてきた。
尋常小学校へトウマを通わすことは、彼だけではなく他の児童にとっても、鬼と触れ合う機会を作ることになる。
「それなら、入学まで僕がトウマに勉強を教えてやるから」
ミノルは勉強が大好きだった。ショウタの書斎に入ることを許されている彼は、ショウタの中学や高校時代の教科書を読んでいるぐらいだ。
「ミノルが教えるのなら、勉強の心配はいらないな。それから、家の用事もミノルと同じように手伝わせてやってくれ。給金を渡してやりたいと思っているんだ。ミホより力持ちだから、役には立つと思う」
父親の仕事を手伝っていたらしいトウマなら、ミノルの手伝いもできるとショウタは思っている。
「任せておけ」
ミノルはその小さな胸を叩いた。
翌日の夕方、ショウタはトウマの手を引いて帰宅した。
「俺の妻のミホと、弟のミノルだ」
玄関へ迎えに来たミホとミノルを、ショウタはトウマに紹介した。
「始めまして、ミナカタトウマです。お世話になります」
トウマはぺこりと頭を下げる。
「可愛い! あの、私が妻のミホです。よろしくね。ねぇ、トウマ君、抱っこしていいかしら?」
トウマを一目見るなり、ミホは歓声を上げた。サラサラの黄色い髪の毛から、短い角が覗いている。大きな目は金色で、小さな口と少し赤い肌がとても可愛らしい。
ショウタが子どもの頃はこんな感じだったのだろうと思うと、ミホはトウマがとても愛おしい。
「世話になるから、まぁいいけど」
赤い肌をもっと赤くしてトウマは照れている。ミホは許可を得たので遠慮なくトウマを抱き上げた。
「本当に可愛いわね」
「ミホさんは柔らかい」
身重の母と離れて父と生活をしていたトウマは、ミホの柔らかさを感じて母を思い出す。そして、彼はミホの胸に顔を押し付けた。
「ちょっとひっつきすぎだと思うけどな」
ショウタは少し不満げにそんなことを言っている。
「七歳児に嫉妬するのはどうなのかな?」
呆れたように、ミノルがショウタを見上げていた。




