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31.フミの病室へ

 軽いノックの音がして、ケイト帝国大学附属病院の特別室のドアが開いた。入ってきたのはセイスケとショウタである。 

 フミのベッドの横に置かれた椅子には夫のカズマが座っていた。ベッドの向こうには、フミの長兄であるイチノスケと主治医のクボタが立っている。


 セイスケとショウタの姿を見たカズマは、勢いよく立ち上がり深々と頭を下げた。

「わざわざお出でいただきありがとうございます」

「カズマ君、頭を上げてくれ。私はフミの兄だから礼は必要ない。そして、私の子であるショウタはフミの甥だ。見舞いに来て当然だ。そうだろう? フミ」

 まだ五十歳になっていないというのに、随分と老けてしまったフミの顔をセイスケは覗き込んだ。思った以上に病状は重いと感じる。セイスケはフミにショウタの治療を願って欲しいと思っていた。


「フミさん、俺はセイスケさんの養子のショウタです。よろしくお願いいたします」

 ショウタを隠すように立っているセイスケの後ろから出て、ショウタはフミに挨拶をする。

「私はセイスケの妹のフミです」

 小さな声でフミはそう答えた。フミの記憶にある通り、ショウタは黄色い髪に二本の角、目は金色の異形である。フミが初めてショウタに会ったのは二十数年前。その時のショウタは小さな鬼の子であった。随分と大柄になってしまったけれど、間違えようがないとフミは思う。

 どのような顔をしてショウタに会えばいいのかわからず、フミは微妙な表情になってしまう。


「フミさん、俺に診察させてもらえないでしょうか? こんな俺を拾って育ててくれたお義父さんに恩返しをしたいんです。お願いします」

 ショウタがベッドの際まで行ってフミに頭を下げた。フミはとても驚く。

「あなたは私のことを覚えていないの?」

 フミはショウタを鬼であることで貶め、手まで上げたのだ。覚えていればたとえセイスケのためでも治療したいと申し出るはずはないとフミは思う。

 自身が子を持って初めて自分の所業の酷さを自覚したフミであったが、それを認めることができずに、ショウタが鬼であることは事実であり本当のことを言っただけだと自分に言い聞かせていた。


「フミさんのことは覚えています」

 それはショウタにとって辛い記憶である。大好きなセイスケの母と妹から向けられる悪意に、五歳のショウタは耐えられなかった。だから、セイスケの元を去ろうとしたのだ。

「それじゃ、なぜここへ来たの? 五歳のあなたにあんな酷いことを言って、あまっさえ手まで上げたのよ。怒って当然だわ」

「俺が鬼であることは事実だし、もっと酷いことを言われたことなど何度もあります。体は丈夫だから殴られても平気です。お願いです。俺に治療を任せてください」

 ショウタは再び頭を下げた。


「わかったわ。治療をお願いします」

 思案していたフミはためらいながら治療を願い出た。

「了承してくださって、ありがとうございます」

 ショウタは硬かった表情を和らげた。



 それから診察の準備が進められた。

 セイスケとショウタは真新しい白衣に袖を通し、消毒液で手を洗う。

 看護婦がフミの寝間着をはだけ腹部を露出した。


 この特別室には熟練の医師が三人揃っていた。その上に、若き異能の天才医師がいる。おそらくニッポンで一番の医療チームが組まれている。

「結腸部分に五箇所悪性腫瘍ができています。一部閉塞しかっているので、早期に切除をした方がいい」

「他に転移は?」

 フミの下腹部を目を凝らして見つめているショウタにクボタが問う。

 看護婦がフミの着ている寝間着の袖を腕から外すと、フミの体を隠すものは何もなくなった。

「大丈夫です。他に光っているところはありません」

 ショウタはゆっくりとフミの全身に目を向けて、安心したように答えた。


「本当にあれでわかっているのか?」

 イチノスケが横にいたセイスケに訊いた。こんなに安易に悪性の腫瘍がわかるのなら苦労はないと思う。

「悪性腫瘍はかなりエネルギーを消費するため、周囲より温度が高い。ショウタはその温度差を捉えているのではないかと思う。しかも臭いも嗅ぎ分けているらしい。とにかく、今まで誤診したことはないので、ショウタの診察は信頼できる」

 セイスケは間違いないと確信している。

「噂には聞いていたけれど、お前の養子はとんでもないな」

 イチノスケは呆れたように首を振った。

「ショウタの手術を見るともっと驚くぞ。鬼の力と速さがあるからこそ、あんな馬鹿げた手術ができる」

 ケイト帝国大学医学部を卒業して、セイスケが院長となったばかりのナルカ中央病院で勤務を始めたショウタの初手術に立ち会った際、そのあまりの鮮やかな手腕にセイスケは口を開けたまま見つめることしかできなかった。


「フミさん、本日午後に直腸の一部切除の手術をしたい。執刀医はサエキショウタ先生だ。よろしいかな」

 主治医のクボタが手術することを決め、フミに告げた。

「クボタ先生、ショウタ先生、よろしくお願いします」

 フミは頷く。

「ショウタ先生、妻のことを許してやってください。そして、助けてやってください」

 部屋の隅に移動していたフミの夫のカズマは、椅子から立ち上がってショウタに頭を下げた。

「全力を尽くします」

 フミはかなり弱っているように感じるショウタは、必ず助けると言うことができないことを歯がゆく思いながらそう答えた。



 研究室に戻ったクボタとショウタは、人体模型の結腸部分を指し示しながら、フミの患部と手術の手順を確認していた。


「これ、皆さんで食べてください。朝に並んで買ってきました」

 確認作業が済み、ショウタは二十個の豆大福をクボタに差し出した。十個は別包にしてもらってあり、ミホたちと食べるつもりだ。

「これはあの店の豆大福だな。私の大好物だ。ありがとう。ショウタもエネルギーをちゃんと補給してこい。午後から目一杯力を使うことになるから」

 クボタはショウタが力を使う時、かなりのエネルギーを消費することを知っていた。そして、食物で補給しなければならないことも。

「今から昼飯を食ってきます」

 ショウタは慌てて医局を後にした。



 特別室に残っていたセイスケは弱ったフミを見る。

 ショウタは言葉通り持てる全ての力を駆使してフミを助けようとするだろう。そして、その試みは成功するとセイスケは考えている。

 若いながらも寝る間も惜しんで治療にあたってきたショウタの手術数はかなり多い。その事例を鑑みるに、普通の医師にとっては困難な手術だが、フミの症状はショウタにとってそれほど難易度は高くない。


「医師として卓越した能力を持っているショウタにしか救えない命がある。フミもその中の一人だ。かつて、ショウタは患者の命を救うために倒れるまでメスを振るっていた。ショウタが休むということは、救える命を見捨てることになるから。本来なら院長の私がショウタの勤務管理をすべきだったのが、弱い私にはできなかった。だから、院長を退いてショウタと別に暮らしている」

 フミにはセイスケの苦悩がわかる気がした。

 本当ならば自分は死ぬような病気なのだろう。それが、ショウタには救うことができるから、セイスケはショウタをここに連れてきた。そのことをセイスケは悔やんでいるのかもしれないとフミは思う。


「セイスケ兄さん。本当にごめんなさい。そして、ショウタ先生を連れてきてくれてありがとう」

 フミは改めて生きたいと願った。自分のために。そして、セイスケに恩を返したいというショウタのためにも。 


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