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閑話:ウメが産まれた日の話

 三十歳を幾つか超えた医師のセイスケは、十歳になった養子のショウタを連れてクシナカの別荘へやって来ていた。

 海の幸を堪能するのが主な目的だが、無医村であるクシナカや近隣の村の住民のために医療器具や用品を持ち込み、最新鋭の蒸気エンジンを搭載した自動車で病人の家を往診にまわっている。


 彼の養子のショウタは鬼であり、真っ黄色の髪の毛と金色の虹彩、そして黄色と黒の縞模様になった二本の角をもっていた。しかし、力が強い彼は大きな往診鞄を軽々と運んでセイスケの手伝いをしているので、異形であるにも拘らずショウタは村の人々にはとても愛されていた。



 そんなある日の夕方、網元の長男の嫁ユリのところに村で唯一の産婆が呼ばれていた。ユリは第三子を妊娠しており産み月に入っている。しかし、昨日まで活発に動いていた胎児が急におとなしくなってしまい、ユリが心配になって産婆を呼んだのだ。

「まだ赤ちゃんが産道に下りてきていない。しかし、赤ちゃんの様子がおかしい。サエキ先生が別荘にいるはずだ。今すぐ呼んできておくれ」

 産婆は、長年の経験より胎児の状態が良くないと判断した。無医村のクシナカだが、今は医師のセイスケがいる。産婆は彼に胎児を託そうとしていた。



「サエキ先生! 若奥様のお子が大変なんだ! 網元の家まで来てほしい」  

 網元の家に勤めている使用人の若い男がセイスケの別荘に走ってきて、玄関の戸を勢いよく叩いていた。

 夕飯の鍋にするために自分で釣ったクエを捌こうとしていたセイスケは、慌てて玄関に走っていく。

「どうした?」

 使用人はセイスケが対応してくれたので、安心したように安堵のため息をした。

「若奥様の胎の子が動かなくなったらしい。産婆にサエキ先生を呼んでこいと言われたんだ。お願いです。来てください」

 

「わかった。今往診の用意をするから、帰ってそう伝えてくれ」

 使用人は嬉しそうに頷いた。このような田舎で医師の診察を受けることができる機会はめったにない。使用人は急いで走り去って行く。


 セイスケは帝王切開をする事態になるかもしれないと思い、急いで物品を取り揃えだした。大きな往診鞄に必要な品を詰めていくセイスケ。ショウタも手慣れた様子で手伝った。


「ショウタ。一緒についてきてくれ。お前がいれば赤ちゃんを助けることができるかもしれない」

 ショウタは目を凝らすと体の中を見ることができる。その衝撃的な事実をセイスケが知ったのはつい先日のことであった。

 ショウタの目があれば、胎児の様子が確認できると思ったセイスケは、ショウタを診察に伴うことにした。

「もちろん一緒に行くよ。僕は義父さんの手伝いをするから」

 大きな往診鞄を軽々と持ちながらショウタは頷く。



 網元の屋敷はとても立派である。よく手入れされている中庭には梅の花が咲き誇っていた。

 海に面した温暖な気候のクシナカでも、二月はさすがに寒い。白い息を吐きながら、セイスケとショウタは廊下を急ぐ。


 中庭に面した部屋にユリが寝かされていた。腹は破れそうなほど大きくなっている。

「どうだ? 胎の中の赤ちゃんが見えるか?」

 目を凝らして大きなユリの腹を見つめているショウタにセイスケが訊いた。

「うん、小さな赤ちゃんが見える。首に紐みたいなものが巻き付いているよ」

「一重か?」

「ううん、しっかりと二回巻き付いている」

 ショウタの答えを聞いて、セイスケの顔が曇る。

「赤ちゃんの心臓は動いているか?」

「動いている。でもとても弱い」

 セイスケとショウタの会話を、産婆もユリも、ユリの夫である網元の長男も聞いていた。


「へその緒が首に二周しているのかい?」

 産婆も事態の深刻さに頭を振った。

「赤ちゃんの首が締まって息ができないのか?」

 長男の顔は真っ青になっている。

「そ、そんな!」

 ユリは泣き出してしまった。


「臍帯巻絡といって、へその緒が赤ちゃんに巻き付いている症状だ。胎児は羊水の中に浮いていて口で息をしているわけではないので、首が締まって息ができないことはない。臍帯が絡まっていることにより血液の流れが悪くなっているのが問題なんだ」

 セイスケは病状を説明する。

「出産にはまだ時間がかかる。このままでは赤ちゃんは諦めなければならない」

 ユリの腹に耳をつけて胎児の心音を聴いた産婆には、胎児が弱っていることがわかった。


「サエキ先生。お願いです。私の赤ちゃんを助けてください」

 涙を流しながらユリがセイスケの腕を掴んで懇願した。

「一応帝王切開の用意はしてきたが、絶対に胎児を助けることができるわけではない。また、ユリさん自身も危険にさらすことになる」

「赤ちゃんが無事に産まれる可能性があるのなら、手術をお願いします」

 ユリは子どもを助けることができるのならと、セイスケに帝王切開を願い出た。

「胎の中で子が死ぬと、どのみち母体に危険があるよ」

 産婆も帝王切開をするべきだと思っていた。

 出産は女性にとって命がけである。長年出産に立ち会ってきた産婆は、母親が命を落とすのを何例も見てきていた。


「わかった。帝王切開手術を行おう。産婆さんも手伝ってくれ」

「ねぇ、この人のここ、変だよ。赤く光っているし臭いもする」

 帝王切開手術をすることに決めたセイスケを見ながら、ショウタがユリの腹を指差す。そこは左の卵巣がある場所だった。

「悪性の腫瘍があるのかもしれない。とにかく、開腹してみよう」




「おんぎゃ!」

 セイスケがユリの腹の中から少し小さな女の子を取り出した。産婆に赤ちゃんを渡し、首に絡まった臍帯を外してからへその近くで切断する。

 セイスケは産まれた子を産婆に任せて、子宮を丁寧に縫い合わせた。


 そして、セイスケはユリの卵巣を調べる。確かに赤く変異していた。

「ショウタ。もう光っているところはないか」

 左の卵巣を切除したセイスケがショウタに訊く。

「うん、もう大丈夫。臭いもしない」


 ユリの腹を縫いながら、セイスケはショウタの能力は本当にとんでもないと思っていた。




 目を覚ましたユリは、仰向けに寝たまま産まれたばかりの小さな赤ちゃんを胸に抱いた。麻酔が残っているので乳を与えてはいけないとセイスケに言われているので、ただ抱きしめるだけだったが、その重みがユリを幸せにする。

 この小さな命がユリを助けた。普通に出産していれば卵巣の腫瘍に気が付かず、全身に腫瘍が転移して死んでいたかもしれない。

 ユリの腹には大きな傷跡が残っている。しかし、ユリも子も生きていた。

 

 ユリの子はウメと名付けられ元気に育っている。母親のユリも無事に過ごしていた。


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