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23.鬼と狼男

 昨夜から朝にかけて荒れる海で救助活動をしていた狼男のエルデムは、思った以上に疲れ果てていてムシロの上に座り込んでいた。

『あなたは疲れているように見える。良かったらこちらで休まないか?』

 そんなエルデムにセイスケがインレンス帝国の言葉で声をかけた。彼が多くの怪我人を助け出していたことを、セイスケは漁師から聞いて知っている。

『ああ』

 短く返事したエルデムはゆっくりと立ち上がり、セイスケの後に続いた。



『あのとんでもない医師は何者だ?』

 エルデムは今まで見たこともない容姿のショウタがとても気になっていた。

『この言葉では「オーガ」が近いと思う。力が強くて不思議な能力を持つ最高の医師だ。私の息子でもある』

 セイスケはショウタが褒められて少し誇らしい。


『鬼? そんなものは伝説の生き物だと思っていた』

 西洋列国にはそのような生き物がいるとエルデムは聞いたことがない。軍艦の航海士として世界中を旅している彼も初めて鬼を目にした。

『あなたも伝説に語られるような姿をしているように見えるが』

 後ろを振り返えったセイスケは、人にはないエルデムの耳と尾を見ていた。


『違いない。俺は狼男だ。名はエルデム、よろしくな。力なら俺も強いぞ』

 セイスケの目に嫌悪の色がないことを感じ取り、エルデムは少し笑顔になった。

「私はサエキセイスケ。セイスケと呼んでくれ。息子の名はサエキショウタ。こちらこそよろしく」

 西洋風にセイスケが右手を差し出すと、エルデムが握り返す。



「大先生。こっち。ここの人がスイカを持ってきてくれたんだ。ショウタさんは寝ているから、僕がもらっておいた」

 縁側に座っていたミノルが手を挙げてセイスケを呼んだ。横には三角形に切り分けられた多数のスイカが載った盆が置かれている。

『おお。スイカだ』

 朝にもらったおにぎりやまんじゅうと違って、見慣れた果物を見てエルデムは嬉しそうだ。


「あっ。朝の犬耳の人だ! まんじゅうをあげたのだから、耳や尻尾を触らせてくれよ!」

 ミノルが期待を込めてきらきらした目でエルデムを見上げている。エルデムはミノルの言葉がわからないのでセイスケを見た。

『この子はあなたに菓子を渡したから、対価として耳や尾を触らせて欲しいらしい』

 セイスケの言葉を聞いたエルデムはミノルを不思議そうに見た。

『あっ。甘い菓子をくれた朝の子どもか。腹が減りすぎてよく見てなかった。あの時は本当にありがとうな。あのままだったら俺はくたばっていたかもしれん』

 エルデムはミノルの横に腰掛けた。立ち上がったミノルは、おずおずと彼の耳を触る。


「思った以上に柔らかい毛だな。本当に犬みたいだ」

 ミノルはとても楽しそうだ。子どもや女性に恐れられることが多いエルデムは、ためらうことなく自分に触れるミノルに驚いた。

「違うぞ。ミスターエルデムは狼男なんだ」

「狼、格好良い!」

 ミノルはエルデムの尾にも触れ、そのふわふわした触り心地を堪能した。



「ミノル、そろそろスイカを食おう。せっかく冷やしてくれているのに温くなってしまうぞ」

 焦れたセイスケが夢中でエルデムの尻尾を触り回しているミノルを止めた。

『エルデムさんもどうぞ。ショウタとミホにも残しておいてやらないといけないから、一人三切れだな』

 数を指定しておかないと、大食らいそうなエルデムが全て食べてしまいそうとセイスケは心配した。それは杞憂ではない。狼男も鬼と同じく非常に燃費が悪い生物だった。



 目を閉じてきっちり半時間後、ショウタはゆっくりと目を開けた。

 そして、見下ろしているミホと目が合ってしまう。

 一気に覚醒したショウタは、ミホの膝を枕にして眠っていた状況を把握し慌てて起き上がる。彼の目の周りはほんのり赤く染まっていた。


「昨夜は眠っていないのでしょう? もう少し横になっていた方がいいのではないですか?」

 ミホはショウタの体が心配だった。倒れるほどの無理はしてほしくないと思う。

「もう大丈夫だ。これ以上寝ると、もっと眠くなるから」

 麦茶を湯呑に入れて飲み干したショウタは、自身の両頬を軽く叩いて気合を入れた。


「それじゃ、俺はもう行くから。おにぎり、本当に旨かった。ありがとう」

 立ち上がって部屋を出ていこうとするショウタをミホが止めた。

「ショウタさん、私も何かお手伝いすることはないですか?」

「ミホは別荘でゆっくりしていてくれたらいいよ」

 首を振るショウタを見てミホは少し不満そうな顔になる。


「それでは、網元の奥さんに訊いてみますね。これだけの怪我人がいるのだから、炊事や洗濯、風呂沸かし、仕事はいくらでありそうだから。私も少しでも役立ちたいもの」

 一人でも多くの人を助けたいと奮闘するショウタに、少しでも近づきたいとミホは思う。直接傷を治すことはできないが、支援作業くらいはできるはずだ。

「無理しないようにな。ミホが倒れてしまったら、俺はどうしたらいいかわからない」

「お医者様なのに? ショウタさんこそ無理しないでくださいね。私は本当に何もできないから」

 ミホが約束だとショウタの手を握ると、ショウタは何度も頷いていた。


 小さな部屋を出た二人は、廊下を曲がったところで、縁側に座っているミノルとセイスケ、そして、狼男のエルデムを見かけた。


「あっ、朝のお腹を空かせた人だ」

 異形のエルデムを指差してミホがショウタに説明をする。

「ミホ姉ちゃん、こっちへ来いよ。ミホ姉ちゃんもおにぎりをあげたから、ミスターエルデムの耳や尻尾を触らせてもらえるぞ」

 ミノルが手を挙げてミホを呼んでいる。


「私はいいわよ」

 男性の体に触れるのは恥ずかしいと思うミホは、手を横に降って断った。

『あの米の玉をくれた女だな。本当に感謝する。坊主。普通の女は俺みたいなのに触りたいと思わないんだぞ』

 ミホとミノルの会話を何となく理解したエルデムが言う。


 インレンス帝国言語を理解できるショウタは、この流れはまずいと思った。以前ショウタが同じようなことを言った時、ミホが気を使って角に触れたことがある。

『俺が代わりに触るから』

 ミホを後ろに隠しながら、ショウタはエルデムの耳を触った。

『どうせ触られるのなら、ごつい男の手より、女の柔らかい手の方がいいな』

 エルデムは少し不満そうだ。


『彼女は私の妻になる愛しい女性だから、あなたには触れさせない』

 インレンス帝国言語ならば、かなり強気なショウタだった。

『彼女は鬼の嫁なのか』

 鬼の嫁になるような女性だから、ミホは自分を怖がらなかったのかとエルデムは納得しした。

 

『それ、ニッポンでは違う意味だな。強くて怖い妻のことだ』

 セイスケは面白そうに笑っている。

 言葉が理解できないミホだったが、自分が笑われているのはわかり頬を少し膨らませた。

「ごめん」

 なぜか、ショウタが申し訳なさそうに誤っていた。


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