22.ショウタを癒やすもの
鬼は不思議な力を使う時、大量のエネルギーを消費する。それは食物で補うしかない。
昨夜より体の中を見通すという不思議な力を使い続けていたショウタは、思った以上に空腹であった。
好意を抱いている婚約者のミホが作ってくれた大好きなおにぎりを前にして、もう食欲を抑えることができない。ショウタは本能のままに食い散らかしていた。
「相変わらずすげーな」
ミノルが呆れるくらいの速度でおにぎりを頬張るショウタ。ミホが一生懸命運んできた、かなりの量のおにぎりを詰め込んだ重箱はみるみるうちに空になっていく。
「私にも少しは寄越せ」
セイスケはこのままでは食いっぱぐれるとの危機感を持ち、何とか三個のおにぎりと二切れの卵焼きを確保した。
残れば他の人にも食べてもらおうとおにぎりを大量に用意したミホだったが、甘い予測だったと言わざるを得ない。
米粒一つ残っていない重箱を目の前にして、さすがのミホも呆れていた。
「ごめん、おにぎりを全部食ってしまった。ミホとミノルの分がない」
ようやく人心地ついたショウタは、呆然と重箱を見つめるミホとミノルに気がついた。
「私たちは家で食べてきたから心配はいらないけれど、ショウタさんは大丈夫ですか?」
あの大量のおにぎりはどこに消えたのかとミホは不思議に思う。
「俺は活力の補給が完了して元気いっぱいだから、大丈夫に決まっている。これからまた頑張るぞ」
そう言って爽やかに笑うショウタに、ミホは微笑みを返す。
ミホが一瞬見た板の間の様子は、さながら地獄絵図のようだった。うめき声があちこちで上がっていて、ショウタの白衣は血で真っ赤になっていた。
その場で逃げ出したくなったミホは、ショウタの仕事の大変さが少しは理解できたと思った。そして、自分の作る料理が少しでもショウタを癒やせることを願わずにはいられない。
「ミホ、ミノル、こんな状態だから温泉宿に行くことができなくなった。本当にごめんな」
台風は去ったし、土砂崩れを起こしたのは反対方向の道なので隣町までなら通行可能だ。それでも、大量の怪我人を残して温泉に行くことはできないショウタだった。
「わかっています。私はショウタさんとこの地へ来られただけで満足ですから」
セイスケにショウタとの婚約を祝ってもらったことは、平凡な自分が認められたようで、ミホはとても嬉しかった。
「僕もここへ来ただけで嬉しい。汽車にも乗ることができたし、犬みたいな人にも会うことができた。とっても満足だよ」
ミノルも本心で頷いていた。
「犬みたいな人? ああ、あいつか」
ショウタは船医と話していた男のことを思い出していた。
「腹が減っていたみたいで、さっきのショウタさんみたいに元気がなくてしょぼくれていたけど、おにぎりとまんじゅうを食ったら急に元気になって、自動車や汽車より速く走っていったんだ。まんじゅうをやるから耳や尻尾を触らせて欲しいと頼んだけど、僕の言葉がわからないようだった」
ミノルは狼男に触ることができずにとても残念そうだ。
それを聞いて、自分はしょぼくれていたのかとショウタは少し落ち込んでいた。それでも、二人の気遣いが嬉しい。
「ショウタ、少し横になって眠れ。たとえ半時間でも眠ると回復するから」
おにぎりを食べ終わったセイスケは、少し消沈しているショウタに命じた。
不眠不休で鬼の力を使い治療を続けてきたショウタは、随分と消耗しているはずである。セイスケは少しでもショウタを回復させたいと考える。
「あの、私の膝で良かったら使ってください」
重箱を元のように重ねて風呂敷に包んだミホは、まんじゅうを両手に持って食べているショウタに向かって自分の膝を指差した。
「えっ? でも、重たいから……。角もあるし」
ミホの申し出にまんじゅうを喉につまらせそうになるショウタ。その顔は真っ赤になっている。
「はい、これ」
ミノルがヤカンから冷たい麦茶を湯呑に注いでショウタに渡す。受け取ったショウタは一気に飲みほした。
「ミノル、こっちへ来い。あの男に触らせてもらえるように頼んでやるから」
セイスケがミノルを呼ぶと、ミノルは嬉しそうに立ち上がった。獣の耳と尻尾を持つ見たこともないような人に触れることを想像してわくわくしている。
セイスケに手を引かれてミノルが部屋を出ていくと、四畳半ほどの小さな部屋にはショウタとミホが残された。
ミホは部屋の端に移動して改めて横座りした。ミホに膝枕をすれば、背の高いショウタが寝ることができるくらいの場所を確保できている。逆に膝枕をしなければ座卓が邪魔をしてショウタは足を伸ばして横になることはできなかった。
「本当にいいのか?」
「はい。どうぞ」
ショウタは疲れていたこともあり、誘惑に負けてミホの膝に頭を預けた。程よい高さと柔らかさにショウタは眠りに誘われる。
ゆっくりと目を閉じるショウタ。
ミホは愛おしそうに柔らかい黄色の髪に触れていた。
廊下をセイスケとミノルが手を繋いで歩いている。
「ショウタさん、大丈夫かな」
子どものミノルから見ても、ショウタは随分と疲れているように感じた。
「ミホさんが癒してくれるから、絶対に大丈夫だ。愛しい女性の膝枕で癒やされない男はいないぞ」
セイスケは豪快に笑ってミノルの頭を撫でる。寂しがり屋のショウタがやっと伴侶を得たことに、セイスケは喜びを隠せない。
「そういうもんなんだ。僕も大きくなったら愛しい女性を見つけて膝枕をしてもらう」
ミノルは実の両親のもとで育ったが、とても幸せな家庭だとは言えなかった。顔を合わせればケンカばかりを繰り返している両親を見ていたミノルには、伴侶が癒やすということが理解できない。それでも、ミホの申し出に真っ赤になりながら嬉しそうにしていたショウタを見ると、結婚も悪くないのではないかと思うミノルだった。
「でも、ショウタさん、膝枕くらいであんなに真っ赤になっていて大丈夫かな?」
相変わらずショウタは九歳児に心配されている。
「そう心配せんでも、ショウタも男だから、結婚したら子作りくらいはできるだろう。医師なので知識はあるし」
「そうかな?」
ミノルは少し懐疑的だった。
再びセイスケの笑い声が響く。
「それでは、あの男を呼んでくるか。少しここで待っていろ」
セイスケは中庭に面した縁台を指差した。子どものミノルを板の間につれていくのが忍びなかったのだ。
「わかった。ここで待っているよ」
中庭は手入れが行き届き、美しく整えられた植木の枝を微かに揺らすように穏やかな風が通り抜けていく。
昨夜の台風も、サルトゥーレン号の沈没も、嘘だったように静かだった。




