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18.外国船が座礁した

 駅前の食堂で昼食をとった一行は、セイスケの運転する自動車に乗り込んだ。助手席にはショウタが、後部座席にミホとミノルが座る。


 半島の先端に位置するクシナカは、度々台風が上陸する地域である。セイスケも移住した昨年の夏から秋にかけて何度か台風の直撃を経験して、本日の海の荒れが普通でないと感じていた。

「魚でも買いに港へ行ってみよう。アワビやサザエもいいな。小さなガンガラという貝があって、茹でて食うと旨いぞ」

 海の荒れも気になったが、婚約したと報告しに来たショウタとミホに美味しいものを食べさせてやりたいセイスケは、自宅のある山の手ではなく海に向かって自動車を走らせた。

 


「院長先生、南の海の方角に台風がある。沖へ出ていた船が慌てて帰ってきたんだ。今晩あたりやって来そうだ」

 一行が港へ行くと、漁師が慌ただしく小型船を陸に引き上げていた。

 深い緑の海の表面には白い波が立って、大型の船が少し上下しているが、空は明るく陽が照っている。


「台風が来るって本当なのか?」

 ミノルは少し懐疑的だ。風はそれほど強くない。

「ここら辺の漁師は台風に慣れているからな。あいつらがそう言うのなら台風は確実にやって来るのだろう。まぁ、心配するな。明日は晴天になるから、温泉には行けるさ」

 セイスケはミノルを怖がらせないように明るく答える。

 

「家は大丈夫なのか?」

 ショウタも心配になりセイスケに訊いた。ショウタも何度か来たことがあるセイスケの家は、かなり古い別荘である。

「大きな台風が毎年来ているからな。倒れるくらいならとっくに倒れているさ。ガラスが割れると困るので、窓に板を打ち付けるのを手伝ってくれ」

 またしても明るくセイスケは言う。


 漁に出ていた漁船が港に戻ってきているので、セイスケは鮮魚を手に入れることはできなかった。鯵の干物と貝の佃煮を購入して自宅へ向かう。



 ショウタが住む本宅よりはかなり小さいが、セイスケの家は三人の客を余裕で受け入れるくらいの広さはあった。

 セイスケが雨戸を全て閉め、雨戸のないガラス窓にショウタが板を打ち付ける。家の中は昼間だというのに随分と暗くなっていた。

 帝都では一般家庭にまで電灯が普及してきているが、地方では発電所がまだ建設されておらずランプの光を使っている。中央病院は発電機を備えており、手術室は煌々と電灯が灯されているが、セイスケが院長をしている分院はそのような施設はなかった。


 ランプの光の薄暗い中で、四人で仲良く夕飯の用意をする頃になると、風の音がうるさいくらいになってきた。確かに台風が近づいてきている。

 今回の台風は陸沿いの西ではなく、海しかない南からやって来ているので、接近情報が遅れてしまった。


 夕飯を食べる頃になると、激しい雨の音が響いてきた。


「ショウタ、ミホさん、婚約おめでとう。今夜は台風が来ていてささやかで申し訳ないが、お祝いをしよう。二人の幸せな前途を祈って、チアーズ!」

 セイスケが酒を注いだ盃を持ち上げて乾杯の音頭をとると、みかんジュースが入ったコップをミノルが掲げた。

「ショウタさん、ミホ姉ちゃん、おめでとう」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 ミホとショウタは頬を染めながら見つめ合っていた。二人の目尻が嬉しそうに下がっているのを、セイスケもミノルも見逃さない。


「幸せそうでなりよりだ」

 セイスケは機嫌よく声を出して笑っている。

「もっと積極的でもいいと思うのだけどな」

 恥ずかしそうに俯いてしまったショウタとミホをミノルは相変わらず心配していた。



「ミホ姉ちゃん、一緒に眠ってもいいか?」

 風と雨の音に不安になったミノルが、ふすまで区切られた隣の部屋から布団を引きずってきている。

 今の彼には一緒に寝てやると強がる余裕もないようだ。

「私も怖いから、一緒に寝よう」

 ミホはミノルの布団を持ち上げて運んでやる。


「なぁ、ショウタさんにも一緒に寝てもらった方がいいんじゃないか。ショウタさん強そうだし」

 強い風に煽られて時折家が揺れる。ミノルは本当に家が倒れてしまうのではないかと心配していて、ショウタならば家くらい支えられるのではないかと思っていた。

「それは駄目よ!」

 手を握るだけでも恥ずかしいのに、同じ部屋にショウタがいると思うとミホはとても眠ることができない。

「ショウタさんは婚約者なのだから、一緒に寝ても問題ないだろう?」

 ミホはそう言うミノルを何とかなだめて布団に入れる。朝早く起き汽車に乗ってはしゃいでいたミノルは、布団に入るとすぐに寝息を立て始めた。 



「院長先生! 大変だ! 大きな外国船が沖で座礁した。何人も怪我をしているんだ」

 港から走ってきた漁師が玄関の戸を叩く。 

 既に真夜中になっており、外は強風が吹き荒れて、大粒の激しい雨が舞っていた。


「ショウタ、行くぞ!」

「はい。院長」

 セイスケがふすまを開けると、隣の部屋ではショウタが寝間着を脱いで洋服に着替え始めていた。


「大先生、ショウタさん」

 ショウタの部屋の外からミホが声をかける。風と雨の音が激しくて寝付けなかったところへ、玄関の戸を叩く音と怒鳴り声がして、不安で起きてきていた。

「ミホ、ごめん。俺たちは港の方へ行くから、留守番を頼む。ミノルについていてやってくれ」

 ショウタは慌てて返事をした。


「どうかご無事で」

 ミホは不安そうに家を出ていくショウタとセイスケを見上げている。

「大丈夫だ。絶対に帰ってくるから」

 ショウタがミホの手を握る。それはほんの僅かな時間だったが、ミホには安心を、ショウタには士気をもたらした。 


 

 激しい雨の中、車庫に向かって走ったセイスケとショウタは自動車に乗り込み、港の方へ向かって走り出す。

 

 時折雷が空を走る。

 その度に荒れる海に沈み行く大型船が見えた。港の横にある浜にはなんとか泳ぎ着いた怪我人が多数横たわっている。

 雷が静まるとあたりは真っ暗となり何も見えなくなる。

 風と雨と怪我人のうめき声だけが浜に響いていた。


「この雨風だから船は出せない。自力で浜に上がってきた奴だけを儂の家に運び込んだ。言葉が通じない外国人だが、同じ海の男だ。院長先生、助けてやってくれ」

 セイスケとショウタが分院の前に着くと、網元が待っていて頭を下げた。

 分院のすぐ隣にあるかなり大きな建物が網元の家だ。五十人ほどの漁師が板に乗せた怪我人を網元の家まで運んでいるのを、雷の光が照らし出している。


「私は手術用具を運ぶから、ショウタは先に網元の家へ行き、手術する順番を決めておけ。ショウタが助けることができると思う怪我人の内、一番重傷の者から手術を行う」

 それは命の選択を行う辛い作業である。怪我人はあまりにも多く全ての人を助けることはできない。なるべく多数の人を助けるために、ショウタは命に順位をつけるしかなかった。


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