2.鬼に売られました
絶対に人ではありえない色のショウタの目と髪を見て、ミホは驚いて後ろに下がる。
ショウタは少し顔をしかめ、すぐに組長の方を向いた。
「俺が仕事を頑張っている時に、お前らは真っ昼間から女と遊んでいたのか?」
ショウタの声はかなり不機嫌であり、組長は慌てて首を振った。
「違います。俺たちも仕事ですって! この女は借金をして逃げた男の娘で、借金を返してもらう相談をしていただけなんで。遊ぶならもっといい女を用意するし。そうだ、女が必要なら何人か呼びますから、ちょっと待っていてもらえますか」
組長が部屋にいた男に目で合図すると、手下の男は頷いて部屋を出ていこうとした。
「待て、お前らに女を世話してもらう謂れはない。この女の借金は幾らだ?」
出ていこうとする男を止めて、ショウタはミホを指差す。
組長は不思議そうにミホを見て、ミホの父名義の借用書を取り出した。
「こんな女が好みですか? 変わった趣味をしていますね。ショウタさんならどんな女だって抱けそうだけどな。たまには毛色の変わった女と遊びたいとおっしゃるのなら、今回の詫びにこの女を差し上げますよ」
ミホ一人でショウタの怒りが解けるなら、組長は安いものだと思っていた。
「女をもらう謂れはないと言っただろうが! ところで、この娘の借金の額は?」
益々不機嫌になるショウタを恐れるように、組長は借用書を差し出した。そこには金五百エンと記載されている。
「これを幾らで買ってきたんだ? 不良債権化した借用書を安く買い叩いて、家族や親戚に無理やり払わせているのは知っているぞ。娘を売ったり家を追い出して自分のものにしたり。表の自動車も不当な手段で手に入れたんだろう?」
「借金を払ってもらうのは真っ当なことだと思うのですがね。踏み倒す方が明らかに悪いでしょう。まあ、恩人のショウタさんだから正直に答えますよ。これは百五十エンで買いました」
相手が悪いと思った組長は、あっさりと本当の金額を口にした。
「たった百五十エンくらいの金で、女を売り飛ばすつもりだったのか?」
「人聞きの悪い。実入りの良い職を紹介しようとしていただけですよ。しかし、この娘なら百五十エンは高すぎですね」
「風呂屋の大将から私の給金と退職金を受け取ったはずです。私の持ち物も現金化すると言っていました」
それまで無言で震えているだけだったミホだが、借金の額は正確にしてほしいと思い口を出した。
「その女の持ち物はまだ売っていません。安物の着物が三枚と下着くらいだから、売ったとしても十エンにもなりませんね。給金と退職金は合わせて四十エンです」
ミホをここまで連れてきた男が正直に答えた。
「残り百十エンか」
ショウタは分厚い財布を取り出して、紙幣を数え始めた。
「命の恩人から金を受け取れませんよ。今回も三下が迷惑をおかけしたようですし、本当にこの女は差し上げますから」
組長は借用書をショウタに押し付けようとしたが、ショウタは拾エン札を十一枚きっちり数えて机に置いた。
「数えて間違いなかったら、その借用書を寄越せ」
「ショウタさん、真面目ですね。確かに十一枚あります。これをどうぞ」
少し呆れぎみの組長が借用書をショウタに渡した。
「これもどうぞ」
手下の男が、風呂敷包みを二個ショウタに渡す。
「あんまり世間様に迷惑をかけるなよ」
風呂敷包みを受け取りながら、ショウタは捨て台詞のように組長へ言うと、ミホに近寄った。
近づくショウタはミホが見上げなければならないほど大柄だった。六シャク以上は確実にある。金色の鋭い目も威圧感があり、ミホはまた一歩後ろに下がる。
「ついてこい」
極道の組長を脅すショウタをミホは怖いと思ったが、買われてしまったことは理解した。
ミホが震える足でショウタの後に続くと、玄関を出たところに外国産の蒸気エンジン自動車が止まっていた。大きな船で外国から運んで来る高級車は驚くほど高価だ。詳しいことは知らないミホだったが、安くはないということはわかった。
「高そうな自動車ですね」
「俺のじゃないから、気にしなくてもいい。さっさと乗れ」
ミホが気後れしているのを見て、ショウタは後部座席のドアを開けた。
おずおずと自動車に乗り込むミホ。彼女が座ったのを確認してショウタが後部のドアを閉め、運転席に乗り込んだ。
ショウタは自動車を出す前に後ろを振り返り、ミホに借用書を差し出した。
「あんたはもう自由だから」
ミホは驚いて借用書を押し返した。
「見ず知らずの方に恵んでもらう訳にはいきません。お借りしたお金は必ずお返ししますから、その時借用書を返してください。でも、返すのは百十エンですからね」
一ヶ月に三エンを返せば、約三年で完済できると計算したミホは、初めてショウタに感謝した。ミホ一人ならば五百エンを返す羽目になっていた。
「俺は彼奴等への嫌がらせのつもりだったから、返してもらわなくても別にいいんだけど」
借金をミホに払わせるつもりなどなかったショウタは戸惑いを見せる。
「変な借りは作りたくありませんから」
ミホの矜持を砕きたくないと思ったショウタは、素直に借用書を助手席の大きな鞄にしまった。
「どこまで送ればいい?」
「カミジ町の風呂屋までお願いできますか?」
高価な自動車をタクシー代わりに使って申し訳ないと思うが、乗れと言ったのはショウタだからお言葉に甘えようと、ミホは風呂屋の場所を口にする。
「わかった」
思った以上に滑らかに動き出す自動車。
カミジ町の風呂屋にはすぐに着いた。
風呂屋の玄関先で自動車を止め、ドアを開けてミホを降ろしたショウタは、二個の風呂敷包みを彼女に渡した。
自動車が止まったので、女将が驚いて玄関から飛んで来た。
「ミホちゃん、ごめんね。退職金も払ったことだし、これきりにしてほしいのよ。またあんな奴等が来ると困るから。それにもう新しい子を雇ったの。今度は男の子よ」
ミホは何も言えなかった。肉体労働が多いので、やはり若い男性の方が向いている。そして、ミホが連れて行かれる時、極道たちは怒鳴り散らしていたので、かなり迷惑をかけたに違いない。親のことなので二度とこんなことが起こらないと約束もできない。
「今までお世話になりました」
ミホはそう言って頭を下げることしかできなかった。