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11.従妹再び

「本当に世話になったな。朝風呂まで沸かしてもらって、気持ち良かったぞ。朝飯も大満足だった」

 昨夜家に泊まっていたセイスケは、朝風呂を楽しみ、皆で朝食を一緒に食べ、ショウタの出勤を見送った後、村へ帰るために玄関に出ていた。

「未熟者ですので、たいしたおもてなしもできず、申し訳ありませんでした」

 見送りに出たミホは、セイスケに褒められ気恥かしくて頬を染めていた。お手伝いとして働きだして一ヶ月も経っていないミホは、もてなし料理など作ったことがなかったので、大病院の院長だった人物に自分の料理を提供しても良かったのかと悩んでいた。


「いやいや、謙遜するではない。ミホの作る料理はとても旨かったぞ。診察がなければもっとここに滞在したいぐらいだが、今日は午後から診察日なので残念だが帰ることにする。これでも院長だから。医師は私一人だけどな。それでは、ミホ、ミノル、ショウタのことをよろしく頼む」

 無医村だった漁港の村に中央病院の分院を作って院長となったセイスケは、近隣の村の人々にとても慕われていた。

 ミホとミノルにショウタのことを頼み、黒塗りの立派な蒸気エンジン自動車に乗り込むセイスケ。自動車は蒸気の噴き出る音を立てて、門を出ていった。


 ミホは安堵して大きく息をした。セイスケはショウタとよく似てとても優しかったが、ショウタの養父ということで彼女はかなり緊張していた。

「ミホ姉ちゃん。ショウタさんと婚約できて良かったな」

 一緒に見送りに来ていたミノルはとても機嫌がいい。ショウタならばミホを幸せにしてくれると感じていた。

「形だけの婚約だから」

 ミホは言いよどむ。

「でも婚約者なんだろう?」

 ショウタとミホはお互い思い合っていると、ミノルは子どもなりに感じていた。

 

「ところで、ショウタさんがお医者様だとミノルは教えてもらっていたの?」

 ミホはショウタが中央病院に勤めていることしか聞いていなかった。医師であることをミノルだけに伝えていたのならば、ミホはのけ者にされたようで少し寂しい。

「病院で働いているからお医者様だろう?」

 ミノルはあまり病院に行ったことがないので、様々な人が働いていることを知らなかった。

「ショウタさんが帝国大学出身だってことは知っていたの?」

「帝国大学って、いったい何だ?」

 夜逃げ同然で引っ越しを繰り返していたので、尋常小学校もろくに行っていないミノルは、大学が何であるかを知らなかった。

「そうなんだ。たまたま当たっていたのね。そういうことは稀だから、これからは嘘をついては駄目よ」

 そう言って叱るミホだったが、ショウタがミノルだけに教えたのではないとわかり安心していた。


 

 そして数日後、盆の期間がやって来て、世間では先祖を迎えるために休みに入る。

「俺は捨て子だったから盆の期間は暇で、毎年三日間宿直をしているんだ。だから、盆の間一緒にいられない。本当にごめん」

 ミホとミノルがやって来る前にショウタの盆の勤務は決まっていたので、今更変更ができない。

「大先生のところへ行かなくてもいいの?」

 セイスケの養子になっているショウタもサエキ姓なので、セイスケは大先生、ショウタは若先生と病院では呼ばれている。ミホもそう呼ぶことにした。


「義父は将軍家の御典医だった家の三男で、実家は帝都にあるので盆には帰っている。俺が小さい時に一緒に行ったことがあるんだが、鬼を養子にすることをとても反対されて、それ以来俺は留守番をすることになったんだ」

 小さなショウタの目の前で鬼だから養子にするなと言ったのかと思うと、ミホは怒りが湧いてくる。そして、子どものショウタにとって、それはとても辛かっただろうと心配した。

「反対されても仕方ないけどね。義父は研修医の時に患者と大恋愛をして、その患者が亡くなってしまったので、独身を貫いているから。鬼の子を養子にしたら、嫁の来手がいなくなると心配されていた」

 セイスケの母親に怒鳴られた当時を思い出せば、やはり辛いと感じるショウタだった。 


「大先生、独身なの?」

 ミホは意外に感じた。

「そうなんだよ。ああ見えてめちゃくちゃロマンシストなんだよね」

 鬼にしては細身で引き締まった体形のショウタと違い、セイスケは恰幅のいい中年である。若き研修医時代が想像できないミホだった。



「明日、私も母の墓参りに行くのだけれど、ミノルをどうしよう」

 ミホの母方の伯父はミホの父親のことをとても嫌っている。妹を自死に追い込んだのだから仕方がないとミホは思うので、自身が父の娘だからと嫌われるのは納得しているけれど、幼いミノルに悪意をぶつけられたくない。そして、母から父を奪った女の息子であるミノルを連れていけば、墓の中の母も穏やかでいられないのではないかと思う。

 しかし、父母に捨てられて一人になることを恐れているミノルを家に残していくことに、ミホはためらいを覚えていた。


「俺が病院へ連れて行くよ。外来は休みだし、軽症の入院患者は家に帰っている。それほど忙しくないし、仮眠用の部屋もあるから大丈夫だ」

 仕事のじゃまになるのではないかと思ったが、ミホは明日の昼間だけショウタにミノルを預けることにした。

「やった! 明日はショウタさんと一緒だ」

 ミノルも大喜びしていた。



「これ、盆の氷代だよ。受け取って」

 ショウタはミホに三エン、ミノルに五十センを渡す。

「こんなに貰えません」

 ミホは風呂屋で氷代も餅代も貰ったことがない。ショウタから貰った支度金をお寺に渡す盆の供養代にするために残していたので、帰省をしないミホには必要ないお金だ。

「普通は渡すんだよ。俺は雇い主なんだから、貰ってくれないと困る」

「ミホ姉ちゃん、ショウタさんが困ると言うのなら、貰ってやろうよ。僕たちは困らないし」

 ミノルにそう言われ、ミホは恐縮しながらお金を受け取った。



 翌日になり、出勤するショウタとミノルを見送ったミホは、戸締まりをして家を出る。

 伯父の家へ行く途中花屋に寄ることにした。今までは一番安い仏花を買っていたが、ショウタに貰った氷代で少し華やかな花を手に入れた。

 

 伯父の家へ行くと、いつもなら会った途端に嫌味を言うカナエが黙っていたのでミホは不思議に感じたが、先日の中央病院の件のことを気にしているのかと思っていた。

 皆で墓のある寺まで歩く。古くから続いている寺は町中にあり、中央役場や中央病院とかなり近かった。

 カナエの歩はとても遅かったが、彼女は大切にされているので体力がないのだろうとミホは思っていた。


 お経を上げてもらっている時も、墓に参っている時もカナエの様子がおかしかったので、ミホはさすがに心配になる。


 そして、寺を出た途端にカナエが脇腹を押さえて蹲った。

「い、痛い。もう歩けない」

「カナエ、大丈夫か」

 伯父がカナエを抱き起こそうとする。

「いや、痛い」

 カナエは首を振って拒否した。


「だから、冷たいアイスクリームばかり食べるとお腹を壊すって言ったでしょう」

 昨日、伯母とカナエは町にできたパーラーでアイスクリームを食べていた。

 しかし、カナエの様子がただの腹痛ではないようなので、伯母は顔色をなくす。


「どこが痛い?」 

 カナエの兄が聞くが、カナエと仲の悪い兄嫁は無言だった。


「ここが痛いの」

 カナエは大量の汗を額に浮かべて、左脇腹を押さえていた。


「あの。あそこに中央病院がありますから、急ぎましょう」

 ミホが指差した方向には、四階建ての立派な建物が見えていた。


 慌てて伯父がカナエを背負う。

「痛い、痛いよ」

 伯母は泣いているカナエの腕を持って伯父に首にまわした。

「しっかり捕まっていろ。走るぞ」

 伯父はなるべくカナエに負担をかけないようにして走り出した。


「ショウタさんがいるはずだから」

 世界最高峰の医者だとセイスケが称えるショウタならば、必ずカナエを助けてくれるはずだとミホは信じていた。



 休院の待合室は人気がない。受付も無人だった。

「すいません。急病人なんです。お願いします」

 ミホが怒鳴ると、中年の看護婦が奥から現れた。


「腹が痛いと泣いているんだ」

 伯父が慌てて看護婦に訴える。

「とりあえず診察室へ」

 看護婦がカナエを背負った伯父を診察室へ連れて行こうとする。


「何があった!」

 ミホの声が二階まで届いたのか、長い白衣を翻したショウタが小走りに階段を降りてくる。後ろにはミノルの姿が見えた。

「若先生! 急患です」

「わかった。患者は第一診察室へ。ミノルはそこへ座って待っていてくれ」


「あっ! あいつ、変な女だ!」

 ミノルがカナエを指差す。

 ミノルの声にカナエが顔を見上げる。そして、白衣を着たショウタが目に入った。


「鬼に診てもらうなんて嫌よ! 触られたくないもの。人の医者にして!」

 苦しそうにしながらもカナエが叫ぶ。


「盆だから、他の医者はいないんだ。他の病院行っても休みのはずだ。俺のことは手術する機械とでも思ってくれたらいいよ。機械なら、人の医者に肌を見せるより恥ずかしくないだろう?」

 ショウタはそう言って、第一診察室へ急いだ。


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