囚われた姫と塔の魔女
それは、姫君が十五の誕生日を迎えた日の事。
お城では、誕生日の祝いにと国々からプレゼントが届けられ、国中から祝いの言葉を向けられ、姫は大層ご機嫌だった。
王は年頃になった姫のために、そろそろ縁談の話をと考えてもいたが、まだ無邪気なこの姫君に、少しだけ迷いを感じてもいた。
「お祝いしますわ、姫様」
色んな人が訪れ、そろそろパーティーも終わりにしようかという頃だった。
黒いドレスに身を包んだ少女が、姫の前に姿を現した。
「ありがとう」
姫は、そんな見ず知らずの少女にも満面の笑みでお礼を言った。
今宵は特別。皆が優しい日なのだから、と。
「こんなに美しく育って……こんなに笑顔が可愛らしくて。なんて憎たらしいのかしら」
黒いドレスの少女は、笑顔のままそう呟き、姫の手を取った。
「なにごとか」
王は少女の様子がおかしいのに気付き、兵を向かわせる。
「こんなに大きなお城で暮らしてたなんて、許せない。皆に祝われて。皆に愛されて。なんで貴方だけ」
少女の眼には色がなかった。その表情は乾いていて、とても冷たい。
手を握られていた姫は、次第にその瞳を覗き込まれていく。心を囚われていく。
「だから、貴方も私と同じ気持ちにさせてあげる」
少女の言葉を最後に、姫は意識を失った。
剣を向け詰め寄る兵士らを気にもかけず、少女は口元を歪ませる。
「姫は私の元に。姫はもう、私のモノよ。絶対に返してなんてあげない。後悔なさい」
少女は笑っていた。兵士は剣を突き出すが、そんなものは当たらない。
気がつけば、姫も少女も、お城からいなくなっていたのだ。
――少女は、塔の魔女だった。
姫が気がついた時には、そこはもう、見慣れた城ではなくなっていた。
古びたレンガの床。絨毯なんて敷かれてなくて、ところどころ欠けていたり汚れていたりしていた。
ツルのような草の生えた壁。少し埃っぽい。
窓にはあんまり綺麗じゃないカーテンが夜風にそよぐ。ちょっとボロい。
まず、きたない部屋だと思った。
なんできたないのだろう、と。きれいにしたら良いのに、と、不思議そうに見ていた。
「目を覚ましたようね」
ふらふらと部屋をあっちみてこっちみてしていた姫は、やがて背後からの声にびくりとした。
振り向けば、そこにいたのはあの少女だった。
カラスの羽のような黒いドレスを着た、自分と同じ位の年頃の少女。
「貴方は……?」
「私は魔女。悪い魔女よ。色んな悪い事をしているわ」
そう言うと、にやにやと笑いながら、壁にかけられたつば付き帽を被る。
箒を手に持ち、ポーズをとった。
「なるほど、確かに魔女みたい」
「みたい、じゃなくて魔女だわ。一杯一杯、悪い事をしたのよ」
怖いでしょう? と、魔女は姫の顔を覗き込む。
だが、当の姫君はというと、恐れるでもなく、どちらかというと不思議そうに首をかしげていたのだ。
「……あれ」
思ってた反応と違う。魔女は少しだけ困ったように眉を下げた。
「それで、ここはどこなの?」
「ここは私の塔よ。私の住処。魔女の塔。近くの村人なんかは怖がって近寄りたがらないわ」
怖いでしょ? と再度怖がらせようとするが、姫はそんな事で怖がってはくれないらしかった。
そんな事より、別の事が気になって仕方ないのだ。
「貴方しかいないの?」
「私と貴方しかいないわ」
「寂しくないの?」
「寂しくないわ」
「寂しくなかったの?」
「寂しくない」
どうみても、寂しそうだったのだ。
こんなよく解らない古そうな塔で一人ぼっち。
しかも村の人からも相手にされない。近寄ってくれない。寂しすぎる。
「私は寂しいと思うわ」
「私は寂しくないもの」
「でも」
「私は寂しくない。そんな事より、私を怖がって」
寂しさを追及されるのは、魔女には辛いらしかった。
「でも、貴方ってあんまり怖くない……」
「なんで? 魔女よ? 一杯悪い事したわ」
「どんな事をしたのよ?」
「沢山。沢山の人を怖がらせたわ。沢山の人に嫌われた。一杯悪い事をしたの」
なんともはっきりしない魔女だった。
そのせいか、魔女が主張する怖さというのが、姫には全く伝わってこない。
「まあ、いいわ。私はお城に帰れるの?」
「帰れないわ。そういう呪いをかけたもの」
どうやら姫君は呪われてしまったらしかった。魔女は得意げだった。
「おうちに帰れない呪い。ずーっと、この塔で生き続けないといけない呪いよ」
「そう」
姫は、なんとなく、楽しくなってしまった。
そんなに寂しかったのかしら、なんて考えてしまったのだ。
「じゃあ、怖がらないといけないわね。困ったわ。どうしたらいいのかしら?」
「やっと私の怖さを思い知ったようね! ふふ、簡単には殺さないわ。もっともっと、私の怖さを思い知らせてあげるんだから!」
なんとも可愛らしい笑顔で、そんな事を言うのだ。
姫はもう、その純粋な瞳に取り込まれてしまいそうだった。
「ああ、お風呂に入りたいわ。魔女さん、私は疲れているの」
「私と話したのがそんなに怖かった? いいわよ、休ませてあげるわ」
ぽん、と、手に持った箒の柄先で床を叩く。
ぽむ、という間抜けな音とともに、小さめのバスタブ。たっぷりのお湯が張られていた。
「ありがとう魔女さん。ええ、明日もまた、貴方を怖がらないといけないんだもの。ゆっくり入らせてもらうわ」
「長湯しすぎて風邪なんてひかないように気をつけるのよ。病気になんてなっても、助けてあげないんだから」
魔女はそう言うと、ニコニコと機嫌よさげに部屋を出て行った。
「……狭い」
バスタブは、姫にはちょっと小さかった。
多分、あの魔女には丁度良いサイズだったんだろう。
姫君には足らなかったのだ。深さとか、広さとかが。
そういえば顔立ちは同じくらいだったけど、背丈はちょっと低かったかも、なんて考えてしまう。
だけど、ぽかぽかとしてとてもあったかい。
お湯の色はいつも入っているものと違って薄い赤。
花びらから抽出した花液でも入ってるんじゃと姫は考えたが、実際には違うらしい。
微妙なぬめり気。好奇心に負けぺろりと舐めてしまう。意外と無味無臭。ただの色水だった。
「――ふぅ」
姫君は、疲れていた。別にあの魔女を怖がっていたからではない。
お誕生日だったから。いつも以上にはりきって、いつも以上にたくさんの人と接したから。
人慣れしていないわけじゃなかったけれど、それでも結構な負担だったのだ。
祝われるのは嬉しいけれど、こればかりは素直に喜べないというのが、姫の本心。
「ああ、でもあの子可愛かった――」
こちらは魔女の事。
何故自分がこんなところに連れてこられたのかは解からないけれど、全然怖くないし、むしろかわいいとすら思える。
もしかしたらお友達がほしかったのかもしれない。一人ぼっちは寂しかったのかもしれない。
なんであんな子がこんなところに住んでるのかは解からないけど、そうまでして一緒に居たいなら、しばらくは一緒に居てあげてもいいのでは、位に考えていた。
王族の責務なんてほっぽりだして。たまにはこんな事があってもいいんじゃない、とか。
「……はっ」
気がつくと、真っ白になっていた。
窓からは陽射し。目を閉じていたのにそれが解る位に眩しい。
日ごろ昼頃に起きる乙女にはなんとも優しくない早朝の洗礼だった。
「……あれ?」
そして、見慣れない光景だった。
――ここはどこ? 私は?
そんな間の抜けたことを考えきる前に、そこが塔の中だったのだと思い出す。
(そう、私はお風呂に入っていたはず――)
見ればネグリジェ姿。一応、それとなく触って確認もする。肌着もちゃんと着けていた。
(……お風呂に入っていた……夢?)
そんな馬鹿な、と思いながらも、なんでそうなったのかの記憶がぷっつりと途切れていて確信が持てない。
困ったまま顎に手をあて、しばし考え込む。
「何起き抜けにうんうん唸ってるのよ。変な子」
部屋の入り口から声がした。見ると箒片手に魔女が立っていた。
「あら、魔女さんだわ。おはよう」
「うん。おはよう」
魔女は朝の挨拶もちゃんとできる子だった。
「なんで私、ベッドに寝てるの?」
「寝てたからでしょ」
「でも私、お風呂に入ってたはずじゃ――」
「だから、寝てたのよ」
「ネグリジェとか」
「私が着させたのよ。すごく大変だった」
大変面倒見が良い魔女である。
「そうなんだ。ありがとう」
「別に。風邪とかひいたら困るし。一杯怖がらせるんだから、病気で反応薄くなったら嫌じゃない」
こういう時解り易いなあと、姫は苦笑するのだ。
「とりあえず、私のドレスは?」
「貴方、誕生日でもないのにあんなの着るの? パーティーの時だけじゃないの?」
呆れ顔で手をひらひらさせる魔女。
よくよく見ればカラスっぽいのは同じだけれど、パーティーの時と違って魔女のドレスはかなり短い。動き易そうだった。
「とりあえずこんなもんでいいでしょ」
手に持った箒を姫に向け、くるくると宙を回す。
ぽうん、という間の抜けた音。変な煙が自分の周りで発生して、姫は咳き込んでしまう。
「けほっ……なんなの、もう」
口元を押さえる手にはシルクのグローブ。
感触から違う。慣れたそれに、姫は違和感を感じた。
「あれ、いつの間に――」
気がつけばネグリジェは消えていた。全身白のドレス。
胸元とかは編みこみがあってちょっとだけ大人っぽい。
「これが私の力よ。貴方の衣服なんていつでも変えられるのよ。怖いでしょ?」
魔女は朝から興奮気味だった。姫も若干それに引っ張られる。
「ええ、そうね。とっても怖いわ」
そう、怖がらなければいけないのを思い出したのだ。
「ふふっ、そうよね。そうなのよっ」
魔女は機嫌よさげだった。
それから二人、朝食タイムへ。
キノコの入ったサラダと素朴な芋のスープ。
赤い木の実。それから小さな丸いパンが一つ。
ささやかなメニューだった。
「ねえ、魔女さんって、いつからここで暮らしてたの?」
「ずっとよ」
「ずっとって?」
「ずっとよ」
「ずっと一人?」
「ずっと一人よ」
「いつから一人なの?」
「……ママがいなくなってから」
これもやはり、魔女にとっては辛い話題らしかった。
でも姫は気にしない。辛い質問も時にはしなければいけないのだ。
魔女は答えてくれる。ごまかしたりしない。嘘はついてるかもしれないけど、姫は気にしない。
「私もお母様はいないわ」
「――えっ」
だから、姫も気にせず、自分の辛い事を魔女に聞かせた。
この魔女も、きっと気にしないだろうと、何故だかそう思い込んで。
「生まれた時からずっと、いないの。絵とかは残ってるんだけど、どんな人なのかは全然知らない」
「でも、お友達はいるでしょう?」
「ええ、いるわ。沢山いる。侍女のマリーとも仲良しだわ」
「なら全然楽しいじゃない」
「そうね、沢山楽しい事を知っているわ。お茶にハーブの調合、占い、恋のおまじないとか、歌とか絵とか。一杯知ってる」
「何よそれ、自慢してるの?」
魔女は露骨に不機嫌になっていた。
楽しげに指を折り語る姫を睨むように見て、頬を膨らませて。
それでも全然怖くないが、姫は気にしない。
「沢山自慢話を聞かせてあげる。私は貴方を怖がるわ。でもそれだけだと不公平。私が知ってる事、全部聞かせてあげるんだから」
「何よそれ。そんなの嫌」
「嫌でも聞かせるわ。私がこの塔に居る間中、ずっと聞かせてあげる」
「なんて嫌な姫なの……」
「ふふっ、沢山聞かせてあげるからね。恋に占いに、トランプ。沢山沢山教えてあげるわ」
姫は機嫌よく笑いながら、サラダにグサグサとフォークを突き刺していた。
昼過ぎ。昼までの間ひとしきり魔女を怖がってあげた姫は、お返しとばかりにランチで長話を聞かせていた。
魔女はうんざりとしていたけど、そんなの姫は気にしてあげないのだ。姫は結構わがままな子だった。
「――それでね、衛兵隊長のトーマスが言ったの。『そんな事してると悪い魔女にさらわれますぞ!!』って」
「それで本当にさらわれてるんだから世話ないわ」
それっぽく声真似をして迫真の演技をして見せた姫に、魔女は冷めたコメントをつける。
「そうね。怖い魔女さんにさらわれて私、すごい不幸」
「そうよ。絶対に帰さないんだから。その時の自分を呪いなさい」
ふふん、と、いくばくか調子を取り戻したように魔女は無い胸を張る。
「でも大丈夫かしら。トーマスはすごく怖いわ。衛兵の中で一番怖いの。そしてうるさいの」
「確かに話を聞いただけでもうるさそうだった」
「すごく強いのよ。あと牛とか頭からかじる」
「何それこわい」
怖がらせる立場の魔女のほうがうっかり怖がってしまう。魔女は意外と小心者だった。
「私もかじられちゃうの……?」
すごく不安そうだった。帽子を手で押さえて震え始める。本当に怖いのかもしれない。
「もしかしたらかじられちゃうかも」
「それはすごい困る……せめてかじるならお尻からにして」
「それはそれで困るんじゃないかしら」
流石に冗談が過ぎた気がして、姫もそれとなく魔女を落ち着かせようとする。
「やだなあ。夢に出たらどうしよう」
「怖いなら一緒に寝る?」
さりげなく添い寝を提案。
「……うん」
魔女はいいように付け入れられていた。
『たのもぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!』
そんなほんわかとした雰囲気の中、全てをぶちこわしにするような野太い声が響き渡った。
魔女が語るにここは塔の七階のはずなのだけれど、何故ここまで届くのか。
「何かしら今の」
「ちょっと見てくる……」
はっとした二人。魔女が様子を見に窓から身を乗り出す。
すぐに戻ってきた。
「……なんか変なのがいる」
「変なの?」
「全身鎧のでっかい男。なんか大きな斧背負ってる」
「それは怖いわね」
謎の襲撃者だった。
「どうするの?」
「どうしよう」
魔女は今一頼りない。
『姫様ぁぁぁぁぁっ!! 不肖トーマス!! お助けに参上いたしましたぁぁぁぁっ!!!』
「……トーマス?」
「うわ、トーマスきちゃったよ……」
どうやらこの塔に轟く大声の正体は件のトーマスらしかった。
姫も驚くが、魔女は顔面蒼白だった。
「どうしよう……かじられちゃうよ……」
魔女はさっき以上に不安そうだった。涙目になっている。
どうやら脅しが効きすぎたらしい。
「ちょっと待ってなさい」
小さく息をついて、今度は姫が窓辺に向かう。
『姫さまぁぁぁぁぁぁぁっ!!! どうぞお声をぉぉぉぉっ!! お姿だけでもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!』
「トーマス、トーマスっ」
トーマスがまた一声挙げたのと姫が窓から身を乗り出したのは同じタイミングだった。
丁度見上げたそのときに姫君の姿が見え、トーマスは「おお」と身を震わせた。
『姫ぇぇぇぇぇぇぇっ!!! 今っ、今すぐにっ!!』
「トーマスっ、私は大丈夫だから――」
『今お助けいたしますぞぉぉぉぉぉぉっ!!! お待ちくだされぇぇぇぇぇぇっ!!!』
「私は友達と遊んでるだけだから、安心して良いってお父様に――」
『うぉぉぉぉぉぉっ、勇者トーマス、参るぞぉぉぉぉぉぉっ!! 魔女め、覚悟するがいいわぁぁぁぁぁぁっ!!!!』
「人の話を聞けーっ」
大変暑苦しい叫びが、姫の声を完全に封殺していった。
姫は無力感のまま、ぐったりとテーブルへ戻る。
「……どうしよう」
「私の台詞だよっ!?」
力なくうなだれる姫に、魔女の力強い一言。
「だって、その、困るわ。トーマスきちゃったし。なんか自分の事勇者とか言ってるし」
「それは、うん、ちょっと……聞いてた私もどうなんだろうと思った」
二人して呆れていた。
「とりあえず、魔女さんはトーマスの迎撃を頑張らないといけないと思うの」
「トーマス強いんだよね? 牛の頭かじるんだよね?」
魔女は及び腰だった。すっかり負ける気だった。
「でも魔女さんは怖いんでしょ? 悪い事一杯したのなら、きっとトーマスにかじられるわ」
「それは困る……」
かじられるのはこの魔女のトラウマか何かなのかもしれない。
「あ、でも――」
「でも?」
「考えてみたら、この塔ってどこ通ってもこの部屋にはたどり着けないんだった」
「そうなの?」
「うん。五階までとそれ以降とで完全に分断してあるから。私は魔法とか箒とかで直接この部屋に来るし」
「なるほど」
そしてその説明を聞いて姫はようやく、本当にこの部屋から自分が自力で出られないことに気付いた。
でも、この魔女と一緒ならそれも悪くない気もしたのだ。ポジティブ万歳。
その後、約二日間に渡って塔の中で日夜関係なく叫び声が聞こえ、やがてそれが途切れた。
魔女に聞く限り『きょうあくなトラップだらけで踏み込んだだけで即死モノ』らしいので安心していた姫であったが、流石に何事かあったのではないかと心配になり始めていた。
「しぶとい奴だわ。まだ生きてた」
とても立派な悪役の台詞を吐きながら、様子を見に出ていた魔女が部屋へと戻ってくる。
姫はベッドの上でくつろいでいた。もう夜である。
「なんか、私の姿見たら噛み付こうとしてきたから、魔法で城に追い返してやったわ。最初からこうすればよかった」
当初は叫び声が聞こえる度にびくびく震えていた魔女だったが、今はなんのことやら慣れたものである。
「まあまあ。勇者が追い返されちゃうなんて。これじゃ当分私は帰れそうに無いわね」
「そうよ。帰れないわ。寂しいでしょう。怖いでしょう。いいのよ、貴方の泣いた寝顔は毎晩でも見たいから、今夜も隣で見ててあげるわ」
魔女は自慢げだった。嬉しげだった。とにかく安堵できたのだろう。いつもの調子が戻ってきていた。
「そうね。まだしばらくは怖い思いをしそうだわ」
姫はと言うと……姫も、どこか楽しげに微笑んでいた。
「ねえ、魔女さん」
「何よ。私はもう眠い」
「眠りながらでも良いのよ。聞いて頂戴」
「眠いから無理」
「私ね、思い出した事があるの。子供の頃の話よ。ずっと子供の頃の話」
「……」
「私のお母様にはね、双子の妹が居たの。顔もそっくりだったらしいわ」
「……」
「同じ人を好きになっちゃったんですって。だけど、その人はお母様を選んだ」
「……」
「妹は、恋に破れてその後行方知れず。お母様もずっと気にしていたって聞いたわ」
「……知らない」
「ねえ魔女さん。貴方のママの名前って――」
「――知らない」
「そう」
それは、魔女の作り出した壁。
魔女が拒絶する為に作った障害。
ずっと一人で生きてきた彼女の、心の叫びだった。
『そんな辛い事、聞かないで』と。姫君には、そう聞こえた。
「ねえ魔女さん。怒った?」
「怒ってなんてないわ」
「私の事嫌いになった?」
「貴方なんて始めから嫌いよ」
「でも私のこと好きでしょ? 気になって仕方なかった」
「そんな事無い」
「そう。それならそれでもいいわ。でもね。私は貴方が好きよ。いや、もしかしたら大嫌いなのかも。どっちかは解からないわ。だけど、すごく気になる」
「……」
「だからね魔女さん。魔女さんがよければ、貴方の名前を教えて欲しいな」
「知らない」
「私も知らないわ」
「私は知らないの」
「私も知らないわ」
「自分の名前も知らないの。私は」
「ええ、だろうから。なんでもいいわ。魔女さんじゃ呼びにくいもの」
姫は、魔女がそんなのになってることなんてどうでもいいのだ。
相手の都合なんて一々考えない位にはわがままな姫君だったのだ。
魔女は自分の不幸を呪うべきだ。こんな姫を憎んだって何一つ報われない。
ただただ、いいようにもてあそばれて、いいようにからかわれて、いいように長話を聞かされて……どうせ友達扱いされるだけなのだから。
「私のことなんて、怖がってなかったでしょ」
「そんな事無いわ。すごく怖かった」
だから、魔女の言葉に、姫は真摯に応えるのだ。
「うそ。貴方はうそつきだわ」
「嘘なんてついてない。私は、貴方が私の友達じゃなくなるのが怖かったもの」
手を取って、ぎゅっと握り締めて。
隣に横たわる、自分より小柄なこの女の子に、姫は穏やかに笑いかけるのだ。
「でも、一つだけ嘘をついたわ」
「やっぱり、嘘つきだわ」
「うん。そうね。私、友達なんていなかったから」
「えっ――」
初めて、魔女が意外そうな、信じられないものを見るような目で、姫を見ていた。
「嫌な子だったし、友達っぽいのは一杯いたけど、友達は、貴方が初めて」
姫はゆっくりと目を瞑る。
「ずっと友達が欲しかったの。神様に毎日お祈りしても、それだけは手に入らなかった。私は、それだけが欲しかったのに――」
「……そうなんだ」
「そうなの。それしかいらなかったの」
やがて、言葉も弱く、小さくなっていく。
「なんだ……それじゃ、わたしと――じ――」
いつしか、魔女もうとうととし――夜へと蕩けていった。
魔女が目を醒ますと、そこは見慣れないお城の中であった。
自分は綺麗なおべべを着て、たくさんの侍女に世話をさせていた。
毎日が忙しない。食事はすごく豪華だったけれど、そのどれもが味気なく感じるくらいにぎすぎすとした空気。
父なのだという王様はいつも不機嫌そうで、自分の友達のはずの侍女や貴族達は皆余所余所しくて。
たった半日で、全てが嫌になってしまった。
魔女は、城の中でもやっぱり一人ぼっちだった。
いや、違う。
あの姫君が、このお城の中で不自由のない暮らしているように見えたあのお姫様が、こんな毎日をずっと送っていたのだ。
なんて退屈。なんて苦痛。辛い事ばかりで泣いてしまいそう。だというのに、泣く事すら許されない。
王族だから。お姫様だから。偉い人だから。人の上に立つべき者だから。
何もかもが彼女を束縛し、自由を奪っていく。泣く自由すらない。逃げ出す為の足にすら王族という枷が付けられていた。
恵まれているはずの、たくさんの友達に囲まれているはずの、幸せなはずの彼女が、こんな辛すぎる毎日を送っていたなんて、魔女は一度たりとも考えた事はなかった。
――逃げたい。助けて欲しい。こんなの嫌だ。辛すぎる。許して欲しい。私が何をしたというの。なんで私だけこんな目に。
それは、魔女が魔女として暮らしていた頃、毎日のように感じていた怨嗟だった。
母が何者だったのかなんて知らなかったけど、ただ王族を憎んでいたのは知っていた。
自分が何者なのかもよく分からなかったけど、自分がもしかしたらお姫様になれたかもしれない事は知っていた。
自分が、母にあんまり愛されていなかったのも、母が王族憎さにちょっとおかしくなっていた事も、知っていた。
その母が村人に酷い意地悪をして、そのせいで娘の自分まで魔女と呼ばれ嫌われていたことも知っていた。
なんで自分だけがそんな辛い目にあってるのかだけ解らなくて、そんな理不尽がちょっと悔しくて。
だけど、そんなちょっとした理不尽でも毎日積もればどんどん黒くなっていくのだ。
同じ目にあわせてやろうと思っていた。
だけど、あのお姫様はとっくにそれを味わっていた。
もし自分がお姫様なら好きに遊んで暮らすのに、なんて甘い考えを持っていたのを後悔した。
むしろ、お姫様になんてならなくてよかったとすら今は思うのだ。
魔女のままで良い。だって、今までは寂しくて辛かったけど、今の自分には――
朝になると、魔女の隣にはもう、誰もいなかった。
目を白黒させ、ぼーっと窓の方を見てしまう。
窓は開かれ、あんまり綺麗じゃないカーテンが風に揺れていた。
そういう事なんだろうと思った。思ってしまった。
「……ああ」
景色が歪む。部屋がぐにゃりと曲がる。止まらない。涙が止まらない。
不意に悲しくなったのだ。夜は明けたというのに、また夜が来てしまった。
一人ぼっちはいやだったはずなのに、だから友達が欲しかったはずなのに、また一人になってしまった。
そう、一人になってしまったのだと、魔女は気付いたのだ。
とても悲しかった。一人は辛いだけじゃない、悲しいのだ。
魔女は初めてそれに気付いた。
悲しいのは、なんて辛い事なんだと。一人ぼっちになってからそんな事に気付いて、そんな自分が、悔しくて仕方なかったのだ。
もう、立ち上がれない。涙は流れるに任せていた。止める気にもなれない。
袖でこする位はしてもいいかもしれないけど、とてもそんな気にはなれない。
辛い。苦しい。悲しい。死にたい位に寂しい。一人ぼっち。また一人ぼっち。
あんなに嫌だった一人ぼっちに、また逆戻り。
「何起き抜けにぐしゅぐしゅ泣いてるのよ。変な子」
だから。たったそれだけの言葉が、魔女にはとんでもない奇跡に感じられたのだ。
たった一言で、魔女の涙はせき止められる。
驚いた魔女。振り向くと、カラスの羽のようなドレスを着た――あのお姫様が立っていた。箒片手に。
「何それ――」
「何って。私も魔女になろうかと」
「意味わかんない」
「だって。味わわせてくれるんでしょ? 貴方と同じ何かを」
にっこりと力強く微笑む黒い姫君に、魔女は「心底叶わないな」と思ってしまった。




