56. 書き直し
人に化身したデザーネンスは、トレドマドの酒場に降り立った。事前に匂いで予期したとおり、アルシャマはそこにいた。
「お!久しぶりだなデザーネンスのおっちゃん」
アルシャマはいつでもマイペースであった。
「……その『おっちゃん』というのはやめてくれんか。儂がわざわざ威厳ある老人の姿に化身しとるのが台無しになる」
隣にはジュース――未成年だから――を飲んでいるカリュカがいた。胡散臭そうな目でデザーネンスを睨む。
「ほう……アルシャマよ。おまえにもとうとう彼女ができたか」
カリュカは口に含んでいたジュースを吹いた。
カリュカが誤解を解こうと努力するのを無視して、アルシャマとデザーネンスは近況を報告しあう。
「ほう、アルセスを見たか」
「ああ、見たぜ。ラヤロップの一撃で頭部が血塗れだったが、水も滴る美少年だったよ」
「それで、今はどこに?」
「分からん。うまく逃げられた」
「そうか」
デザーネンスは肩を落とす。普通に捕まえて地上に連れ戻す計画は、はやくも破綻した。
「それでだな、暇なデザーネンスのおっちゃんにちょっと相談というか頼みがあるんだが……
演劇の台本を作る手伝いしてくれねーか。ちょっと劇作家ラダムストンを越えたいんだ」
それは人から竜への、偉大な頼みであった。
あるところに魔女が一匹おりました。
魔女は民草に石礫を投げられました。
魔女は天を憎みました。
天には神がいました。
神の上には古き神がいました。
古き神の上にはアルセスがいました。
アルセスは言いました。
死ざる魔女よ。おまえはかつて砕け散った私の恋人。
おまえは永劫に生き、石礫を受けねばならない。
それはキュトスの呪いなれば。
魔女は天を憎みました。
魔女は天を憎みました。
あるところに魔人がいました。
魔人は魔女と出会いました。
出会うべくして出会いました。
魔女は天が憎いと言いました。
魔人はそうかそうかと笑って言いました。
余も天が憎い。神々が憎い。
なれば、我らは天へと至る階段を作り、我らの敵を打ち倒そう。
あのアルセスの首をはね、我らが神に成り替わろう。
魔女は冗談だと思いました。
魔人は準備を始めました。
着々と、準備は進められました。
魔人が聞いた話では、神々の数は1032柱。
魔人は武具を鍛え、英雄を揃えました。
魔人は天の階段を作り、神々に宣戦を布告しました。
しかしそれは、アルセスの罠だったのです。
神はたくさんいました。
たくさんたくさんいました。
数え切れぬほどの神々が、魔人を討ち取ろうと攻め寄せました。
魔人に1032柱と法螺を吹き込んだ少年は、ほかならぬアルセスだったのです。
魔人は運命を悟りました。
1032と300の神を滅ぼした後、魔人は囚われの身となりました。
魔女は涙を流しました。何度も死のうと思いました。
しかし魔女は死ねませんでした。
嗚呼、それがキュトスの呪いなれば。
魔人は死にました。アルセスは笑いました。
笑い転げていて、アルセスは気付きませんでした。
魔女がなおいっそう、天を憎んでいたことを。
この物語が、まだ終わっていないことを。
ローエンとデザーネンスは、宿屋の一室で出会った。
「紀竜……様ですか」
「いかにも」
「あの天を駆け、口から火を噴き、時に神々と争い、世界の秩序を守るという……」
「いかにも、いかにも、いかにも、じゃよ」
デザーネンスはまったく当たり前のように肯定した。
アルシャマは何の躊躇いもなしにデザーネンスをローエンに「物知りな竜」として紹介していた。
ローエンは天を仰いだ。ラヤロップさんと出会ってからこっち、変なことが起きてばっかりだ。
ラヤロップさんは魔女だし、アルシャマさんは冒険者だし、カリュカさんは暗殺者だし、議員さんはヴァンパイアだし。
そして、こうして目の前には、物語の中でさえ伝説とされている竜が居る。
ローエン=エングリンは思った。自分は何かすごい運命の下にあるらしいと。
そしてそれは決して間違いではなかった。彼はのちのトレドマドの劇場王になる身であるからして。
宿では深夜の会議が続けられる。
デザーネンス「まず『地上』が出てきている時点でマレタ向けの演劇として設定が破綻しているような」
ラヤロップ「メクセトはマレタ戦役に参加したということにしたらどうだ?」
アルシャマ「いっそメクセトは男装の魔女だったという設定でだな」
「百合か」「レズものに挑戦だな」「180度の発想の転換だな」
「「「悪いのはアルセスだ」」」
ローエンは総ての提案を速記で取り纏めていた。なにしろあと12日しかない。劇の練習期間を考えれば、台本の制作はタイムリミットギリギリだった。
議論は白熱し、夜明けまで続いた。