55. デザーネンス
「ダメだな」
劇を見終わったあとのフェラスト卿の最初の一言がそれだった。
ローエンは愕然とした。
この劇に賭けて生きてきたのだ。人生を一瞬で否定されたも同然であった。
「いや懐かしくはあったよ?地上の神話を聴くのはまったく久しぶりだからね。
しかしそのまま無加工で神話を再生産するという手法で客を惹き付けられるかといえば答えはノーだ。
流行るか流行らないかで言っても今回のコレは話の筋立てが古すぎる。
そもそも演劇とは魔術の一種であるからして――」
ローエンのショックは深く、後半部分はもはや聞き取れていない。
彼の野望は、こうしてあっけなく潰えたかのように見えた。
「じゃあ台本を書き直せばいいんだな?」
アルシャマがそう言わなければ。
「期限は14日後だ」
ラヤロップがそう言わなければ。
「よろしい。やってみたまえ」
その場のノリで卿が同意しなければ。
ローエンの夢は夢のままに終わっていただろう。
子供の頃から演劇が好きだった。
劇に連れて行ってもらう度に、自分はいつか芸術監督になるのだという確信を深めた。
家を飛び出したとき、自分には何も無かった。
今では、仲間がいる。
劇の台本を読み込むうちに、演技指導するうちに、史上最悪の魔人メクセトのことが、好きになりかけていた。
神々と戦うメクセトには、支配欲の他にも、何か動機があったに違いないと。
それは復讐。
絶大な力を誇りながら、ただ世界を傍観するだけの神々への、義憤。
自分なら、ただの魔人なら、もっと上手く世界を支配できるという、確信。
これほどまでに強いのに、なぜ自分は神ではないのかという、疑問。
全ての答えは、神殺しの果てにある。
魔人メクセトは――そう考えたに違いない。
ローエンは宿のベッドで夢を見る。最悪で最高の夢を。
竜が、舞っていた。
マレタ上空に、竜が舞っていた。
圧倒的な存在感とは、こういう馬鹿馬鹿しいやつのことを言う。
ただ存在するだけで、トジコの猫を嘲笑い、ツツミコの魔女を侮蔑し、マキコのクラゲに微笑むかのように。
竜は舞う。竜は見る。地上を睥睨し、目的を見定める。
のちに未確認飛行物体として記録される、紀竜デザーネンスは、呟く。
「さて、アルセスの奴はどこにいったかな。奴の謀に間に合うといいのだが……」
雲間を進むデザーネンスの眼前に、門〔ポータル〕が開く。これにはさすがのデザーネンスも驚いた。
現れたるは小さな猫、トジコの王ヒルテであった。翼ある猫の背に立ち、威風堂々と語りかける。
「余はトジコ=マレタの王ヒルテである。ヘギュラという者が語るに、貴殿が『竜』であるとはまことの事か」
「いかにも」
話が早すぎる。さては誰かに予見されていたか。全て隠密理に運ぶつもりだったが、そうもいかないらしい。
「我ら猫に対する絶対者よ。お目にかかれて光栄の極み。これまで伝説上の存在と思っておったこと、深くお詫び申し上げる。」
「まあそう鯱張るな、王よ」
デザーネンスは言った。
「何も戦争をやりにきたわけではないのだ。ただ、アルセスの動きが気になってな……」
「失礼だが、アルセスとは?」
「総ての神々の長、主神アルセスじゃよ。それが、いま地底に来ておる。確かな筋からの情報じゃ。さて、語り合いたいのは山々じゃが、あいにく友アルシャマが待っておる。先を急がせてくれんか」
ヒルテの眉間に皺が寄る。
「失礼だが、今、何と?」
冒険者アルシャマ。その名はもはや、トジコの猫にはよく知れた名であった。
なにしろ、将軍イクスバルを知謀で打ち負かした地上人である。マレタ史上初の「猫越え」を果たした人間である。
将軍がいくら言葉を濁しても、噂というのは広まり伝わるものである。
「儂は紀竜デザーネンスじゃ。竜に対する絶対者、猫ヒルテよ。アルシャマの奴の居場所を知っているのかね?」
「ええ、知っています。今アルシャマはここに居ます」
そして、ヒルテはその小さな爪で、雲間に見えるトレドマドの城塞を指し下ろした。