49. 魔女ヘギュラ その1
饗宴は豪華だった。王ヒルテ発見さる、の知らせはトジコ全域に広まっていた。
コキューネーの施術でひとりぼっちの呪いは解け、王のまわりには猫と人に満ちた。
しかし、ヒルテは小さな猫であった。臣下の猫と比べても格段に小さい。人よりも小さい。
もしや王は未だに呪いの最中におるのではあるまいか。そのような憶測や噂が飛び交った。
宴は三日三晩続き、苦草の魔女ヘギュラがやってきたのは最後の晩のことであった。
「この私を呼んだのはあんたかい?イクスバル」
苦草の魔女は乾いた草で編んだ帽子を目深に被った姿でいた。ドライフラワーのお化け。そう形容すべきだろうか。
猫も人も近寄らず、周囲には異様な空気が張りつめている。
「いかにもそうだ。苦草の魔女、ヘギュラよ。二三聞きたいことがあってな」
「お隣は何者だい」
「私は地上の魔女、コキューネー。さりげなく善悪を司っているの」
「ふん。なら、お門違いだね。今回の話に善悪は無いんだから。ねえ?ヒルテ坊や」
王ヒルテに視線が集中した。
ヘギュラはリッチーである。
成長の鈍化から成るツツミコの魔女とは違う。有り余る魔力を以て「死」を乗り越え、そのまま突っ走り、永遠の命にまで到達した、そんな魔女である。
黒髪黒目の外見年齢17歳だが、実際は300歳以上。自分は臭いと思いこんでおり、無数のドライフラワーはにおい消しに纏っている。
そして、同じ場所に、魔女が、二人居る。
大気は震え、猫すらもビビり、人は散る。
「あたしに質問したけりゃ、力ずくで聞き出すんだねえ」
ケタケタケタ。魔女の笑い声。ケタケタケタ。ケタケタケタ。
イクスバルが吠えそうになるのを、コキューネーが制した。
「その勝負、受けて立つわ」
コキューネーが言った。
脳髄洗いのコキューネーは眼鏡を掛けた理知的な女性である。正義と善の執行者であり、悪人の更生をモットーとする。
その六つの大脳の処理速度は常人からかけ離れ、未来予知すらも可能な域に達していた。
ヘギュラの最初の〈排撃〉は、コキューネーの眼前で炸裂した。
しかし、コキューネーはそれを予想しており、〈防壁〉が爆圧を消し去る。
続けざまに放たれる〈排撃〉を避けて、コキューネーはパラソルを広げて空中に舞う。地上の猫と人を傷つけぬよう、コキューネーは意図して空中戦に持ち込んだ。
しかしまだ、それがヘギュラの作戦であることには気づいていなかった。
〈排撃〉。それは特定の空間に設置する地雷のような呪い。
設置から起爆までにタイムラグがあることから、相手の手元の術式を観測てから解析・対応するコキューネーのいつもの戦術〈観察〉は通用しなかった。
そして十数の爆発を空中で避けてから後、コキューネーは気付く。爆圧のバランスが制御されている。相手を特定の空間に押し込めるように!
〈舞踏会終了のお知らせ(エンド・オブ・ダンス)〉
巨大な花火が、パーティー会場の上で炸裂した。
魔女が魔法を使うと、世界がゆらぐのだという。
揺らぎ、揺らいで、揺らめく。世界は静謐なる光に照らし出された、真実の影法師に過ぎない。
コキューネーはパラソルを広げ、結界魔術〔イン・ザ・パラソル〕で身を護っていた。
爆風が去る。刹那に地上を見下ろす。そこに魔女、ヘギュラがいた。
相変わらずヘギュラの手は印を組み続け、今もコキューネーの周りには、ヘギュラへと至るその道には、排撃系の設置魔術が散りばめられているのだろう。
やれやれだわ。コキューネーは思った。
両手を前に突き出し、〔紀〕の力を生じさせる。魔女が紀ーボードを叩けば、世界のそのありようを変えることができる。
今欲っするのは些細な願い。周囲の世界から、排撃という魔術術式のメカニズムを、それだけを取り除く。
呪文削除〔マジックデリーター〕
オールコンプリート。文字が煌めくと、コキューネーの周囲にあった設置型術式が即座に消失した。
「さて、次は何をしてくれるのかしら?」
魔女はパラソルを掴み、地上に降り立つ。地上の魔女コキューネーは、眼鏡を直す。その表情はふふと笑っていた。
ヘギュラの爆撃の呪文が完成する前に、コキューネーの防壁が完成していた。
コキューネーと相性の悪い設置型術式でなければ、相手の出方を見てからの後出しじゃんけんが使える。
コキューネーの観察眼と呪文を唱える速度のおかげで、魔術戦ではチート級の無敵さであった。
数十の爆撃の多重詠唱を完璧に防ぎ切ったことで、コキューネーはヘギュラを侮った。こんなものか、と。
呪文は足で唱えることもできる。コキューネーはヘギュラの長々しい兎歩を――大魔術を見逃した。
「前ばかり見るもんじゃないよ……」
ヘギュラが呟く。その刹那。
五千百度の炎〔ブレイスヴァ・オブ・グロウリー〕
「し、しまっ……」
コキューネー咄嗟に傘を突き出すものの、無論間に合わない。
空は、否、炎と化した空は好き放題に荒れ狂い、コキューネーをぼろ雑巾のように焼き焦がす。
「あたしの勝ちかね」
ヘギュラはぜえはあと肩で息をしながらも、まだ空を睨んでいた。