44. ハルシャニアの海
ツツミコ=マレタからマキコ=マレタに行く道は、二つある。
城塞交易都市トレドマドを通る道と、通らずに行く道である。
最初、ローエンは後者だと思っていた。ラヤロップさんはマキコ地方に用があるのであって、トレドマドには用が無いはずだったから。
しかし荷馬車の中の人に聞くと、荷馬車は順調にトレドマドに向かっているという。
「ローエンが前言っていたように、トレドマド大劇場で劇団マレナカッタの劇をやろう」
ラヤロップがそう語り、アルシャマが大きく頷いた。それで決まり。
ローエンの希望を取り入れ、意見は無視するという離れ技であった。
一方カリュカは、劇団員たちに自分は暗殺者であると自己紹介したが、ネタだと思われて笑われたのがショックだったらしく、いじけていた。
【次回予告】
ついにマキコ地方の海がハルシャニアに飲み干された。
王女と黒クラゲはハルシャニアを誘拐、禁断の魔術《ハルシャニアの海》の解放による海の復活を狙う。
全てが蒼く染まる時、水モグラのミモザの手はハルシャニアのもとへと届くのか。
次章 ハルシャニアの海
【探偵パーカス】
パーカス「では、探偵の僕が状況を整理しましょうか」
水辺の高いところに立って、パーカスはパイプをくゆらせていた。そんなパーカスの特殊能力は読心術〔サイコリーディング〕であった。
「そこのハルシャニアさんは地上の魔女です。性格は変人ですが、実力的には超強い御方です」
水モグラのミモザがヒゲをピクピクさせながら頷く。
「クラゲンジャーレッドさんは、ハルシャニアさんを守っています。なぜなら、ハルシャニアさんがオニクラゲと敵対すると話がこじれるからです。ナナータ王女もちょっとだけ自重してください」
探偵。それは全てを俯瞰する存在。しかし――
「探偵ごときが王女である妾に口を挟むな。この平民どもめ!」
王女ナナータは、オニクラゲを釣り竿の先にくっつけた秘密兵器を降り投げ、ハルシャニアを包んでいた水蒸気を突破する。
「なっ!?」
「これぞ魔女の一本釣りよ!!」
オニクラゲとの接触トラウマで気絶したハルシャニアは、難なくオニクラゲに捕らえられ、釣り上げられる。
「レッドよ! ハルシャニアを取り戻したくば、クラゲリオンで来るがいい。なぶり倒してくれるわ!」
オニクラゲの叫びに、レッドも腹を決める。
「いいだろう! だがハルシャニアの扱い方には注意しろよ。返品不可だからな」
ハルシャニアが気付いたときには、両の手を縛られていた。
これでは大呪文や儀式呪文、召喚呪文などは使えない。
加えて、水と守りに特化した呪文を使うハルシャニアは、脱獄という行為はあまり得意ではない。
が、やってやれないことはない。なにせハルシャニアは、紀神キュトスの欠片なのだから。
霧変化。それは水系防御の呪文。己の身を霧に変え、ダメージを無とする呪文。
するすると、縄を抜け、牢屋から離れ、長く薄く変化する。体が破壊神ダーククラゲリオンの地図を覚えこむまで。
オニクラゲがハルシャニアの消失に気付いたときには、ハルシャニアは王女ナナータの部屋の隅に立っていた。
「海水……飲ませて……」
王室の中。背後からのハルシャニアの呟きは、ナナータ王女を驚愕させた。
「な、なぜここに?ええい、オニクラゲの牢屋番は何をしておるのじゃ!」
「私はハルシャニア……海を飲み干す者……海水……どこ……」
「ま、待っておれ。参謀級のオニクラゲなら知っておろう。わらわが呼び鈴を鳴らせばすぐにやって来よう」
リンリンリン。鈴が鳴る。護衛のオニクラゲが部屋になだれ込んだ。
空中に槍が生まれ、そしてオニクラゲたちを貫いた。ハルシャニアはクラゲが嫌いだったから、何の躊躇いもなく蒸気の槍を唱えた。
多重詠唱。無数の槍。ことごとく貫かれたオニクラゲは悲しいほどあっけなく崩れ落ちた。
まるでしおれた花ね。ハルシャニアはそう想った。
残ったのは眼鏡をかけたクラゲだけだった。もちろんわざと残したのだ。
「……海水は何処?」
ハルシャニアは問い掛けた。
答えなければ何度でもリピートする覚悟を感じさせる問いだった。
ハルシャニアは海を飲む。ごくごくと。ごくごくと。変わらぬペースで。
ナナータ王女の見る先で、ハルシャニアはまるでそれが存在意義であるように、海を飲む。
その果てにあるのは海の消滅。水運のマキコ地方の終わり。マレタ全域レベルの災厄。
決戦を急がねばならない。ナナータ王女はコックピットに搭乗し、ダーククラゲリオンを起動する。
ういいいん。歯車は高速に回りだし、鏡は周囲の地形を映して像を結ぶ。
ダーククラゲリオン。伝説にあやかって暗黒神のコードネームで呼ばれるそれは、ハルシャニアを踏み潰すことを試みた。
ぱしゅん。
それは波の砕けた音によく似ていた。
ハルシャニアは砕けた。海の波がしらが砕けるように、それが当たり前であるかのように。
ハルシャニアは砕けて見えなくなった。砕けて、ハルシャニアは海に混ざった。混ざってしまった。
その時、ハルシャニアは海になった。
コックピットを離れ、ダーククラゲリオンの足元を見にきたナナータ王女は、影も形もないハルシャニアを思って恐怖を感じた。自分はやってはならないことをしてしまったのだ。そのことだけは確実に感じられた。
雨がぽつりと落ちた。
ざあと雨が降る。ナナータ王女は濡れた。降る雨はハルシャニアの欠片だった。決して死なない海飲みの魔女の、更なる断片として。雨粒。
恐怖に負けて、ナナータ王女は小さく悲鳴を上げた。
その日以降、ハルシャニアはマキコ地方のいたるところで目撃された。
だが、魔女の形を成していても、人が近づくと……ぱしゃん。崩れてただの水になってしまうのだ。それはレッドも、ミモザも、ナナータも、パーカスも、誰であっても同じことだった。
何が起きているか把握している者は皆無に等しかった。ある者は、ハルシャニアは海と一体になってしまったと言った。またある者は、ハルシャニアは死んだか、あるいは瀕死であると言った。
どれも答えからはかけ離れていた。だから、新手の魔女が現れるまでの時間は、十分あったといえる。
パラソルを開いて、コキューネーは現れた。雨音はリズムを刻み、詩を歌っているようだった。
いや、コキューネーならば、それほどの芸当も朝飯前なのかもしれなかった。コキューネーはいうなれば、全てにおける天才なのだから。
「かわいそうな妹」
コキューネーはぽつりと呟く。いや、海と一体化したハルシャニアは、存外に幸せなのかもしれないが。
「雨よ集まれ。妹を呼び戻せ」
言理の力に導かれるままに雨は降り、ハルシャニアの姿が、陽炎のように立ち上がる。
「おかえり、ハルシャニア」
コキューネーが抱きしめても、ハルシャニアは崩れなかった。
同じキュトスの欠片同士、魂は自ずと引かれ合う。ハルシャニアの実体は、そうして、蘇るべくして蘇った。
長く続いた雨は、その日で終わった。




