33. コキューネー
【脳髄洗いのコキューネー】
夕闇の中、パラソルに乗って。ゆらゆらと。ゆらゆらと。また一人、地底に降り立つ魔女がいた。
スカートの裾を押さえ、下方の距離を確認しながら、ふわりすとんと着地する。
だが、そこは断崖の「先」だった。
ントゥガの監視兵はいちはやく侵入者に気づくと、鎧ハエの斥候を放つ。
「侵入者だ。変な奴だが侵入者には違いない。そして槍に近づくなら容赦はしないさ?ことごとく?なにもかも?」
監視兵は狂気を呟く。あるいはそれが、ントゥガの正気なれば。
鎧ハエは紅の単眼と顎、産卵管の他は、すらりとした白い鎧に覆われている。
その二枚の羽の先には鎧羽が伸び、そのおかげで音も無く飛ぶことができた。夕闇をぬるりと横切るように、鎧ハエは飛ぶ。
「うん? もうお出迎え?」
そのあるかなしかの空気の振動を、靴の埃を払いながら、コキューネーは聴いていた。
鎧ハエの一瞬の静止は、犠牲者への慈悲ではない。
ただ産卵管の狙いを付けるためのもの。
次の刹那、対象の頭部を貫くか、打ち砕くための、死のモーション。
それはコキューネーにとって永遠の時間を意味した。
あらかじめ高めてあった脚力がバネのように大地を蹴り、鎧ハエの単眼の前にふわりと浮かぶ。
視界を遮られた鎧ハエが羽の角度を変え、その場から離脱しようとするのは予想通り。
その一瞬前に、コキューネーは鎧ハエの関節の中に指をすっと差し入れ、蟲特有の反射的な思考を停止させる。
鎧ハエは空中で静止し続ける。次の命令が来ないから。
次の命令は次の命令は次の命令は次の命令は次の命令は。
コキューネーは空中で体をひねるようにして、その背に飛び乗る。
「いきなり人の頭を吹き飛ばそうとするなんて、悪い子ね。でも飛べるのはあなたの長所よ。一緒にハルシャニアを探しに行きましょう?」
疑問さえ持たずに、蟲はコキューネーのお願いを遂行する。
夕闇をぬるりと横切るように、鎧ハエとコキューネーは、ントゥガの断崖を内側から外側へと越えていった。