24. インクジゲーム その2
その夜。カリュカは人気の無い宿にいた。アルシャマはベッドに寝かされている。
――この儀式で勝利しなければ、意識は戻らない。
カリュカが持つ医学の知識を総動員した結果、村人が言っている言葉が事実であることが分かった。通報を受けた最初のインクジがやってきたとき、この村の多くの人々は、既にそういう状態にあったのだという。
てっきりアルシャマは死んでも死なない系だと思っていた。猫にも勝ったのに。悪魔には勝てないとでもいうのかよ。ちくしょう。
疲れきったカリュカがベッドに身を投げ、天井を眺めていたとき。
自分の行動に間違いがあったのではないかと弱気になっていたとき。
唐突にドアをノックする音だけが聞こえて、カリュカは跳ね起きた。
その他一切の物音無しに? ドアの音「だけ」が?
「真夜中になっちまう前に、ちょっと話がある」
そう言って簡単にドアを空け、大きく身を屈めてドアから入ってきたのは、どこからどう見ても【犬】だった。
確か、この部屋には念入りに鍵をかけておいたはず。それを全部無視しちゃうんですかそうですか。
【犬】は、猫に絶対の忠誠を誓う最高の狩人である。カリュカはあまり神話に詳しくなかったが、たしか大昔に人類に滅ぼされた種族だったはずだ。
犬のような暗殺者――これは暗殺者にとって、最大級のほめ言葉だ。生まれつきの完璧な暗殺者。人類の敵。それが今、カリュカの目の前に立っていた。
「この男とあんたは、他のやつらと匂いが違う。僅かだが猫の匂いもする。
少しは信頼できるかね? 俺があんたを? あんたが俺を?」
「俺は、トジコの猫とは――知り合いだ。何度か食事を振舞ってもらったこともある」
カリュカは慎重に言葉を選んだ。犬の舌はあらゆる嘘を見抜くと伝えられている。振舞ってもらったのはマズイ飯のほうだが、嘘はついていない。
「決まりだな、猫の友よ。俺はあんたを信じよう――あんたが俺を信じるのなら」
「信じるよ」カリュカは自分の口から出た言葉の大きさに驚いた。
机の端で、ろうそくがじりじりと燃えていた。
「これはインクジ・ゲームだ。悪魔はこのゲームに何かの価値を感じていて、負けたらおとなしく去る。とにかく『おとなしく去る』ってところが重要だ」
「これでもおとなしいのか?」
「最悪でも一つの村で済むからな」
「インクジは憑依されない」
「インクジに憑依しようとすれば――ああ、憑依されそうになったことは分からないんだが――悪魔は元の身体に留まる」
「元の身体は消耗していて動けないから、1回休みだ」
「あんたが本物の【インクジ】なのか?」 カリュカは率直に訊いた。
「今日は、な」
「いいか。インクジの証〔ライセンス〕は、移動できる。インクジってのが本当は何なのか、俺は知らん。今話している内容も、前のインクジの受け売りだしな……」
「ま、証〔ライセンス〕の移動は、悪魔にとっていつも頭痛の種なんだ」
「だがインクジが倒されたり、もし万が一、証が悪魔に移動すれば」
「インクジは一時的に、丸一日不在になる」
「このとき村人が減りすぎていれば、俺たちの負けだ」
「……」
「しかしもしインクジが悪魔を見つけられたなら」
「その証〔ライセンス〕を皆に見せればいい。悪魔本人を除く全員が悪魔を攻撃するだろう」
「真夜中が近い――猫の友よ。明日は、俺を信頼するなよ?」
この部屋にやってきたときと同じように、【犬】は音も立てずに去っていった。
もちろん、信頼の証として、全ての鍵を掛け直して。
インクジの証〔ライセンス〕を握り、真夜中を過ぎたのを確認してから、カリュカは行動を開始する。
悪魔は――俺がインクジゲームのルールを「ほとんど知らないまま」かもしれないと考えている。明日、怒りに我を忘れた俺がローブの女に
「復讐」のダメージを与えるかもしれないので、悪魔は、今夜だけは確実に他人に憑依し移動しておく必要がある。
その一方、インクジがリスクをおかして俺に接触し、正しいルールを教える可能性もある。このとき、ルール説明のついでにインクジの証を移動させるかもしれない。
この二つの問題を回避するために、悪魔は最初から安全策を取るだろう。
きっと「俺以外」に憑依しようとする。ならば、明日のローブの女は、白。
だがそれでも――。
ローブの女は今夜のうちにちょっと「脅かして」おく必要がある。俺がまだルールを理解していないと悪魔に思わせるために。
カリュカはくらやみの中、暗視用のゴーグルを掛け、愛用のナイフを握った。
【犬】ほどじゃないが、俺も暗殺者なんだぜ? そんな自負と共に。