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第174話「チャック・ノリス・ファクト」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、タフネスを絵に描いたような者たちが集まっている。そして日々、強さと完璧さを求めて、自らを鍛え続けている。

 かくいう僕も、そういった比類なき屈強さを誇る系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、英雄的な面々の文芸部にも、ごくごく普通の人が一人だけいます。ヘラクレスの群れに紛れ込んだ、庶民派女子中学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横に寄り添って座る。先輩は、小さくて細くて、思わず守ってあげたくなるような容姿だ。僕は男の子として、そんな楓先輩を、危機から華麗に救いたい。お姫様抱っこをして、炎を背後に背負いながら、雄たけびとともに危地を脱したい。そんな妄想を抱きながら、僕は先輩に声を返す。


「どうしたのですか、先輩。ネットで知らない単語を見かけましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの生き字引よね?」

「ええ。菅原道真ばりの、ネット知識とネット教養を持っています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、休日でも執筆するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、膨大なフレーズを見てフリーズした。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「チャック・ノリス・ファクトって何?」


 また変わったものを拾ってきたな。日本ではそれほど有名ではないが、世界的にはよく知られた、ネット時代の都市伝説だ。そして、現代的慣用句だ。チャック・ノリス・ファクトは、俳優チャック・ノリスの偉業をたたえる、数々のネタフレーズだ。

 おそらく楓先輩は、チャック・ノリスを知らない。僕は、そこも含めて、チャック・ノリス・ファクトについて説明を始める。


「チャック・ノリス・ファクトは、日本語に翻訳すれば、チャック・ノリスの真実といった意味合いの、数々のジョークです。このチャック・ノリスというのは、アメリカのアクション俳優で、その強さと完璧さで知られた人物です。

 二〇〇〇年代になり、このチャック・ノリスの、すごさをたたえるフレーズが、ネットで大量に作られ、様々な場所で利用されました。その数は、百万種類あると言われており、それは、一つのポップカルチャーを形成しています。論より証拠。その膨大なチャック・ノリス・ファクトの一部を紹介しましょう」


 僕は、記憶しているチャック・ノリス・ファクトを語りだす。


「チャック・ノリスは、腕立て伏せをするとき、自分の身体を押し上げるのではない。世界を押し下げるのだ!

 チャック・ノリスはハンターだ、だがチャック・ノリスはハンティングなどしない。ハンティングには失敗が付き物だからだ。チャック・ノリスは殺しに行く!

 チャック・ノリスは、玉ねぎを泣かせる!

 チャック・ノリスは、時計をしない。彼が今、何時何分かを決めるのだ!

 チャック・ノリスは、死を恐れてなどいない。死が彼を恐れているのだ!

 合衆国には、四つの合法的な処刑方法がある。 致死量の注射、ガス室、電気椅子、チャック・ノリス!

 チャック・ノリスに襲いかかることは、司法では『チャック自殺』として扱われる!

 チャック・ノリスは、直角が二つもある三角形を書くことができる!

 チャック・ノリスは、円周率の最後の二桁を知っている!

 チャック・ノリスは、コードレス電話でも人を絞め殺すことができる!

 チャック・ノリスは、既に火星に行ったことがある。火星に生命反応がないのはそのためだ!

 宇宙が膨張を続けているのは、チャック・ノリスからずっと逃れようとしているからだ!」


 僕は、チャック・ノリス・ファクトを熱く語る。楓先輩は、ノリノリの僕に驚き、尋ねてきた。


「チャック・ノリスって、何だかすごい人なのね。でも、そういう風に扱われるということは、どこかコメディ的な要素がある人なの?」


「そういうわけでは、ありません。真面目なのが一周して、定番ネタとなり、そこからギャグになるという感じですね。ちなみに、ネットを中心に人気の出たチャック・ノリス・ファクトは、彼が登場する映画にもフィードバックされています。

 新旧のアクションスターが共演する映画『エクスペンダブルズ2』では、メタ的なネタとして、このチャック・ノリス・ファクトが利用されています。


 映画中では、シルヴェスター・スタローンが、チャック・ノリスにこう尋ねます。『俺は、あなたがキングコブラに噛まれたと噂で聞いたが?』その台詞に、チャック・ノリスはこう答えます。『ああ、その通りだ。五日間もがき苦しんだあとに……コブラは死んだ』

 この映画では、チャック・ノリスは他の俳優より、一ランク上の猛者として扱われています」


 僕の熱い説明を聞き、楓先輩は、大いに興味を持ったようだ。先輩は、チャック・ノリス自身について聞いてきた。


「チャック・ノリスという人は、みんなに愛されているのね。それは、やっぱり、映画の役柄が愛されているからなのかしら?」

「ええ、それもあります。しかし、チャック・ノリスという人物については、映画の配役だけが人気の秘密ではないのです。彼自身もすごい人なのです」


「えっ、そうなの?」

「はい。チャック・ノリス・ファクトを理解するためには、彼自身の経歴も知っておいた方がよいでしょう。彼の強さは、映画の中だけではないからです。

 チャック・ノリスは若い頃に、アメリカ空軍に入り、その時期に武道と出会います。そして退役後に空手道場を開設します。彼は空手の国際大会で、チャンピオンになります。そして、世界プロフェッショナル空手選手権のミドル級チャンピオンとして、六年間タイトルを保持して、無敗のまま競技生活を終えます。


 チャック・ノリスが映画の道に、本格的に入ったのは遅いです。その契機には、二人の人物が関係しています。

 一人は格闘家としての親友ブルース・リーです。チャック・ノリスの本格的な銀幕デビューは、ブルース・リーの映画『ドラゴンへの道』になります。この映画では、ラストに当たる、ローマの闘技場でのブルース・リーとチャック・ノリスの死闘が印象的です。この時期、チャック・ノリスは三十代前半でした。


 チャック・ノリスが、俳優として人生を歩もうと決心したのは、三十六歳の時でした。友人であり、道場の門下生でもあったスティーブ・マックイーンのすすめにより、彼は新しい道を歩み始めることになります。

 その後、自らの足で、投資家への説得や地道な広報活動をおこない、インディペンデント作品を作ります。彼は、劇場を一つ一つ借りるという地道な活動をおこない、黒字化を果たしていきます。そして、大手の配給会社と契約するようになり、アクションスターに、のし上がっていきます。


 チャック・ノリスは、映画だけの人ではありません。アクション・テレビ・ドラマ『炎のテキサス・レンジャー』でも大ヒットを飛ばします。このドラマで彼は、製作総指揮、ストーリー考案、脚本、主演、主題歌と幅広く才能を発揮しています。


 また彼は、作家であり、政治評論家であり、実業家であり、社会運動家でもあります。二〇〇四年に出した自叙伝と、二〇〇八年に出版した文化政治評論の本が、ニューヨーク・タイムズ選定の全米ベストセラーになっています。

 さらに、南北戦争を舞台にした小説も書いており、コラムニストとしても活躍しています。ボランティア財団も運営しており、政治的な活動も広くおこなっています。


 このようにチャック・ノリスは、ただの俳優ではなく、才能と意欲に溢れた、人々に愛されるカリスマなのです。まあ、日本では、あまり有名ではないのですけどね」


 僕は、チャック・ノリスについて、楓先輩に大いに説明した。


「なるほど、そういった人だったのね。でも、なぜそんな人が、ジョークのネタになったりするの? ちょっと不思議よね」


 楓先輩は、どうしてだろうという表情で、僕の顔を見上げた。僕は、素早く頭を巡らせて、その背景を考える。


「おそらくそこには、アメリカ合衆国の伝統があるのでしょう。アメリカでは、開拓時代から続く、ほら話の伝統があります。辺境で孤独な生活を送っていた彼らは、たき火などに寄り集まり、自分たちの強さや勇敢さを、様々な話にして語り合ったのです。それらの話は、アメリカ人の性格やユーモアを形作っていきました。


 そういった中から、いくつかの英雄的人物が誕生しています。実在の人物であるマイク・フィンクや、ジム・ブリッジャー。また伝説上の人物である、巨人のきこりポール・バニヤンや、ジョン・ヘンリー。

 ちなみに、チャック・ノリスの風貌は、巨人のきこりポール・バニヤンにそっくりです。


 このような文化的な背景の中から、チャック・ノリスは一人の英雄として、アメリカの人々に受け入れられていったのだと思います。アメリカ人は、アメリカン・ジョークに代表されるユーモア好きとして、知られていますしね」


 僕は、楓先輩の質問に答えた。先輩は、なるほどといった顔をしたあと、僕に向き直った。


「ねえ、サカキくん」

「何でしょうか、楓先輩?」


「チャック・ノリス・ファクトみたいなことを、私もやってみたいわ」

「どういうことですか?」


「サカキくんが、雪村楓ファクトを考えて、私が、サカキ・ユウスケ・ファクトを作るの。それじゃあ、サカキくんからね」


 楓先輩は、チャック・ノリスを知らない。だから、僕たち二人の真実で、ジョークを楽しもうと発想したのだろう。よし。僕は、楓先輩の真実を考案しよう。僕は、少し考えて口を開いた。


「楓先輩は、本を読むのではない。本が、楓先輩の手の中に飛び込んでくるのだ」

「うーん、いまいちね」

「そうですか」


 駄目出しをされた。僕は仕方がなく、次のファクトを考える。


「楓先輩は、文芸部に入部したのではない。楓先輩のために文芸部ができたのだ」

「そんなことはないよ。私が入る前に、満子が文芸部を立ち上げていたもの」

「えー、そうですね」


 どうやら、僕の考えたファクトは、楓先輩のお気に召さなかったようだ。仕方がなく、選手交代して、楓先輩に、僕のファクトを作ってもらった。


「サカキくんは、エッチなサイトを見るのではない。サカキくんが見るサイトが、エッチなサイトなのだ!」

「ちょ! 僕はそんなに、エッチなサイトを見ないですよ!!」


「サカキくんは、変態知識を集めているのではない。サカキくんが集めた情報が、変態知識になるのだ!」

「そ、そんな! 僕は、普通の知識も集めていますよ!!」


「サカキくんは、ネットに溺れているのではない。サカキくんが溺れる場所がネットなのだ! そして、サカキくんは、どこでも溺れる!」

「うえっ? どういうことですか?」


「サカキくんは、ネットオタクではない。ネットオタクになった人が、サカキくん化するのだ!」

「もう、わけが分かりませんよ!!」


 楓先輩は、百万種類作りそうな勢いで、サカキ・ユウスケ・ファクトを口にした。

 これはまずいと思い、僕は先輩を止めようとする。しかし、怒濤の勢いは止まらなかった。それから三日ほど、楓先輩は、僕のファクトを考案した。そして、三日目にぱたりと、その創作はやんだ。


「はあはあ、楓先輩。ようやく、やめてくれましたか」

「うん。サカキくんのファクトは、よく考えたら、半分ぐらいの数が、真実ではないものね」

「え……」


 半分は真実ではない、ということは、残り半分は真実だと思っているのか。僕は、楓先輩から、どういった人間だと思われているのか不安になった。


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