[7]「予期せぬ申し出」
「――と言うか、知ってるんですね?」
「えっ?」
確信を持って問うと、杜愛先輩は子供のように眼を丸くした。
いや、「えっ?」じゃないっすよ先輩……。
「さっきから俺の名前ナチュラルに呼んでるじゃないっすか」
「そ、そうだったかしら? でも、それなら巽くんだってわたくしの名前を」
「先輩、自分が校内でどんだけ有名人だと思ってるんですか」
「それは……確かにわたくし大きいから、クラスでは目立ってしまうけれど」
「いや、そう言う次元の話ではなくてですね」
「……と言うと?」
「先輩、綺麗だから、学校中にファンがいるって言ってるんです」
「いやん……綺麗だなんて――巽くんだって、すごくかわいいですよ?」
「ぅぐっ……か、かわいいとか言わないで下さいっ」
その形容を男子にするのは侮辱以外の何物でもないと俺は常々思っているんだが。
……しかし、先輩に言われると少しだけ嬉しいような照れ臭いような。
――って、そうじゃないだろ!
このままじゃどんどん話が脱線して行ってしまいそうだ。
「とにかくっ、先輩みたいな有名人ならともかく、俺みたいな凡人を先輩が知ってるのはおかしいでしょっ」
「ええと――たまたま、そう、たまたまですよ」
「たまたま、俺の家が父子家庭で、親父が留守がちなことも知ってたんですか」
「え、えっとぉ、えっとぉー……」
先輩は今度こそ言い逃れの言葉が浮かばず、
「……くすん。あんまり、お姉さんを虐めないで……?」
なんて、うっすら涙を浮かべた上目遣いで言い放った。
……あの、俺が悪いんですか? 俺が責められなきゃいかんのですか?
答えてくれるヒトなんていなかったけど……まあ。
「……分かった、分かりましたよ、もう詮索はしません! ……ずるいなあ、もう」
諸手を挙げて降参した。……最初から、勝ち目なんてなかった気もするが。
「うふふ、女はずるい生き物なんです。……でも、それを分かっていて引いてくれるのですから――巽くんは、いい男ですね?」
「かわいい」よりはましだったけど、からかわれているような気がして素直には喜べなかった。
しかし、こうして実際に話してみると、先輩は意外と気さくと言うか、お茶目と言うか、イメージよりずっと話しやすいヒトなんだ。
それが、何だか嬉しい。
……と言ってもまあ、先輩が高嶺の花だってことには変わりないけど。
それに、本当のことを話してくれなかったってことは、結局、先輩にとって俺はその程度の人間だってことなんだ。
だから、
「……シシィ――ハイリガーさんとの関係についても、話しては貰えないんでしょうね」
「……ごめんなさい」
諦め声で言った俺に、先輩は辛そうに俯いて言った。
……今は、そうして辛いと思ってくれるだけで十分だ。
だって、今の俺は杜愛先輩にとって――何者でもないのだから。
「……逆に、わたくしが聞くのはルール違反かしら」
納得しつつも押し黙った俺に、ふと杜愛先輩が漏らした。
そんなこと、聞くまでもない。
「いえ、どうぞ。俺には、先輩に隠さなきゃならないようなことないですから」
言ってしまってから少し皮肉っぽかったかなと思ったが、幸い先輩は気にしていないようだった。
ほっとしたように微笑んでから先輩は言った。
「……ハイリガーさんとは、どんな? ……親しいのかしら?」
口調は優しかったが、問い詰めるような雰囲気でもあった。
もっとも、聞かれることは半ば分かっていたし、やはり隠すようなことも何もない。
「どんなも何も、彼女は今日、うちのクラスに転校してきたばかりですよ。特に何かあったってわけじゃないし――まあ、妙に積極的な子だなとは思いましたけど、外国人ですしね」
「積極的? どんな?」
何でもないことを言ったつもりだったが、先輩は思いの外食いついてきた。身を乗り出すようにして、俺の顔を真っ直ぐに覗き込んでくる。
思わず気圧されながらも、俺は続けた。
「いや、何て言うか……クラスのリア充どもを差し置いて俺に近付いてきたと言うか」
「近付いて……?」
「つってもあれっすよ、校内を案内しただけで、特に変わったことは」
「何か話した?」
「いや……世間話程度だったと」
「思い出して」
執拗に食い下がるので、首を捻って昼間のことを思い出す。
……ああ、そう言えば。
「――お互い、眼が優しいなって」
「え? 眼が、優し……い?」
心底驚いたような顔で先輩は言った。
「眼が優しいって、あの方の――あの、金色の眼が、ですか?」
「え……ええ」
俺が頷くと、先輩は眼を丸くして――やがて、呆れたように笑った。
「っ……なるほど、確かに巽くんは優しいですね、お人好しなくらいです」
口元に手を当てて、くすくすとおかしそうに笑う先輩。
何だか馬鹿にされているような気もしたが――不思議と、悪い気はしなかった。
「――しかし、ようやく思いつくのがそんなやり取りとなると、あの方は思ったより……」
一頻り笑った後で、先輩はそんなことを漏らした。
だが、続きを待ってもそれ以上の言葉はなかった。
とは言え、こちらから告げるような言葉も思い浮かばない。
まるで人見知りの子供のように黙りこくっていると、先輩はふいに言った。
「ところで、巽くんは毎朝、何時頃に家を出ていますか?」
「え? あ、えっと……だいたい七時半には……」
意図は分からなかったが、取り敢えず答えておく。
――と、先輩はふと満面に笑みを浮かべて、迷いなく言った。
「では明日、その頃にお迎えに上がりますね、支度を済ませて待ってらして下さい」
「あ、はい、分かりまし……た?」
答えた瞬間、頭が真っ白になった。
今、俺は何を言われた? 先輩は何を言った?
……迎えに来るって。
……え?
――えっ!?