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[6]「異国の晩餐」

 遊歩道を逸れ、杜愛先輩に連れられるまま暗い杜の中を進むと、やがて、左右に延々と伸びるフェンスに行く手を阻まれた。

 つまり、そこから先は私有地である『犬鳴杜』だと言うこと。

 フェンスには施錠された出入り口が一つあって――先輩は、当たり前のようにその鍵を開けた。

 フェンスを越え更に進むと、さして大きくはないが、きちんと舗装された道路に行き当たる。

 いつの間にか杜を出たのかと思ったがそうではない。そこはまだ私有地だ。つまりそれは、杜の中の私道と言うことになる。

 更にそこには黒塗りの高級車が一台、これ見よがしに停まっていて、先輩よりも更に長身な、シックなメイド服に身を包んだ女性が一人、立っていた。

 女性は杜愛先輩に恭しく礼を執ると、慣れた動作で先輩を後部座席に迎え入れた。

 今さら言うべきことも思い浮かばず、俺も黙って先輩に続く。

 ――そうして、俺たちは「杜の奥」へと向かったわけである。


 ……杜愛先輩が旧家のお嬢様だと言うのは聞いていた。

 ただ、それがどんな家柄で、どんな場所に住んでいるのか、そんなことは知らなかった。

 いや、情報通気取りの東あたりは当然もう知っていたのだろうから、俺が意固地になって情報の流入をシャットアウトしていただけなのかも知れない。

 要するに、何が言いたいのかと言うと――結びつけていなかったのだ。乾杜愛と言うヒトと、『犬鳴杜』と言うものを。

 杜愛先輩の家は――屋敷は。まるで人目を避けるように『犬鳴杜』の奥にあった。

 歴史を感じさせる豪奢な佇まいで、ああなるほど、これは日本人のセンスではないなと一目で分かる作りの洋館だった。

 通されたダイニングも妙に広くて、妙に長いテーブルがあって、椅子の背もたれも妙に高かった。

 テーブルの燭台はもちろん、天井のシャンデリアも電気仕掛けの紛い物じゃなくて、神秘的な朱に輝く蝋燭の炎がおぼろに揺れていた。

 妙にニコニコとした、黒のゴシック系ワンピースに身を包んだ杜愛先輩の笑顔が、揺れる炎の中に浮かび上がる。

 俺たちは長いダイニングテーブルの端で、向かい合うように座っていた。

 ……正直、本当の意味で「端と端」に座らされたらどうしようかと思ったが。


「召し上がらないのですか?」


 ニコニコとしたまま、ふと先輩が言った。

 その言葉の通り、俺の眼の前には既に食事の用意が調っている。

 皿は三つ。

 一つは、見慣れない黒ずんだ色のパン。

 一つは、湯気を上げるオニオンスープ。

 残る一つは主菜の盛り合わせで、ソーセージやハム、サラミ、チーズ、マッシュポテト、あとはキャベツの漬物らしきものが添えられている。

 ソーセージなどは日本人にも馴染み深い食材だったけど、俺が近所のスーパーで買う三袋いくらのような安物とは違っていたし、キャベツの漬物だって日本の浅漬けみたいなものとは違っていた。

 ……先祖伝来の食文化、ってやつなんだろう。


「……先輩って」


 もう、間違いない。


「? 何でしょう?」

「……いえ、なんでもないです」


 敢えて口にすることでもないだろう。言葉を話し二足歩行をする相手に、あなた人間ですかと問うことほど間抜けなこともない。

 言葉を飲み込んだ俺に、先輩は怪訝そうに小首を傾げたが、俺はごまかすようにテーブルの上のフォークに手を伸ばした。

 いただきます、と小さく呟いてから、取り敢えず眼の前の極太ソーセージに口を付けた。

 パリッっと皮が弾けて、肉のうま味をたっぷり含んだ肉汁が口の中いっぱいに溢れた。


「――あ、美味い」


 無意識に声が漏れていた。

 良かった、と先輩が可愛らしく笑う声が聞こえた。

 だが俺はそれどころじゃない。そもそも腹ぺこだったせいもあり、一口極上のうま味を口にしてしまったらもう止まらなかった。

 フォークとナイフとスプーンを駆使して、主菜、パン、スープと次々口へと運んでいく。

 主菜の皿にあるものは、確かに手の込んだものではない。軽く火を通しただけのものや、カットしたりスライスしたりしただけのものがほとんどだ。

 しかし、さっきも言った通り、ソーセージやサラミはしっかりと肉の味がしたし、チーズも妙な雑味がなく、甘い乳の薫りがした。

 マッシュポテトもほど良い芋の甘さがソーセージの塩辛さをまろやかに中和して、キャベツの漬物も爽やかな酸味が口の中を引き締めてくれる。

 オニオンスープは具がほぼ玉ねぎのみと言うごくシンプルな作りだったが、炒めた玉ねぎの香ばしさと優しい甘みが、どこかほっとさせる味だ。

 見慣れない黒いパンも、日本人には馴染みの薄い独特の薫りと酸味を含んでいたが、同じく一味違うソーセージやハム、チーズには良く合っていた。


「……日本では馴染みの薄いものばかりでしょう。ヴルストもクワルクも国外のものですし、自家製のザワークラウトなど、まず口にする機会もないと思います。ライ麦パンも、栄養価が高く麦の味のする良いパンなのですけれど、食感や風味に独特のものがありますから……」


 少しだけ不安でした、と先輩は苦笑する。

 そんな気遣いを嬉しく思いながらも――……まあ、先輩の言っていることの半分も理解出来ていなかったのだが。ヴルスト? クワルク? ザワークラウト? ……何かの呪文ですか?

 耳だけを先輩の方に向けて、俺は忙しなく手と口を動かし続ける。


「……巽くんのお口に合ったようで、嬉しいです」


 そう言って、また先輩は優しく笑った。

 ……ふと、何か違和感を感じた。

 けど、尽きない食欲が邪魔してその正体が分からない。

 もやもやを抱えたまま、最後のパン切れを口に放り込んで――


「……お父様が留守がちなのは大変でしょう。自炊をするのも楽ではありませんものね。でも、ちゃんと栄養のあるものを食べなければだめですよ……?」


 そんな言葉に、ハッとした。

 そうか。そう言うことか。

 今の言葉といい、その前といい、それに公園でもそうだった。

 ぐっとパンを飲み込んでから、俺は問うた。


「っ――先輩、俺のこと、知ってるんですか?」




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