[4]「それは闇に溶けるようで」
ほとんど一人暮らしみたいな生活をしていると、それなりに家事ってやつは身についてくる。
だから、料理が出来ないと言うわけではないのだけれど、それでも好きか嫌いか、と言うと話はまた別だ。幾ら上達しても、面倒くさいことに変わりはない。
大して美味くはないけれど、コンビニで済ませてしまった方が楽なことは楽なのだ。
そんなわけで、今日も今日とて巽一は、愛車のチャリに跨って夜の町を疾走するわけである。
――そんないつもと変わらぬ買い出しの、その帰り道でのことだった。
俺たちの暮らす『犬鳴町』には、『犬鳴杜』と呼ばれる古い杜がある。
言わずもがな、『犬鳴町』や『犬鳴杜学園』の由来ともなっている由緒ある杜だ。
とは言え、この杜が『犬鳴杜』と呼ばれるようになったのは、実は明治の世からだったりする。
小学校の郷土史の授業で聞き流した程度の知識しかないが――何でも、明治の頃に外国から渡ってきて、この杜に住み着いた某卿が、地域に多大な功績を残したのだとか。
結果、某卿は当時の住民に『いんなき卿』なんて呼ばれ、敬われるようになり――『犬鳴』なる地名が生まれた、と。
『いんなき卿』の当代が、現在の町にとってどんな役割を果たしているのか、俺には詳しく分からないが――聞くところによれば、この辺りの土地や企業、およそ『犬鳴町』を構成する遍くに、その『いんなき卿』の影響力が及んでいると言う話ではある。
その最たるものが『犬鳴杜』であり、杜はその多くが今でも私有地となっている。
が、それでも一部は、自然公園として町民に開放されており――
――その自然公園の前を、通りがかった時だ。
俺は、通り慣れた夜道に、見慣れないモノを見た。
……いや、見覚えはあったのだ。ただ、こんな場所で遭遇するなんて夢にも思っていなかったと言うだけの話。
それは、金色。闇を弾く眩い金。……闇を射貫く、黄金色。
見間違えるわけはない。それは彼女。
――エリーザベト・ハイリガー。
……シシィ。
夕飯時をとっくに過ぎた時間。辺りは真っ暗だ。女の子が一人で町内見物をするには遅すぎる。
まして、勝手の分からない外国で、夜に一人、出歩こうなどと思うだろうか。
用もないのに。
――用があるのか?
こんな時間に? 一人で?
……人気のない、自然公園に?
考えれば考えるほど、疑念が湧いた。
だけど、結局のところは――別れ際に見た、俺を射貫くようなあの視線が俺を突き動かした。
公園の入り口に自転車を止め、そっと後を追う。
遊歩道をゆっくりと進む彼女。
遊歩道脇の木々に身を隠しながら続く俺。
……何をやってるんだろう、ストーカーか俺は。
そんなことを思わないではない。
――けど、けして眼を逸らしてはいけないと、本能が告げている気がした。
やがて、小さな広場に差し掛かったところで、彼女は足を止めた。
……彼女は、誰かと、何者かと対峙しているようだった。
待ち合わせ。そう考えれば、一人でこんな場所にやってきたのも頷ける。
――だけど、それは同時に、「見られたくない誰か」と会っている、と言うことになる。そうでなければ、こんな時間にこんな場所で待ち合わせる理由がない。
俺は、彼女がそこまでして会おうとした人物が何者であるのか、どうしても知りたくなって、気取られるのを覚悟で広場を覗き込んだ。
――闇に溶けるような長い黒髪が、夜闇の中で微かに揺れていた。