[3]「胸騒ぎの視線」
一通りの案内を終え、クラスに戻った頃には、流石に見物客やクラスメイトの姿もほとんど残ってはいなかった。
残っていたのは、友人の行く末が気になっていたのだろう奇人コンビの二人と、今度こそ金髪美少女転校生をエスコートしようと画策する、幾らかのリア充だけ。
帰還した俺たちを見咎めたリア充どもは、早速シシィとの下校イベントを起こそうと近付いたわけだが――
「折角ですけど、アイン――こちらの巽クンに、御一緒頂くことになりましたから」
なんて。
……いや、聞いてないんですけど。
その後の奴らの殺気と言ったら、もうそれだけでヒトを(主に俺を)殺しそうな勢いだったが――ちょっとだけ、優越感を感じたのも事実だったり。
不当に因縁をつけられる未来が容易に想像出来るだけに恐ろしくはあったが。……まあ、俗に言う「痛気持ちいい」と言うやつだ。
むしろ、そんな連中の後ろでひたすらニヤニヤしている奇人どもの方が、よっぽど恐ろしかったわけで。……また一つ、連中にいらんネタを提供してしまったのかも知れない、俺は。
なんて一人、こっそりため息をついている俺の腕をさりげなく取って、
「……行コ?」
屈託のない笑みで、彼女はそう言った。
あ、可愛いな――なんて思ってしまったとしても、誰が俺を責められようか。
† † † † † †
昇降口へと向かう間も、シシィは興味深げにずっと辺りを見回していた。
まるで初めて遊園地に来た子供のようで、何も会話がなくたって、もうそれだけで楽しそうで。
……だから、もしかしたら俺は黙っているのが正解だったのかも知れない。ただじっと、はしゃぐ彼女を見守ることが俺の役目だったのかも知れない。
けど、だめだった。俺はもう、彼女のことを知りたいと思ってしまったから。
「……シシィって」
考えも纏まらないままに、気が付いたら声が出ていた。
「? 何、アイン?」
俺の名を呼びながら、くるりと振り返るシシィ。
きらきらと輝く金の瞳に見据えられて、思わずどきりとした。
一瞬言葉を失ったが、一度頭を振って仕切り直す。
「っ……えっと、その――シシィって、日本語、上手いよね?」
我ながら、何が聞きたいのか分からない質問だった。質問と言うよりも、ただ言いたいことを言っただけのような。
だけど、シシィは怪訝に思う風もなく、にこりと笑う。
「そうネ、いっぱい勉強したノ。ずっと前から決まってたかラ、ニッポンに来るこト」
「決まってた? ……親の仕事の都合かなんかで?」
咄嗟にそんな言葉が出た。
けど、シシィは首を振った。
「そんなのじゃないヨ。……ワタシ、一人だかラ」
笑顔だったけれど、どこか寂しそうな顔にも見えた。
一人だから。
……一人で日本に来た、と言うことだろうか。
留学、と言うことなら分からないでもないけど――……うちの学校、留学生の受け入れなんてしてたっけ?
小首を傾げていると、シシィは言った。
「……アインは? ちゃんと、家族のヒト、いル?」
「え? ああ、一応、いるよ」
「イチオウ?」
今度はシシィが小首を傾げる番だった。
慌てて笑顔を取り繕いながら、付け足すように俺は言った。
「親父と二人なんだけどね。親父はしょっちゅう出張で家にいないから、実際は一人みたいなもんなんだ――まったく、どこで何の仕事してるんだか知らないけどさ」
「なにそレ、お父さんのお仕事でしょウ?」
軽妙な俺の語り口が功を奏したのか、おかしそうにシシィは笑う。
それを内心嬉しく思いながら、俺は苦笑した。
「聞いても教えてくれないんだもん。人助けだー、とか何とか言ってるけど、それで一人息子ほったらかしじゃあ世話ないっての」
「そうネ、子供ホッタラカシ、だめネ……っ」
くすくすと、上品な笑いを漏らすシシィ。
けれど、ふと俺の顔を覗き込むようにして言った。
「……一人、大丈夫? 寂しくなイ?」
「……ああ。寂しくないよ、もう慣れちゃったから」
その言葉に嘘はなかった。
けど、シシィはそう思わなかったらしい。
彼女はにこりと、まるで太陽のように眩しく笑うと、言った。
「寂しくなったら、いつでも呼んデ? ――あなたの傍に、いてあげるかラ」
どきりとした。だって、そんなこと今日出会ったばかりのクラスメートに言うことじゃない。長い付き合いの友人同士であったって、軽々と言えるものか。
ましてや、異性同士ともなれば尚のこと。俺だったら、口が裂けても言えやしない。
――だって、それじゃ、まるで。
だけど、もしかしたら外国では事情が違うのかも知れない。シシィはまるで気にした風もなく、赤い顔で凍り付く俺を不思議そうに覗き込んだ。
「……? アイン、どうしたノ?」
「えっ!? あ、いや、何でもない、何でもないんだ、うんっ……!」
慌てて取り繕ったが、明らかに何でもなくはない。
シシィも気が付いたろうが――それでも、彼女は優しく笑った。
「アインは面白いネ」
「そ、そか……?」
「うん。面白いし……優しいネ」
その言葉に迷いはなかった。
俺は何だか気恥ずかしくて、それ以上、何も言えなかった。
後はただ、蛸みたいに赤い顔で、馬鹿みたいに黙りこくったまま、軽い足取りで少し先を行く、金色の背中に従って歩くだけだった。
まともに彼女の顔を見ることも出来ず、気が付けば下駄箱前で、そそくさと靴を履き替えて、俯いたまま校舎を出た。
――そんな頃だった。
「……あ、ちょっと急用思い出しちゃっタ。ごめんネ、アイン、今日は先に帰って、ネ?」
シシィは足を止めて、そんなことを言った。
怪訝には思ったが、俺にはもう余計なことに気を回す余裕なんてなかったわけで。
「そ、そっか、それじゃあ……えっと、また明日」
ぎこちない笑顔でそう言って、逃げるようにその場を後にすることしか出来なかった。
……だけど、やっぱり気になって。
一度だけ、そっと後ろを振り返って見た。
――観察するような鋭い金色の眼が、じっと俺を見据えていた。
それはすぐに笑顔に掻き消されてしまったけれど。
……何だか、胸騒ぎがした。