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[15]「破戒尼僧の隠れ家」

 セーラー服に金の髪が揺れる、その神々しい姿に安堵する。

 正直なところ、俺にはまだ彼女が何者なのか分からない。

 だけど、これだけは分かる。根拠なんかないけれど、信じてる。


 ――彼女は俺の友人で、信頼すべき人間だ。


「こ、これは……金の――いや、真鍮製の投げナイフ……! ――貴様、まさか……『ローゼンクロイツァー』なのか……!?」


 今となってはただ一人無事である三人目の男が、突然の闖入者を驚愕の表情で振り向いた。

 黄金の闖入者――エリーザベト・ハイリガーは、金の楔を手の中で弄びながら、どこか挑戦的な笑みを口の端に浮かべた。


「あら、末端の使いっ走りのわりに物知りじゃない。ねえ、じゃあこう言うことは知ってる? 『金の楔』を標章の一つとして携行するのは、『結社』の中でも限られた戦士だけ。『セイント』としての才能も、戦闘技術も一流の、ね」

「な、何が言いたいっ!?」

「言わせないでよ、恥ずかしい」


 明らかに落ち着きをなくした男に、シシィは大げさに首を竦めてみせる。

 男は、深手を負った仲間と、相変わらず正体を失った様子の仲間をきょろきょろと見やり、


「……くそっ! ――『騎士団』を敵に回したこと、後悔するぞっ……!」


 そう吐き捨てるや、二人の仲間を引き摺って俺たちの前から姿を消した。


「……敵同士じゃなかったことなんて、ないでしょーに」


 シシィは嘆息混じりにそう言って――ようやく、俺の見知った笑顔で笑った。

 ほっとして、思わず俺も笑みを零す。


「――おにーたん、おにーたんっ」


 安堵した俺の耳に、間近から未愛ちゃんの声がした。

 そう言えば、きつく抱きかかえたままだったんだ。


「ああ、ごめん未愛ちゃん、痛かった?」

「んーん、そうじゃないの、みあは平気、だって――おにーたんの方が、痛い痛いだよね?」


 地面にそっと下ろしてやると、未愛ちゃんは今にも泣き出しそうな顔で俺を見上げた。

 ああ、そうか。……俺、腕を斬られたんだ。

 自覚した途端、じくじくと痛み出す腕。手を下ろすと、袖口の中から赤い液体が滴り落ちた。


「そうネ、アインの傷も診なければいけないシ――取り敢えず、ワタシのセーフハウスに来テ?」


 俺の傷口に手際よくハンカチを結びながら、シシィはそんなことを言った。


                 † † † † † †


 シシィの『隠れ家』(セーフハウス)は犬鳴南公園のほど近くにあった。

 外見はごく普通の一軒家だったが――扉を開けたら、修道女シスターがいた。


「あらあらあら、怪我しちゃったのね~」


 なんて、俺の腕を見るや、その女性は困ったように頬に手を当てた。

 年の頃は二十代半ばと言ったところだろうか。

 その身に纏う黒白の衣装は、紛う方なき修道服。

 しかし、頭巾は被っていない。色素の薄い茶色の髪が波打ちながら背に垂れている。

 顔立ちは、頬の肉付きが良い感じで若干丸顔ではあるけど、優しそうな眼差しと相俟って醸し出される柔らかい印象は、男にとってはとても魅力的だった。

 ……まあ、彼女の一番の魅力はそんなことではなかったのかも知れないけど。


「取り敢えず話は後。キルシュはアインの傷の手当てをお願い。アイン、彼女の指示に従って。――あ、その前にトアのケータイ番号。こっちで連絡しておくから。それと、ミアは私と一緒ね。お姉さんに大丈夫だってこと教えてあげなくちゃね」


 矢継ぎ早に紡がれるシシィの言葉。その理路整然とした言動、凛とした声には、日頃の「ちょっと困ったゲルマン娘」と言う印象はない。

 どっちが本当の彼女なのかなんて分からなかったし、正直戸惑いはあった。

 けど、ぴんと背筋を伸ばしたその姿は純粋に格好良かったし、そっと未愛ちゃんの頭を撫でたその仕草は、とても自然で優しかった。

 それに、どうやら未愛ちゃん自身もシシィに懐いているようだった。ここは、シシィを信頼して任せるのが正解だと思った。


 リビングにシシィと未愛ちゃんを残し、俺とシスターは別室に向かった。

 通された部屋にはベッドがあって、眼に付く調度に派手さはなかったが、そこには確かな女性らしさが感じられた。多分、このシスターの寝室なんだろう。


「じゃあ、怪我を見るからベッドに座って、服を脱いで~?」


 柔らかい笑顔が俺に向けられる。

 脱ぐ……って、えっと……上だけでいいんだよな、うん。


「ん~? どうかした~?」

「い、いや、何でもないっす……!」


 よく知らない、魅力的な女性の寝室にお邪魔していると言う奇妙なシチュエーションのせいか、みっともなく上擦ってしまう。……何だか、イイ匂いがするし。


「うふふ……面白い子ぉ、シシィちゃんに聞いてた通りね~」


 くすくすと笑うシスター。

 大人の女性が見せる無邪気な表情にどぎまぎしてしまう。

 けど、いつまでも突っ立ってるわけにもいかないので、なるたけ彼女の方を見ないようにしてベッドに腰を下ろす。

 血が落ちないよう細心の注意を払いながら学ランとシャツを脱いだが、幸いなことに、もうさほどの出血はしていなかった。

 解いたシシィのハンカチを当てておけば、取り敢えずベッドを汚してしまうことはないだろう。

 ……ああ、そう言えばシシィのハンカチ、血でダメにしてしまったんだなあ。

 なんてことを考えていると、俺のすぐ横でぎしりとベッドが音を立てた。

 ぎくりとして――ぎくりとした意味も分からないまま隣りを見れば、そこには救急箱を抱えたシスターが笑顔で腰掛けていた。

 ……何でか、物凄くニコニコとしている。


「……へぇ~」


 なんて、感嘆したような声。


「な、なんすか?」

「最近の子にしては小柄だけど、肉の付き方は綺麗なんだね~。うふふ、お姉さん好み~」

「はっ?」


 彼女が何を言っているのか分からない。ただ、口元に手を当ててにんまりと笑うその姿が、何故だか空恐ろしい。

 戸惑っていると、白い手がそっと俺の肩を撫でた。


「ねぇ……私のこと、シシィちゃんから少しは聞いてる……?」

「え? い、いや、全然……って言うか、シシィのことだって分からないことだらけって言うか」

「そっか……そうだよね、みだりに話していいことじゃないもんね」


 戸惑う俺に、シスターは少し残念そうに笑う。


「私はね、君のこと良く聞いてるよ? 巽一くん。すごく優しい子だって」

「えっ、いや……そんな、優しくなんてないっすよ」

「優しいよ。あの子の眼、気味悪がらないでくれたんでしょ? 『狩人』として剣を振るっているところを見て、それでも拒絶せずにいてくれたんでしょ?」

「それは……その、彼女の勢いに流されてって言うか……拒絶する間もなかったって言うか」

「それでも……優しいよ。ほんとに嫌だったら、そうはならないもの。無意識に、あの子のこと――……私たちのこと。受け入れてくれてるんだよね、はじめくんは」


 言いながら、何かを求めるようにすべすべの手が俺の肩を撫でる。

 経験したことのない緊張に、思わず体が固くなる。眼を向けることも出来なくて、馬鹿みたいに虚空を見詰めたまま、幾度か上の空の言葉を返した。


「……ねぇ?」


 ふと、どこか艶を含んだ声がシスターの桃色の唇から漏れた。


「私たちのこと、みだりに話すことは出来ないけど――……はじめくんさえ良ければ、淫らに話してあげることは、出来るかも知れないよ……?」


 耳元に、甘い吐息を感じた。

 振り返らなくても分かる。シスターの唇がすぐ間近にあった。

 そして、初めて見た時からずっと意識の片隅を支配していた彼女の一番の魅力――その豊満な胸が、俺の体にぎゅっと押し付けられる。


 淫らに話す? ――このヒトは何を言ってるんだ?

 瞬間には分からない。何だか凄く間抜けな言葉のような、愉快な言葉遊びのような。

 けど、その言葉の本当の趣旨はそんなことじゃない。


「怖いの……? 大丈夫、お姉さんに任せて……?」

「――っ!?」


 いつの間にか、肩にあるのとは別の手が、俺の胸元に伸びている。

 敏感な部分を長い爪がくすぐって、思わず素っ頓狂な声が漏れそうになった。

 ――瞬間。


「ゼンゼン大丈夫ジャなーイっ!」


 すぱーんっ! と小気味よい音が響き渡った。

 見れば、いつの間に現れたのか、何かを思い切り振り抜いた姿勢でシシィが立っている。……手の先には、部屋履き用のスリッパ。


「っ……いったぁ~い~、何するのぉ~?」

「何するのジャないヨ! 嫌な予感がして来てみれば、アナタってヒトは性懲りもなクっ!」

「だってぇ~、私のこと全然知らないって言うんだものぉ~」

「ゼンゼン理由になってないヨっ! このハカイシスターっ!」

「あらざんね~ん、私もうシスター辞めたも~ん」

「辞めたんじゃなくて破門されたんでしょーガっ!」


 真っ赤に染まる憤怒の形相で拳を握るシシィ。

 こんな顔も初めて見るなあ……なんて、どこか現実感のない意識でぼんやり考えていると、シシィはふと嘆息して、俺に向き直った。


「……エエト、ネ。このヒトは、ワタシがニッポンでお世話になってるヒトで――」

「は~い、シシィちゃんのお世話してま~す――桜ヶ丘(さくらがおか)智美(ともみ)でぇす。よろしくね~、はじめくん♪」


 そう言って、破戒尼僧・桜ヶ丘智美は、修道服を大きく持ち上げる豊かな胸をこれ見よがしに揺らしながら、にっこりと笑った。




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