表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/45

[10]「図書室で君と」

 無駄に広い図書室の片隅で、その子は独り、外国の古典文学を読んでいた。

 昼休みに図書室が自由開放されていると聞いて、何となく足を運んだだけの俺には他に目的なんかなくて、気が付けば、ただ彼女の姿を見詰めていた。

 背中ほどの髪を一本のお下げにして、肩口に垂らしている。切れ長の眼は一見冷たそうで、一般的に見て十分に美人だけれど、どこかヒトを寄せ付けない雰囲気があった。

 でも、俺は彼女に惹かれた。美人だったからじゃない。良くは分からないけれど――独り窓辺で本を捲る、物静かなその姿に心惹かれた。

 何日か彼女の姿を眺めるだけの日々が過ぎて、気が付けばそれは俺の日課になっていた。

 そうして、更に幾らかの日々が過ぎて――


「――良かった。巽くん、今日は来ないのかと思っちゃった」


 いつしか、そんな風に言って貰える程度には、お互いの距離も近くなっていた。


「ごめんね花登さん、ちょっとごたごたしててさ」


 ほっとしたような笑みを向けてくれる彼女に苦笑を返しながら、俺は彼女の隣りに腰を下ろす。

 ――花登はなと蓮華れんげさん。三つほどクラスの離れた同級生だった。


「ごたごた?」

「……まあ、ちょっとね」


 きょとんと小首を傾げた花登さんに、俺は思わず眼を逸らした。

 ……いや、別にやましいことなどこれっぽっちもないのだが。

 花登さんは、歯切れの悪い俺の言葉に少しだけ沈黙して――


「……まあ、いいけど。――でも大変だね、もてる男の子は」


 息を吐くようにそんなことを言って退けた。


「なっ!? え、ちょ、な……えっ!?」


 咄嗟に言葉が出て来なくて、意味不明な声しか出て来ない。

 花登さんは、活字を追う横顔に涼しげな笑みを浮かべて言った。


「聞いたよ。転校してきたドイツ人の可愛い子に、猛アタックされてるんだって。それに、あの乾先輩とも、ただならぬ関係らしいじゃない?」

「ええっ!? ちっ、違うよっ! そんなんじゃないってっ! シシィはっ――」

「図書室では静かにしようね、巽くん」


 大慌てで手を振る俺に、花登さんの涼しげな声。

 むしろその涼やかさが怖い。

 ……いや、恐ろしいと思う理由なんて、ないはずなんだけど。

 ――少なくとも、今はまだ。

 とは言え、本能が弁解せよと告げているわけで。


「っ……あの、違うんだよ、シシィは……その、外国人だから変に積極的と言うか、友達としての節度が分かってないって言うか――」

「ふーん、シシィなんて呼んでるんだ? 昔何かの本で見た覚えあるけど、それって確か、向こうの愛称だよね。へー、もうそんなに仲良しなんだ」


 声を潜めて言った俺に、冷水のように浴びせられる無慈悲な言葉。

 俺は思わず言葉に詰まったが、何とか気を取り直して続けた。


「いや、だからそれも、彼女にしてみたら多分普通のことで――」

「『彼女』」

「揚げ足取らないでよっ……!? ただの三人称で、変な意味なんてないんだからっ……!」

「……ま、いいけど。じゃあ、乾先輩のことは?」

「それはっ――……その、俺にも……よく分かんないよ……」


 それは嘘じゃない。杜愛先輩が何故俺のことを知っているのか、それすら分からないのだ。


「確かに先輩は、不思議なくらい俺に良くしてくれるけど、でも――」


 ただ一つはっきりしているのは、


「……先輩と俺は、勘ぐられるような関係じゃないよ」


 ――俺と杜愛先輩は、単なる先輩と後輩。それだけは変わらない。

 花登さんはしばらく無言だったけれど、


「……ごめんね」


 涼しげな横顔が、少しだけ自戒するように俯いた。


「イジワルしちゃったよね。……ちょっと、悔しくて」

「えっ?」


 どきりとして、思わず声が上擦った。

 それがおかしかったのか、花登さんは少しだけ口の端に笑みを浮かべた。


「だって、シシィだなんて、とっても仲良しさんみたいでしょ」

「……そう?」

「うん……わたし、名字以外で呼ばれたことってないから。……ちょっと、憧れちゃって」

「……じゃあ、名前で、呼んでみる?」

「えっ?」


 ……誓って言うが、俺は女の子を名前で呼んだことなどほとんどない。それこそ、記憶も定かでない小さな頃くらいのものだ。

 だから、何でそんなことを言ってしまったのか、自分でも分からない。驚いたような彼女の声に、俺の方が驚いてしまう。

 ……でも、一度言ってしまったことを今さら引っ込められないから。


「え、えっと、だから――……蓮華さん、とか」

「…………」


 口を真一文字に結んで、黙ってしまう彼女。

 やはりおかしかったかな、なんて一瞬、後悔した。

 ――けれど。


「……うん」


 聞こえるか聞こえないかの、微かな声。

 花登さんは――蓮華さんは。俯いて、気恥ずかしそうに頬を染めながらも、けれど確かに嬉しそうに、小さく頷いてくれた。


「不思議……想像してたより……ずっと、嬉しい。……ありがとう――……はじめ、くん」


 そう言ってはにかむ蓮華さんが、あんまりにも可愛かったから――


「……うん」


 なんて。

 まるで彼女の真似をしているみたいで、ちょっとだけ気恥ずかしかったけれど。

 俺も、火照った顔を俯かせて、小さく一つ頷いた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ