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 翌日、俺は悪夢にうなされながらも、自分のベッドで起きた。

 昨晩の事件直後から帰り道の記憶はかなり曖昧だが、どうやらちゃんと帰って来れていたらしい。

「しかし……アレは一体……?」

 思い出すだけで気持ち悪くなる。

 人が死ぬ瞬間を見てしまったのだ。齢十五にしてかなりトラウマ的な光景を目の当たりにしてしまったのではないだろうか。

 催す吐き気を抑えながら、今日は学校休もうかな、なんて考えつつ、俺はリビングへと向かった。何はなくとも、朝飯は食わねばならん。

「あ、おはよう、黄金くん」

「なっ!?」

 信じられないものを見た。

 そこに座っていたのは、ボサボサ頭にジャージ姿、さらにはダサいメガネの三拍子。

 彼女はどこからどう見ても、橘田沼りこその人だった。

「き、橘田沼さん!? なんで、アレ!? 夢ッ!?」

「うーん、その反応からすると、やっぱりアレは夢じゃなかったんですねぇ」

「それはこっちのセリフだし!? って言うかアレは夢だったの!? あ、いや、今の言葉から察するに、夢じゃなかったの!?」

 ああ、もう、頭が混乱している。

 起き抜けになんでこんな良くわからん展開と直面せねばならんのだ。

「何よりまず、橘田沼さんが昨日と同様、ナチュラルにリビングにいるのはおかしいでしょう!?」

「そこはホラ、お隣さんですし?」

「お隣さんだからって不法侵入して良いって法はねぇし!?」

「不法侵入なんて人聞きの悪い。ちゃんとお父さんには許可を取りましたよ?」

「あんの、クソ親父ッ!!」

 結局、そういうオチか!


 自分で入れたお茶を飲み、ついでに橘田沼さんにも差し出した後、改めて俺は彼女の対面に座る。

「……で、落ち着いたところで、ちゃんと説明してもらえるんでしょうね?」

「ええ、まぁ。今日はそのために来たようなものですし」

 てへへ、と笑って橘田沼さんはメガネを直した。

「じゃあ、昨日のアレは何なんですか?」

「アレってどれですか?」

「あの、ゲル状の物質。あんなの、見た事ありませんよ」

「へぇ、そうですか」

 意外そうに呟いた後、橘田沼さんは俺の顔をまじまじ見た。

「な、なんですか?」

「いえ……ふーん、お父さんがアレなのに……」

 なんか、含みがあるな……。俺の顔になんかついてるかよ。

「あ、説明でしたね。あのゲル状物質はありていに言えば魑魅魍魎と言うヤツですね。その辺を浮遊している幽体や思念、木っ端の妖怪もどきが集まって可視化、可触化されたモノです。主食は主に、人の生気や魔力ですね」

 ……うわぁ。

 いきなりなに言い始めるのこの人……と、笑い飛ばすのは簡単だが、うーん……。

 あんなもん、常識的に考える方が間違いか。普通、ゲル状の物質は浮かないし、人を刺さないもんな。

 でも、かと言っていきなり魑魅魍魎とか言われてもなぁ。

「あの、黄金くん? 大丈夫です?」

「あ、ああ平気です」

 とりあえず、アレが本当に魑魅魍魎かどうかは横においておこう。あのゲル状物質が存在し、さらに少なくとも橘田沼さんはサラッと説明できる程度に、彼女にとっては一般常識的な扱いを受けている、という事がわかっただけでも収穫だ。

「じゃあ橘田沼さんは、その……アレに刺されて、大丈夫だったんですか?」

「大丈夫か大丈夫でないか、と聞かれたら、どっちかって言うと大丈夫じゃなかったですよ。痛かったですし、治すのも苦労しました」

「な、治せたんですか!?」

「ええ、なんなら傷跡、見ます? 結構綺麗に治せましたよ?」

 そう言って橘田沼さんはジャージに手をかけた。

「ナチュラルにジャージの裾をまくるんじゃありません! 貴女、一応女性でしょう!?」

「え? 女の人はジャージをめくっちゃいけませんか?」

「易々と野郎に肌を見せるなって言ってるんですよ! なに考えてるんですか!?」

「あ、黄金くん、ちょっとムラッと来ちゃった?」

「殴りますよ? 全力で」

「す、すみません」

 ……ふぅ、この人の相手は疲れるな。

 でも、とりあえず、どてっ腹にあんな傷を受けてピンピンしてるんだから、本人の言う通り、あの傷は治ったんだろう。でも、一晩で治るような傷ではなかったはず。どんな名医にかかったとしても、物理的に不可能だろう。

「どうやって治したんですか? まさか、不思議なパワーで治癒魔法、なんて言いませんよね?」

「ええと、ドンピシャそれです」

「……ああ、うん。ちょっと待って」

 確かにゲル状の物質は『とりあえず存在するもの』として認識した。アレは俺の常識を覆すような代物であったが、あるもんはある。そこを否定するほど、俺は愚かではないつもりだ。

 だが、流石に魔法の力で傷が治ったよ、テヘ☆ ってのは、信用しがたい。

「いっそ、橘田沼さんがサイボーグでしたって方が、信用できるな」

「え!? なんですか、それ!?」

「腹部に傷を受けても、パーツ交換でどうにかなりました、とか」

「失礼な。私はちゃんとした人間です!」

「ちゃんとした人間は、魔法で傷が治ったよ、とか言わない」

「重ね重ね失礼な! よぅし、そこまで言うなら見てなさい!」

 そう言って橘田沼さんは、勝手に我が家の台所から包丁を取り出す。

 俺が呆気に取られていると、彼女はそのまま包丁の先に親指の腹を埋める。

「痛ッ!」

「そりゃそうでしょうよ!!」

 刺さっていた。確実に刺さっていた。

 血も出てるし、あーあー、なにやってんだ、この人は!

「どこかに絆創膏があるはずですから、ちょっと待っててください」

「し、心配御無用!」

 俺が救急箱を探すのを制止し、橘田沼さんは傷口に息を吹きかけていた。

 んなもんで痛いの飛んでくなら、医者は要らない……って。

「……なっ!?」

「じゃーん、どうだ!」

 橘田沼さんは俺にサムズアップして見せた。

 そこにはついさっきまで包丁でつけた傷があったはずなのだが、今はもう傷跡は消えてなくなっている。

 まるで最初から傷なんか無かったように、跡形もなく癒えてしまったのだった。

「これで信じるでしょ、魔法」

「……よ、よく出来た手品だ」

「種も仕掛けもございませんよ?」

「もう一回やってみてもらえます? ちゃんと見破りますから」

「い、嫌だよ、一応痛覚は通ってるんだよ? 痛いんだよ、これ?」

「じゃあ他の魔法は? 火をおこしたり、宙に飛んでみたり……」

「うーん、使えない事はないけど、いろいろと面倒なんだよね。あと……」

 ふと橘田沼さんが時計を見た。

 時刻は既に始業時間。今から慌てて学校へ向かっても遅刻は確実だろう。

「学校、行かなくて良いの?」

「昨日、あんなもん見てから、普通に学校なんか行く気になれませんよ」

「サボり? あーあ、悪いんだぁ」

「誰の所為だと思ってんだ!?」


****


 その後、適当に朝飯も済ませた後、俺は橘田沼さんに連れられて、近くの公園に来ていた。公園には小さなお子さんとそのママたちが集まっており、子供を適当に遊ばせつつ談笑している。

「橘田沼さん、その恰好で恥ずかしくないんですか?」

「え? どうして?」

 橘田沼さんの姿は、部屋を出る前と変わらず、ジャージ姿にボサボサ頭。メイクは微塵もしていないし、申し訳程度にも櫛は通していない。完全無欠のナチュラルだ。いっそ部屋着だ。普通の女性ならば恥ずかしがって死んでも外に出ようとしないのではなかろうか。

 だが彼女はキョトンとしている。まるで質問した俺の方が間違っているかのようだ。

「……まぁ、橘田沼さんがそれでいいなら別になんでもないです」

「変な黄金くん」

 変なのはアンタだ、とは口には出すまい。

「えっとですね、まず基本的な事を教えておきますね」

 そう言って橘田沼さんは遊具のタイヤの上に腰掛けた。

「私たち魔法使いは、むやみやたらと魔法を使う事を禁止されています」

「……誰に?」

「一応、魔法使いを取り締まる組織があるんですよ。『調停者』って言うんですけどね。んで、特に魔法を使う事を差し迫られる機会でなければ、魔法を使えば当然しょっ引かれるんですね」

「銃刀法違反、みたいな?」

「ザックリそんな感じです。魔法はやっぱり危険も付き物ですからね」

 本当に橘田沼さんが炎を出せるのだとしたら、俺は愚か、砂場で遊んでる子供たちも、それを見ているママたちも火傷ないし焼死してしまうわけだからね。そりゃあ確かに危険だ。取り締まられてもおかしくはない。

「なので、普通は当局に申請でもしない限り、魔法って使っちゃダメなんですよ」

「でもさっき橘田沼さんは治癒魔法を使っただろ? アレはいいの?」

「アレは小さな事ですし、あの程度をいちいち取り締まっていたら身が持たないらしいですよ。五キロ程度のスピード違反に目くじら立てる警官なんてほとんどいないでしょ?」

 言われてみれば道理は通ってるか。

 自動車のスピード違反なんて細々したものならそこかしこで起こっている。それを全て検挙するとなると、今、車を運転できる人間なんていなくなるのではなかろうか。

 それと一緒で、魔法使いを取り締まる側も小さい事なら目溢ししてくれるわけだ。

「でも魔法も一種の技術ですから、使わなければ鈍っていくものなんですよ。トレーニングしなければ術の精度や威力に影響して、思ったような効果が得られなかったり、上手く発動できなかったりするんです」

「じゃあどうするんですか?」

「そんな時のために、こういう魔術があります」

 そう言うと橘田沼さんは手を掲げて何か呟く。呪文的なアレだろうか。

 言葉が切れると、ふっと風が吹き、橘田沼さんの目の前に水槽の壁のような、水面が揺らめく壁が現れる。俺が昨晩見たものと一緒だ。

「これって……」

「結界の入り口です。この入り口を通るとちょっとズレた世界に入り込めるんですよ」

「ズレた、ってどういう事です?」

「説明すると難しい事になるんですけど、簡単に言うと、今私たちのいるこの世界とは干渉しあえないけど、ものっすごく似ている世界に入り込めるわけです」

「パラレルワールド、的な?」

「全然違うけど、それで良いです」

 うわ、雑にはぐらかされたな。

 まぁそれはともかくとして、こんなおおっぴらに魔法を使って、周りの子供やママたちには気付かれないものなのだろうか?

 チラリと様子を窺ってみたが、子供たちは無邪気に遊んでいるし、ママたちは変わらず談笑している。全然気にしていないようだった。

「ああ、大丈夫ですよ。普通の人には入り口は見えませんから。今のところ、私が許可している黄金くんしか、この入り口は見えないし、通る事も出来ません」

「へぇ……」

 不思議な事もあるもんだ、とは思ってみたが、魔法自体が既に不思議な事のトップレベルなので、今更驚くのも変か。

「結界は普通、作った人間と許可を得た人間しか入る事が出来ない様になってるんですよ。だから、すごく疑問なんですが……」

 橘田沼さんはまた、俺をジロっと見て首をかしげる。

「なんですか、俺の顔に何かついてます? それともガン飛ばしてるんですか、メンチ切ってるんですか、ケンカ売ってるんですか」

「いえ、そうではなく。黄金くんは昨日の夜、どうやって私の作った結界に入ってきたのかな、と」

 ……言われてみればそうだ。

 結界とやらが作成者の意図に反して誰かを招き入れる事がなければ、俺は昨日、あの結界の内側に入り込む事なんて出来なかったのだ。

「橘田沼さんがお戯れで俺の入室許可を出してたとか?」

「普通、結界の内側でやる事ってトップシークレットが多いんですよ? そんな易々と他人を呼んだりしませんよ」

「だったら……俺に不思議な力が宿って、どんな結界も踏破出来る超人に変化してしまったとか?」

「結界は単純な術式ですけど、それだけに超強力なんですよ。それを破るような力がパッと突然変異的に手に入るなら、私たち魔法使いは日々の鍛錬なんてしませんよ」

「うーん、じゃあ思い当たる節はないなぁ」

 俺に魔法の知識が植えつけられたのはついさっきの事だ。

 知識があれば結界とやらを破る方法も思いつくかもしれんが、存在自体を認識していなかったものに対して対策を考え付くなんてまず無理だろう。

「ホントですかぁ? 実は他人の秘密を見て回るのが趣味なピーピング少年って事はありえませんか?」

「俺を何だと思ってるんだ。名誉毀損で訴えるぞ。って言うか、たとえピーピング少年だったとしても結界なんて人知を超えた代物をどうにかできるわけないだろ」

「まぁ、その疑念は追い追い晴らすとしまして、これで魔法の事、信じていただけましたか?」

 橘田沼さんはエヘンと胸を張る。

 ふむ、確かにこの結界とやらは魔法であろう。

 こんな不思議なもの、そうそう作れるものではあるまい。

「確かに、魔法と言うものは存在するんでしょうね。ここまで見せられて、流石に手品だと言い張れませんよ」

「よし、ではこれから言う事をよぉっく聞いてくださいね」

 姿勢を正した橘田沼さんは、厳し目の表情……と言ってもあまり怖くはないが、とりあえず真顔で俺を見据えた。

「これからあの結界の入り口を見ても、不用意に入らないようにしてください」

「……はぁ」

「事の重大さがわかっていない返事ですね」

「って言うか、正体がわかったら中になんて入りたがりませんよ」

 入ったら入ったで、変なゲル状物質に襲われるんだから、それさえわかれば入れと言われても拒否するだろう、普通は。

「今回は私の結界で、私はそれほど重大な秘密の活動を行ってたわけでもなかったので、今も黄金くんは五体満足でいられますけど、私が危険な魔法実験を夜な夜な繰り返している魔法使いだったらどうなっていた事か! 黄金くんなんて魑魅魍魎の餌なんて甘い刑に処されるわけないんですから」

「俺なんて、って言う意味がわかりませんが、たとえばどんな刑に処されるんですか?」

「え? えっと……うーん……」

 腕を組みつつ、ウンウン唸って、橘田沼さんは首をかしげている。

 数分したころ、

「と、とにかくひどい目に遭うんですよ!」

 などと具体性に欠ける返答を寄越してきた。どうやら『ひどい事』の引き出しに思い当たる様なものがなかったのだろう。平和な頭の中だなぁ。

「まぁ、折角橘田沼さんが注意してくれたんですから、俺はもう、あの結界とやらには近付きませんよ」

「それでよろしい。では、お姉さんはこれで失礼させてもらうよ」

「何か用事があるんですか?」

「え? ……特にないなぁ」

 平日の白昼からスケジュールが真っ白とは、魔法使いとはのんきなものだ。

 しかし、それならば丁度いい。

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれませんか?」

「え?」

 俺は橘田沼さんを連れて、公園を出た。

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