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俺が今住んでいる名園市という土地は、言ってしまえば田舎だった。
大した娯楽は無いが、代わりに自然がたんまり、と言う時代に取り残された様な風景が大半を占めている。それでも繁華街にはそれなりに店もあるし、近代的なビルもある。ただ、比率がおかしいだけなのだ。
しかし俺はこの土地が嫌いになれなかった。むしろどちらかと言うと新鮮で、好感を抱くのに十分なぐらいだった。
元々俺が住んでいた土地は都市化が進んでおり、土の地面の方が少ない場所だったのだ。
背の高いビルは立ち並び、インフラは充実して、舗装された道路も歩きやすい。確かに住みやすい場所だった。
だがここは、向こうにはなかった開放感と親しみやすさがある。名園に引っ越してきて三ヶ月ほどではあるが、第二の故郷認定してもいいぐらいだ。
引っ越してきたのは『生活力の皆無な父親が単身赴任するのは心配だから』と言う理由で、我が母親の言葉ながら、何考えてるんだコイツ、と思いたくなるようなモノだったが、結果的に俺としても良い環境で高校生活をスタート出来ている。
十五年を共に過ごしてきた土地や、小学校、中学校で勉学を共にした友人たちとの別れは、寂しくないと言えば嘘になるが、プラマイで言えば微妙にプラスと言ったところだろうか。
一応断っておくが、別にイジメが苦で引越し、なんて裏設定もないので、あしからず。
さて、我が家であるコーポ名園は二階建て、全八部屋の安アパートである。
三田家の借用している部屋は二階の角部屋であり、日当たりも良好な優良物件であった。難があるとすれば、鉄製の階段の近くにある部屋ゆえに、人の行き来の際に発生する足音が微妙に耳につくことだろうか。深夜帯とかに他人の足音で起こされると殺意すら湧く。
この部屋および、各部屋はどうやら同じ作りのようで、2LKで風呂もトイレも各部屋につけられた親切仕様。俺と親父が一緒に住んでも、プライベート空間すら守れてしまうのだ。
だがそんな好物件なのにも関らず、入居者は少ない。
俺と親父、橘田沼さんを抜くと二組。八部屋中半分しか埋まっていないのだ。
家賃もそう高くない、と親父に聞いたが、何故これほど人が少ないのだろうか……。謎だ。確かに田舎に建ってはいるが、近くにバス停もあるし、交通の不便もそれほどあるようではない。コンビニだって近所に一軒だけだがちゃんと存在するし、スーパーだってある。生活に必要なものは、近所に整っているのだ。
にも拘らず入居者が少ないとなると……まさか幽世の存在が現れるのではあるまいな! もしそうならそれを黙っていた親父と大家に文句を言ってやろう。
「そんな事を寝床でうだうだ考えていたら、もう七時か」
目覚まし時計を確認する。
実は六時くらいには既に目覚めており、そのまま夢現をさまよっていたのだ。
いいよね、この時間。完全に眠りに落ちる寸前をうろうろする朝の時間。まさに至福とはこの事を言うんだと、俺は思うのですよ。
これで朝飯の用意とか済んでいたら言う事なしなんだが、そういうわけにもいかない。
何せ同居人である俺の親父は生活力皆無。それを補うために俺が単身赴任について来たのだ。あのクソ親父が俺の為に朝飯の準備なんかしているはずもない。仮に準備していたとしても、まともに食える物かどうかすら怪しい。料理をしたら真っ黒こげ☆ ってのは中年親父がやってもチャームポイントにはならない。むしろイラついてしかたないだろう。
とにかく、朝飯は俺が自分で作らなくてはならない。
俺の料理の腕も人並み、もしくは若干下ぐらいのものだが、簡単な朝飯なら作れる。冷や飯なら冷蔵庫に入っているし、味噌汁もインスタントのモノがある。昨日の焼き魚の残りもあるし、適当にレンジに突っ込めば何とかなるだろう。
のそのそと寝床から這い出し、俺は一つ伸びをする。
部屋の中は少し暑い。そう言えばクーラーは故障してたんだっけか。チクショウ、朝からテンション下がるわぁ。
部屋のドアに手をかけ、リビングへと向かう。
リビングのカーテンは全開にされており、朝の日差しが差し込んでいた。夏とは言えまだ初夏だ。日が差し込んでも殺人的な暑さになるにはまだ時間がかかるだろう。今朝は爽やかな夏晴れだなぁ。
「あ、黄金くん、おはよー」
……うん、無視しようと思ったけど、無理っぽいな。
「……あの、橘田沼さん、どうして俺ん家にいるんですか」
リビングにはお茶をすすっている橘田沼さんがいた。
昨日見たとおりのボサボサ髪、ジャージ姿。化粧もオシャレも、頭の端にすらないようないでたちだ。
いや、もうこの人の外見に突っ込むのはよそう。それよりも重要なのは、俺の知らない内に、リビングに物凄く馴染んでる赤の他人がいることだ。
「それがねぇ、今朝、久々に早起きしちゃったからジョギングでもしてやろうかと思ったのよ。その辺を一っ走りして来た後に、黄金くんのお父さんとバッタリ会っちゃいまして。お話をしていたら意気投合しちゃいまして、今に至るのです」
「いや、中途半端に端折らないでください。うちの親父と話して、どうして居間にいる事になってるんですか」
「ええと、昨日、夕食に作ったシチューが余っちゃって、それをお裾分けしようとしたら、どうやら黄金くんのお父さんって料理が苦手らしくって? ついでだからと思って私が温めをしてあげたんですよ。偉いでしょ?」
偉いでしょ、と笑いかけられても……。ってか、親父も温めぐらい出来るだろうが。この部屋は立派なキッチンだってついてるし、シチューの温めぐらいパパッと出来るだろう。何を昨日引っ越してきたばかりの隣人に面倒な事を頼んでるんだよ。
いや、親父への苦言を今、心の中で並べ立てても仕方がない。
「そ、それはありがとうございます。うちのバカ親父がご迷惑をおかけしました」
「黄金くんの分もありますよ。朝食にどうです?」
「いや、俺は朝は味噌汁って決めてるんです」
「へぇ。じゃあ今度はお味噌汁を作ってお裾分けしますね」
「アンタはお裾分けが趣味なのか。そんな七面倒くさい事せずに、自分の分だけ作ればいいでしょう」
「お料理って、一人分より数人分作った方が楽なんですよ」
「それはわかりますけど、そうじゃなくて!!」
論点がずれてきている。
「橘田沼さんが部屋に入った原因はわかりましたけど、どうして今までここに居座ってるんですか。親父と会った時間っていつ頃です?」
「うーん、小一時間前ぐらいですかね」
「なんで小一時間も人の家でくつろげるんですか……」
親父が家を出る時間は結構早い。恐らく、橘田沼さんは三十分以上は一人でリビングに滞在していただろう。
すぐ隣には橘田沼さんの部屋もあるというのに、何故この人はウチのリビングに居座っているのだろうか?
「だから、黄金くんにもシチューを……」
「俺は温めぐらい一人でも出来ますから。シチューは学校から帰ってきてからにでもありがたく食べますんで、帰ってください」
「えぇ~。なんか邪険にされてる?」
「当たり前です。時間を考えて下さい。今、朝。知らん内に他人が家の中に入り込んでたら、普通は邪険にするでしょ」
「知らん人間じゃないでしょ? 私たち、昨日ご挨拶したし、お隣同士」
「お隣同士だとしても、昨日挨拶したとしても、縁遠い事には変わりないでしょ? 俺の対応に一切の間違いはないでしょ? なんでさも当然の様に喋ってるの? 俺、間違ってないよね?」
「うーん、まぁそういうことなら仕方がないかぁ」
何故か渋々と言った感じで、橘田沼さんはお茶を飲み干し、ゆっくりと立ち上がる。
なんなの、この人のふてぶてしさ。ある意味あやかりたいわぁ。
「じゃあ私はこれにて失礼。良い一日を~」
手をパタパタと振って、橘田沼さんは出て行った。終始マイペースな人だったな、おい。お陰で俺の朝の平穏ぶち壊しだ。
「はぁ……まぁ、とりあえず学校に行く準備でもするか」
朝一でビックリハプニングだぜ。
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俺がこの春から通う事になった名園高校は公立校だ。
学業レベルは平均、校風も穏やかで、割りとユルい感じの生徒が集まる、普通の高等学校である。
校舎は五階建て、体育館が別に造られており、さらには田舎の広い敷地を利用して、グラウンドや各競技場もある。どちらかと言えば文よりは武を重んじているのかもしれない。もう少しすればプールも開かれるらしい。男女混合でのプール授業は、賛否両論である。
そんな我が名園高校は、コーポ名園より徒歩で二十分ほど。学校が近いと朝の時間がゆっくり出来て助かる。いきなり橘田沼さんに奇襲を喰らったとしても、心を落ち着けてから家を出るだけの時間は十分にあるのだ。
「よぅ、黄金!」
通学路にて、背中を叩かれる。
振り返るとそこには見知った顔があった。
「なんだ、俊明か」
「なんだとはご挨拶だな。可愛い女子じゃなくて悪かったね!」
俺が名園に来て第一号の友人、佐藤俊明である。
校風がユルい名園高校では染髪も黙認されているので、コイツは当然の様に色を抜いている。明るい茶髪が眩い。
そんな軽い風体に似合って、性格も割りと軽いので付き合いやすい人間だ。
「おぅ、俊明。俺様の背中を気安く叩くとは、命知らずも甚だしいな」
「いきなりなんだよ。背中ぐらいいつでも叩いてるだろうが。なんならリストラを迫られた上司よろしく、肩も叩いてやるぞ」
「ならば俺とて、養う家族を路頭に迷わせる事に、年甲斐もなく泣き叫んでしまいそうなほど不安を抱えたサラリーマンよろしく、お前の手を振り払ってくれる」
「サラリーマンはそんな事しないだろ……」
ふむ、軽口も上々だな。もう少し歓談に興じるとしようか。
「バカヤロウ! サラリーマンはいつだって戦う大人たち! 背後に立たれれば殺気を読み取り、振り返り様にバッサリと一太刀を浴びせる事も可能だ!」
「お前はサラリーマンにどんな幻想を抱いているんだよ」
「幻想かどうかは確かめて見なければわかるまい! お前は本当のサラリーマンの戦場を見たことがあるのか!? 彼らは常にいろいろな物と戦っているんだぞ!」
「さも見てきたかの様に言うな? お前は見たことあんの、サラリーマンの戦場?」
「俊明は実にバカだな! イマジネーションを働かせろ! 想像力を失った人間には明るい将来なんか訪れないぞ!」
「ああ、うん。わかった。真面目に取り合おうとした俺がバカだった」
どうやら俊明を論破できたらしい。
よし、朝から調子が良いな。これは今日一日、良い日になるかも知れん。
「それはさておきさ。黄金は夏、どうすんの?」
「どうする、とはなんだ? 『夏の内に夜に輝く蝶になっちゃうの?』と言う意味を含んでいるのか?」
「お前がそうなりたいなら止めないけど、そうじゃなくて。夏休みは実家に帰るのかなって思ってさ」
そうか、そう言えばそういう事も考えられるな。
親父からはそんな話、一切出てこないので、まぁ多分親父も忘れてるんだろうな。
基本的には仕事に生きる人間だから、あんまり家族の事とかは省みない人間だ。長期休暇中に伴侶に元気な姿を見せよう! なんて微塵も思っていないに違いない。
「恐らく、そういう帰省イベントは発生しないだろうな。いやぁ、惜しいなぁ。帰ったら幼馴染のみっちゃんとのラブラブデートイベントフラグが立てられるのに」
「黄金にそんな甘酸っぱいイベントは起きないと、俺は信じている」
「なに、その無根拠な自信。お前は俺の何を知っていると言うんだ!」
「恋に晩生なシャイボーイなところがある、と言うのは十分わかってるよ」
くそぅ、友人関係を結んで数ヶ月しか経っていないと言うのに、そんな事実を突きつけてくるとは、こやつ……只者ではないな!
「この俊明様の見たところ、大方みっちゃんとやらも男友達か、もういっそ実在するかどうかも怪しいね」
「ば、バカヤロウ! みっちゃんは実在するよ! そう、俺たちの心の中に……」
「勝手に俺まで巻き込むんじゃねぇよ。黄金の心の中だけに存在してろよ」
「つれない事言うなよ。一緒にみっちゃん仲間になろうぜぇ」
「面倒くさい! 朝一でお前、面倒くさい!」
まさか面倒くさい認定されるとは思ってなかった。むぅ、ちょっと自重しよう。
「……で? 俺の夏の予定を確認してきたところから察するに、何か発展する話題があると見たが、如何に?」
「ああ、そうそう。忘れるところだった」
そう言って俊明が取り出したのは一枚のチラシ。手作り感満載の、非情にローカルな情報が載せられた紙だった。
「なになに……ボランティア活動、人員募集?」
「そう。夏休み中に、近くの川にある公園のゴミ拾いすんの。終わった後は川原でバーベキューしたりとかな。結構楽しいんだぜ?」
「お前、気でも違えたか?」
我ながら、ここまで人をバカにしたように目を眇めたのは初めてだと思う。
何が悲しくて、高校生が夏休みに、ボランティア。
「俊明くん、時間はもっと有意義に使うのが良いと思うがね」
「なんだよ、黄金。ボランティアは時間の無駄とでも言うのかよ?」
「無駄とは言わんが、俺は無償活動に喜びを見出せるほど、人間が出来ちゃいないんだよ。悪いが、他を誘ってくれ」
「ふむ、そういうだろうと思った。……実はこれには書かれていない特別な耳寄り情報があるのだよ」
「なんだ、それは?」
「これは川の底にあるゴミも拾う事になっている。更に、我が名園高校にはボランティア部が存在し、その部活はこのイベントにも参加する事になっている」
「だったらどうした?」
「おいおい、黄金! さっきお前が言ったばかりだろう? イマジネーションを働かせろよ。この夏の暑い時期、ボランティア部の女子も参加するこのイベント! 水辺で起こる嬉し恥ずかし特別イベントと言えば、一つだろうが!」
つまり、俊明はこう言いたいのだろう。
夏のこの時期、好き好んで厚手の服を着るヤツはいない。
女子だって当然そうだ。
その薄着の女子が川の中に入れば、服が濡れて、透けて、ちょっとドキドキの光景が待ち受けてるよッ!
……とまぁ、下衆な発想なワケだな。
「俊明、今のご時世、それほど濡れて透けるような服を着る女子は、皆無だぞ」
「そこまで高望みしてねぇよ。濡れた服が密着して、身体のラインがくっきり浮き出るだけでいい」
「そりゃフェティッシュな事ですな」
どっちにしろ、興味は引かれん。
自分で言うのもなんだが、俺はかなり利己的な人間だ。
自分に利がない事にはほとんど食指が動かないと言っていい。ボランティアなんて、どれだけ苦労したとしても見返りが薄い定番じゃないか。俺がそんなモノに参加しようものなら、地球が逆回転くらいしてしまいそうだ。
「うーん、まぁ、気が変わったらいつでも言ってくれよ。飛び入り参加も十分オッケーだからさ」
「バーベキュー以上の相応の報酬、ぶっちゃければマニーが出るか、天変地異でも起きなけりゃ、俺の心変わりは起きないだろうがな」
どっちにしろありえん話だ。
俊明と連れ立って校門をくぐり、昇降口を経て教室へ向かう。
一年生の教室は校舎の五階にまとめられており、毎日毎日長い階段を上るのが億劫で仕方ない。
しかもこの後、試練が待ち受けていることは想像に難くないので、俺は教室のドアの前で一度、深呼吸をして意識を整える。
そんな精神集中の様に、俊明は横で笑っていた。
お前だってな、俺の状況を味わってみればわかるんだよ。これから起こるであろう我が試練には心構えなしでは立ち向かえないのだ。
俺は覚悟を決めて、教室のドアを開ける。
「おっはよー、コガネ! 今日もまた陰鬱そうな顔してますなぁ! 私がハッピーにしてあげよっか!?」
俺たちが教室のドアを開けた瞬間、教室内からこちらに向けて発せられる大声。
無視しようにも出来ず、顔をしかめてしまった。
「おやおや黄金くん、朝っぱらからラブコール激しいな」
「俺としては勘弁して欲しいけどな」
声の元を見ると、いや確認しなくてもわかるのだが、俺の席の後ろに座っている女子だった。名を本田まや。聞いての通り、鼓膜ぶち壊し系女子である。
しかし、この女、誰彼構わず鼓膜をぶち破ろうとするわけではなく、俺をピンポイントに狙ってくるのだ。性質が悪い。出来れば別のターゲットをとって欲しいものである。
俺と俊明はその声に対して全く返事を返さず、そのまま席に着く。
俺の席は先日の席替えで、何の因果か知人に囲まれる形となっていた。
前方に俊明、後方にまや。
名園に来て日も浅い俺は友人と呼べる存在も少なく、話し相手が近くに居るのは至極ありがたい事なのだが、出来ればまやはもう少し離れて座って欲しかったね。
そんな鼓膜ぶち壊し系女子は、俺が椅子に座ったタイミングでまた、身を乗り出して声をかけてくる。
「ねぇねぇねぇねぇ、ねぇってば、聞け! コガネ! 昨日、コガネん家の隣に引っ越してきた人がいるってホント?」
「ああ、まぁホントだけど……何で知ってるんだよ」
「昨日、コガネん家の近くを通った人から聞いたんだよぅ。引越し屋さんのトラックが停まってたって! って事は、コガネんトコのアパートに誰か引っ越してきた、って事じゃん? しかも隣に引っ越してきたって事は、何かしらの接触があったかもしれないじゃん!? だったら質問するしかないじゃん!? どんな人だったぁ!?」
なにやらまくし立てて喋られたが、至近距離で大声を出されて、ちょっと内容が聞き取りにくかったな。でも内容を確認するほど手間をかけさせるわけにもいかないし、ここはスルーでいこう。俺の耳の健康のためにも。
「……ねぇ、コガネぇ! 聞こえてるぅ!?」
「うるっせぇな! 聞こえてるよ!!」
スルーは逆効果だったようだ。
「お前は他人との距離感を計れないのか!? お前の目は何の為に水平に並んでるんだよ!? もっとモノを立体的に見ろよ! この距離でその声量はおかしいだろ! もっと普通の、いや、お前にとってじゃなくて俺たち普通の人間にとっての通常の声量で喋れよ! 心持ち小さくても良い! いっそ小声で良い! お前の囁く声とか聞いてみたいわホント!」
「なにをぅ! 私だって囁くことぐらいできるわぁ! 魅惑のウィスパーボイスの持ち主って近所でも評判なんだぞーぅ!」
「じゃあもっとそのスキルを活かせよ! なんでそんなバカデカイ声でしか喋らねぇんだよ! 口の中に拡声器でも仕込んでるんじゃないのか!?」
「……」
おや、まやが急に黙り込んだぞ。鼓膜ぶち壊し系女子に似合わぬ振る舞いだ。
「あらら黄金。まやちゃん泣かしちゃったんじゃないの?」
「コイツがそんな女かよ」
「コガネ……」
様子を窺っていると、急にまやの手が伸びて、俺の頭をガッチリホールドした。
そのまままやの顔が近付いてきて……って、やばいですよ!? 距離的に!? 位置的に!?
「ちょ、ちょっとまやさん!? いきなり何を!?」
キスでもされてしまうのかと思ったが、まやは俺の耳元に口を置き、
「あんまり……大きな声を出さないで。私、怖い」
かすれるような小声で、そう囁いた。
その後、パッと離れて俺の顔を指差して大笑いをする。
「ぶっははははは! コガネってば、顔真っ赤! なになになに!? キスでもされると思った!? しねーよ! コガネにキスとか、しねーよ! バーカバーカ!」
「こ、この……ッ」
ヤバい、無意識にグーパンチが握られている。
いかんいかん、いくら相手がアホのまやでも、女の子にグーパンチはいかん。体裁が悪い。男としての尊厳にも関る。我慢しろ、俺。
ゆっくり右拳から力を抜いて、グーパンチを開くんだ……。
「みんな、朝から元気ね」
そこへ、もう一人の女子が現れる。本田まやの双子の姉、本田みやである。
「元気なのはお前の妹だけだよ」
「あっははは、コガネだって元気じゃん? とっしーだって元気じゃん? ついでにみやも元気じゃーん!」
「そうね、我が愚妹だけ異常にテンションが高いのは認めるわ」
ふぅ、とため息をついて、みやは俺の隣に座った。因みに、そこがヤツの席である。
まやとみやは本当に双子なのかと思うほど、似ていなかった。多分、二卵性と言うヤツなんだろう。
まやはうるさいほど元気で、みやは驚くほど落ち着いている。
外見もまやはどちらかと言うと垂れ目で、ショートカット。みやは若干吊り目でロング。髪の色もまやの方が明るくて、みやの方が黒い。
正反対な性格や容姿は、どうやら自分たちなりに差別化を試みたらしいのだ。
幼少の頃は顔つき以外は瓜二つだったようで、それが二人とも泣くほど嫌で、今のように性格を矯正する事にしたのだそうな。子供ながら涙ぐましい努力が実り、今や立派に差別化できる。出来ない方がおかしいほどになった。
子供の頃はどっち寄りだったんだろうか? まやが大人しかったのか、みやがうるさかったのか、どっちも見てみたい気もするな。
「それで、ねえ、三田くん?」
自分の席にカバンを置いたみやがこちらを見ていた。
「なんだよ?」
「こないだの返事を聞かせてくれないかしら?」
こないだの返事? ……俺がみやに返事をするような事ってあったっけ?
「あぁ、みや! コガネのヤツ忘れてるよ! 完全に失念してる顔だよ、これ!」
「……まぁそうではないかと思っていたけれど、ちょっとショックね」
「え!? 何これ、俺が悪者な感じ!? ちょっと待って、思い出すから!」
みやに沈んだ顔をされると、何だか本能的に困る。
まやとは違って立ち振る舞いが女性的なみやは、正直物凄く可愛い。そんな女の子が伏目がちなのを見て、男としてはどうにかしてやりたくなるのが心情だろう。
なんとかみやの為にも、内容を思い出さねば。
何か返事をするような事……?
いかん、記憶の検索エンジンに全然引っかかってこない。
「ブブー、時間切れー」
まやのチョップが俺の脳天に振り落とされる。
「コガネぇ、最低だよ、女の子との約束忘れるなんて」
「この俊明からも言わせてもらおう。それは流石に、男としてどうかと思うぞ」
「いいわ、正直、余り期待もしてなかったし」
三者三様、俺に対して酷い言い様だ。くそぅ、なんてこった。自業自得なので何も言い返せない!
「仕方がない。もう一度、この俺様が用件を伺ってやろう。申してみよ」
「うわっ、忘れたくせに態度でけぇ」
「コガネ、最低ぇ」
俊明とまやの冷たい視線が突き刺さってくる。……ふっ、しかし、所詮は下賎の者達の野次。高貴な俺様が気にする必要はない。
「さぁ、みや、もう一度伺おう」
「……ふぅ、まぁ別に気にはしないけど、次はないわよ?」
みやはそう前置きを置いてから、俺を視線で射抜く。
強い輝きを持つみやの瞳はとても魅力的かつ攻撃的だった。
そんな凛としたみやが言った言葉は
「今度の日曜、買い物に付き合って」
なんて事はない、買い物の誘いだった。
……おや、やっと記憶の中にそれらしき会話が思い出されたぞ。
「それって、ちょっと前に……確か、昼飯の時とかに話したよな?」
「覚えてるんじゃない。なんで忘れたふりしたの?」
「いやいや、その話をした時、俺、返事しなかったっけ?」
「私は聞いてない」
あれ、おかしいな? その時確かに、『基本的に女子の買い物とは長いし退屈だと相場が決まっているので、暇な時間が苦痛である俺としては拒否せざるを得ない』と、明確な拒否の姿勢を提示したはずだが……。
間違いない。しっかり拒否した。
「俺の記憶が確かなら、嫌だって言ったはずだ」
「私は聞いてない」
「聞いてないはずないだろ。お前の目の前で、しっかり言葉にして拒否したし。これで聞いてないと抜かすのならば、お前は若年性健忘症か、もしくはみやにソックリな別人になるな。さてはお前ら、三つ子だったな?」
「わからないかな、三田くん」
呆れたようにため息をつき、みやは俺の肩を叩いた。
そしてまた、強い視線を俺に向け、きっぱりと言い放つ。
「行間を読まなきゃダメよ? 私は(自分に不都合な返答は)聞いてない」
「ふざけた事言うな、ボケ」
何を真顔でトチ狂った事を……。やはりあの妹にしてこの姉あり。本田の家の姉妹はどっちにしろ、別ベクトルでアホだ。
「とにかく、三田くんに拒否権はないわ。いいから日曜、付き合いなさい」
「じゃあ俺の意見を聞く意味がねぇだろうが!? なにその自分勝手な物言い!?」
「わかってないわね。私はちゃんと貴方から『わかった、付き合うよ』ってセリフが聞きたいの。それで、待ち合わせの場所と時間をキャッキャウフフと決めたいの」
「代役を立てろよ! 俊明でも誰でも……なんならお前の小奇麗な面で釣り上げた、十派一絡げの有象無象でも引っ張って来いよ! 買い物ぐらい、二つ返事で付き合ってくれるヤツはゴマンといるだろうよ! 逆ナン現地調達も可!」
「わかってないのも極まれり、ね」
みやは俺の胸に手を当て、ズイと身体を乗り出し、顔を近づける。
「私は、三田くんと一緒に行きたいの」
くらっと来るような殺し文句。
言ったように、みやの顔は十分可愛い。そんなヤツにそんな殺し文句を言われたら、並の男は陥落してしまうだろう。だが、俺は違う!
「断固断る! 俺の貴重な休日を浪費してたまるか!」
みやを引き剥がして、俺は首をブンブン振り回す。
危ない危ない、強烈な色香に騙されるところだった。
コイツはこうやって星の数ほどの男を騙して来たに違いない。俺はそんなやつらとは違う。みやに惑わされるような軟弱な精神ではないのだ!
「いいじゃねぇか、黄金。買い物くらい付き合ってやれよ」
「俊明、ならば貴様は耐えられるのか? 女子共の買い物時間の長さに!」
「俺は楽勝だけど? 待つのも男の甲斐性だろ?」
「だとしても、俺はみやの為に甲斐性とやらをひけらかしたくはない!」
「なんでだよ? みやちゃん可愛いだろ? そんな女の子に言い寄られて、悪い気はしないだろ?」
「その程度で鼻の下を伸ばしてしまうから、お前はいつまで立っても二流三流なのだ! 俺くらいの男になると、甘言などには騙されず、真実の愛だけ貫き通すんだよ!」
「……それって単にチキンなだけだろ?」
「う、うるせぇ!」
ビビりじゃないやい。
「良く考えてみろよ、黄金。お前なんかどーせルックスも中の中、学業も運動も並、将来性だって凡、女にモテる要素はアベレージしかないんだぜ? それなのにみやちゃんはこんなにラブコール送ってくれてるんだから、これは千載一遇空前絶後のチャンスだろ? これに乗らない手はないって」
「なんなんだ、お前は。俺とみやが付き合うのに賭けでも行われているのか? そんでお前は付き合う方に賭けてるのか? だったら俺も噛ませろ。付き合わない方に一万円くらい賭けてやる」
「仮にそんな賭けが発生していたとして、付き合わない方が配当低いだろうけどな」
「な、なにをぅ!? そんなわけあるか! この俺様ほどの者が、こんな女一人落とせないわけがないだろう!?」
「えぇ~、信用し難いなぁ」
「何を仰る俊明さん! 俺のスケコマシスキルを侮っちゃいけませんよ!」
「じゃあ、それを証明するためにも、日曜は付き合うんだな?」
「おぅよ! やったらぁ!」
「じゃ、決定」
……あれ?
いつの間にか、俺の小指とみやの小指が絡んでいる。
おかしいな? どうして、こんな流れに?
「三田くん、約束破ったら針千本飲ませた上に拳骨一万回食らわせるから」
「こ、怖ぇよ。目がマジだよ、この人」
チクショウ、一体なんでこんな事に!




