phrase.07「――これが、海中を走る蒸気機関車」
「旦那が止めに入った時にはヒヤッとしたッスが、こうして無事に済んで良かったッスね。……まあアッシは、旦那のことを信じてて手を出さなかったッスけどね」
「……アンタは隅っこで震えてたけだけでしょ。私がストンホルムに襲われてたのに、恥ずかしいと思わなかったわけ?」
学園の地下へと続く階段を降りていく。
あれから四人は、なんとなく一緒になって『住居区域』へと向かうことになった。どこに行けばいいのか分からなかった紫苑にとって、この集団行動はありがたかった。
「なに言ってるんスか!? あそこでアッシが出ていってもやられてただけッス。世の中、賢い生き方をした人間が生き残るんスよ。そしてアッシは、旦那のあとをついていけば、将来は安泰ッス」
「サイテー。打算で他人と付き合うなんて。それに、アンタが付き従いたいのはフイファン先輩でしょ」
学園の生徒みんなが、考えていることはシンクロしていた。
新たな一日も無事に終わったことだし、取り敢えず寮に帰って休もう。
そういう思考の持ち主たちによって、階段はごった返していた。
かなり幅が広く造られている長い階段だが、四人並んで歩くことはできずに、二人ずつ並んで歩くことになった。
ヒートリンクスは、一応保険医に診てもらった。
数箇所の打撲程度で済んで、完治には時間がかからないらしく安心した。包帯を巻いてはいるが、今は口角泡を飛ばすぐらい元気。
そして、ヒートリンクス隣にいたのは、両目に包帯を巻いているアシュレー。
二人とも初対面のはず。だが、ある意味歯車が噛み合っているかのように、激論をポンポン交わし合っている。
既知の仲である紫苑と、フイファンは自然と隣同士。
だからこそこうなったのだが、ヒートアップした口論は本人達の思考以上に大きい。
つまりは、周りにいる生徒全員に丸聞こえだ。
アシュレーは、およそ大多数には受け止めきれない持論を振りかざす。
「打算で付き合うことの何が悪いんスか? 突き詰めてしまえば、人間関係なんて所詮は損得勘定ッスよ。自分に利益がない人間は切り捨てる。それって、みんなやってることじゃないッスか。それを自覚的にしているか、していないかの違いしかないんスよ。それに、擦り寄るのならまずは旦那からッスよ。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』って言うじゃないッスか」
「サイッテーね、アンタ。紫苑は確かに騙されやすそうな顔してるけど、まさかそこまで馬鹿じゃないわよ」
だから、二人の後ろにいる紫苑にも全て聞こえている。
二人で仲良く紫苑の悪口を出し合っていることも。
悪気がないことは分かってはいるが、罵られている張本人にとしてはどうにも居心地が悪い。
「丸聞こえなのは分かっていないんだろうな。あの二人は」
どうしたものかと、フイファンに助けを求めるように目線を横にやる。
だが、目の前の諍いなんて瑣末と考えているかのように、フイファンはどこか遠くに焦点を合わせていた。そして我に返ったように真顔になると、スッと目を据わらせる。
「……たしか、君はヒートリンクス君と同室だと言っていたよね?」
「そう、だけど。それがどうかしたのか?」
女子と同じ部屋で、これから三年間共同生活。
緊張するなという方が無茶な話だ。
この学園に入学する前は、考えもしなかったシチュエーション。
モテ期が人間の一生の内に、三回は来る! という都市伝説を信じて止まなかった紫苑だったが、こうも恋のキューピッドに振られていると、そんな儚い夢も次第に見なくなっていった。
だから、正直達観していた。
男子高校生らしい恋愛なんて、紫苑には訪れることなんてない。15年間なかったことが、ほんのちょっとの、きっかけで生まれるわけがない。
「君に忠告しておくけど、彼女とはあまり仲良くならない方がいいよ」
えっ、と紫苑は聞き返すように言う。
だが、すぐにフイファンの言いたかったことの意味を把握する。
紫苑が無駄な期待しないように、釘をさしてくれただけだ。
「仲良くなるも、ならないも。俺は女子と仲良くなった経験なんてないから、そんな怖い顔しないでもいいって」
「そうやって君は自分を過小評価するところが――いや……今回ばかりは君が正しいね。いいかい、君のことを好きになるなんて奇特な女子は――この世には! 絶対に! いない!」
「……そんなに力強く言われなくたって、自覚ぐらいしてるよ」
異性にモテないことは自認していた。
だがそのことを、改めて他人に強調されるとうっすら涙がでそうになる。
「………………すごっ………………」
「……これが、この学園の移動手段ッスか」
と、前にいた二人が、急に静かになる。
何かに見蕩れているように棒立ちになっていたので、紫苑は二人を追い越す。
そこは、長かった地下への階段も降り終われ、ようやく開けた場所。
さっきまで薄暗かったが、カッと光が放たれる。それは、上についている照明の光だけじゃない。これから四人が乗り込む、乗り物の光源でもあった。
ひんやりとした空気が流れる。
モクモクと立ち上る煙は、その風に吹かれて彼方へと運ばれている。
そのお蔭で煙突のような黒い筒から、煙が出ているが全く煙たくはない。地下に充満しないように、意図的にこの風を起こしていることに紫苑は気がつく。
黒くて光沢のある乗り物。
無骨なフォルムと、鈍重そうな乗り物にはロマンさえ感じる。現代では、骨董品として博物館に飾られていてもおかしくはない。
フイファンは三人の前に一歩出る。
学園の先輩は、圧巻の乗り物について解説を入れてくれる。
「ボクも最初に見たときは、今の君達みたいに、流石に驚いたけどね。しっかりと水中トンネルは補強されていて、事故なんかは起こしたりしないから安心していいよ」
紫苑の足よりも大きい動輪は、歯車のように噛み合っている。敷かれているレールは、仄暗い地下の奥まで続いている。
「そう。――これが、海中を走る蒸気機関車。――ユーイリエ蒸気機関車だよ」