phrase.04「――なにかお困りのようッスね、旦那」
「ここ、どこだ」
講堂での長い説明会が終わった。
それまでは無事だったのだが、大勢の生徒達に揉みくちゃにされた。人の波に流され、こうしてすっかり迷子になってしまった次第だ。
紫苑は紙袋をゴミ箱にポイッと捨てると、掲示板に視線を見やる。
現在地がわかる、地図みたいなものはないかと隅々まで探してみる。情報紙が所狭しと貼ってあるだけで、どこから目を通していいのかも分からない。
と、一枚の巨大な紙に目が行く。
紫苑の名前が記載されてあった。その他にもズラリと氏名が縦に羅列してあって、受験番号みたいなものが横にある。
「なんだ、これ?」
「――なにかお困りのようッスね、旦那」
紫苑の独り言を拾ったのは、頬から口元までさっくりと斬られたような傷跡を持つ男だった。
厳重に巻かれた包帯は、両眼を覆っている。何か企んでいるように、口は三日月の形にニンマリと笑みを作っている。
ひょろりとした長身痩躯なのだが、猫背のせいで紫苑と頭の高さはほとんど一緒。
黒い外套を羽織っていて、長すぎる裾を引きずっている。まるで、魔術師の格好だったが、それがまた、眼前の男の胡散臭さに拍車を掛けている。
「そんなに警戒しなくてもいいッスよ。同じ色なし仲間じゃないスか」
確かに、胸には白いバッジがついている。
上級生が未だに最底辺にいるとは考えにくいので、恐らくは同級生。だからこそ、こうも仲間意識を持たれているようだ。
だが、揉み手で擦り寄ってきそうな感じが、どこか嫌悪を抱かせる。
「アッシの名前は、アシュレイ・アリオネット。覚えづらかったら、アシュレーでイイッスよ」
「……黒獅子紫苑」
「紫苑の旦那ッスね。よろしくお願いするッス。実は、さっきの騒動。アッシは、ライブ観戦させてもらったんスけどねえ。旦那が『昏鐘鳴の悪魔』『灰色濃厚』の従者だったんスね。お会い出来て光栄ッス。サインとかもらえるッスか」
どこから取り出したのか、ペンと色紙を持ち出してきた。
この小芝居が、どこまで本気なのかが分からない。
「こじみ……? はいしょ……? もしかして、フイファンのことか?」
「そうッスよ。知らなかったんスか」
「俺は、半年前まではただの無操術師だったんだよ。悪いけど、その手の話は一切知らないんだ」
マジッスか、と驚いたような顔をされるということは、この学園では常識的なことらしい。どこか信用できなさそうな男は、指を三本立てる。
それじゃあ説明するッスね、と一言断ると、
「最上操術師はこの学園に三人しかいないッス。その最強さに憧れて、この学園に入学する生徒も少なくはないッスよ。……しかも、その三人の中で、唯一『隷属』なしでこの学園の頂きに登り詰めたのが、フイファン先輩ッスよ。そのフイファン先輩が『隷属』に選んだのが、他でもない旦那ッスね。だから、旦那の存在を知らない学園の生徒なんていないはずッス」
「……胃が、キリキリする話だな。……なんだか期待してもらっているところ悪いけど、俺は正直この学園のことも正直よく知らないんだよ。だから、この紙がどんなやつかも知らないんだ」
首を傾げながら、ずっと気になっていた紙を指差す。
新入生がこの学園のことをよく知らないのはお互い様ッスよ、と新入生の同士らしい気安さでアシュレー返してくれる。
「だけど、教師の話ぐらいは聞いていた方がいいッスよ。この掲示板のこともさっき、大教室でちゃんと説明してたじゃないッスか」
「そ、そうだったのか。肉食べてるのに必死で、そこだけ頭に入らなかったのかもな」
「……なんで、学園説明中に肉食べてるんスか?」
確かに傍から見れば、変人認定されてもおかしくない。
紫苑より、よっぽどおかしな力を持っている学園の生徒達に変だと思われていたのかと考えると、ちょっと腑に落ちない。
「それは、寮の部屋割りッス。この学園のことを全く知らないなら、まずは、学園のことから説明しないといけないスよね。でもまあ。ユーイリエ操術学園が、全寮制の学園ってことは当然知ってると思うッス」
「それは……流石に知ってるよ」
世間知らずだと思われたくなくて、ちょっと見栄を張ってみた。
「寮は一部屋に二人の決まりッス。今からどれだけ異を唱えても、学園がランダムで決めたペアを覆すことはできないらしいッス」
「それって、結構重要じゃないのか」
この学園生活の三年間を一緒に過ごす相手が、この一瞬で決まる。
そう思うと、なるべくまともな人間と共同生活したいと思うのが常道。
「旦那はよりにもよって、『華凛・ヒートリンクス』ッスからねえ。ご愁傷様ッス」
「……それって、どんなやつなんだ?」
口ぶりからして、あまりまともな人間だとは言えないようだ。
「ヒートリンクスは、一年で既に『ブロンズレベル』にまで達している、新入生の中では頭ひとつ飛び出たバケモノッス。まあ、フイファン先輩は、新入生の時点で『シルバーレベル』だったんスけどね。あの人は別格ッス」
もう一度紙に目を通してみると、紫苑の名前のすぐ下に『華凛・ヒートリンクス』の姓名が刻まれていた。
バケモノと聞いていい印象は浮かばない。バケモノと呼ばれるぐらいだから、ゴツゴツで筋肉隆々の巨漢が頭に浮かぶ。
「なあ、そいつがどんな顔なのか知って――」
紫苑の質問は、ベキベキッ、メキッ、という音に遮られる。
掲示板に一筋の亀裂が入ると、ボコッと壁に穴があく。その穴から飛び出してきたのは、足。しなやかな脚線美を魅せながら、唖然としていたアシュレーの顔面に蹴りが入る。
「ぐげぇ!!」
メコッと顔面がへこんだアシュレーが悲鳴をあげる。
そいつはもう片方の足で、壁に膝蹴りをするように盛大に壊す。破壊した壁を撒き散らしながら、アシュレーを吹っ飛ばす。大きく穴を開けたそいつは、アシュレーのことなど意に介さない。パラパラと壁の破片が肩に落ちるのを、鬱陶しそうにしているだけ。
それは、女だった。
タッ、と華麗に着地した闖入者は、パッパッとスカートの埃を払う。
大破した壁から外の光が差し込んでくる。長髪を振りまくと、髪についていた光の粒子が空気へと溶ける。さらりと髪が微風に流れると、その顔の全貌が明らかになる。ボウッと光の繭に包まれている女は、まるで精霊のような美貌を持っていた。