phrase.02「ようこそ、ユーイリエ操術学園へ――」
それはまるでどこぞのお祭り。
ボン、ボンとプチ花火みたいに色鮮やかな煙が、大空に何度も炸裂する。
ユーイリエ操術学園。
眼前に見える校舎は、西洋の城のような建造物。
立ち並ぶ建築物の中心には時計台が聳えている。
一つの島を『機関』が買い占め、巨大な学園施設として作り変えた。パンフレットによると、『学園区域』『住居区域』『商店区域』『戦闘区域』『廃墟区域』の五つの区域があるらしい。
島一つを学園生活の場に造ったのだから、一般の高校とはスケールが違う。
そのせいか、この学園の行事一つとっても大規模。耳を聾するほどの盛り上がりと、人ごみの熱気に当てられて、早くも黒獅子紫苑は人ごみに酔ってきた。
黒獅子紫苑。
この妙に格好良い名前のせいで、苦い思い出には事欠かない。紫苑の見た目は凡庸そのもので、全く獅子らしくないからだ。
長くもなく、短くもない黒髪。
装飾品の類は一切なし。
男子高校生の平均身長。
要するに、名前負けしているとしか思えない容姿だ。
他人に自己紹介すると、露骨に残念そうな顔をされる。相対的に比較して秀でる分野があるわけでもないし、何かに熱中できる趣味も持っていない。直しきれていない寝癖が唯一、獅子の鬣に類似しているのが逆にむなしい。
一言に切り捨ててしまえば、つまらない男だ。
制服登校とパンフレットに記載されていたから、バカ正直に学園指定の制服を着込んできたのだが、視界に入る全員が私服を着用していた。
こういうところが融通が利かないとか、空気が読めないと言われる所以なのかも知れない。
「それにしても……このパンフレットに目を通してなかったら、まさかこの派手な祭りが入学式とは思わなかったかもな」
そう、これはれっきとした入学式だ。
それなのに、出店が両端にズラリと揃っていて、飲食物を販売している。店に立っているのは学生ばかりで、祭りは祭りでも文化祭といったノリに近い。
「ちょっと、ちょっと、そこのお兄さん」
「……俺、ですか?」
「そうそう、寄っていってくれないかなー?」
にっこり笑顔で手招きしたのは、巫女服の女性だった。
スカート丈は短く、手にトレーを持っているせいで、どこぞのウェイトレスのようだった。パッチリとした金色の瞳をしていて、三本の細長い髭が横にピンと張っている。
ただのブロンズヘアーかと思っていたが、ひょこっと獣の耳が立つ。
この学園では珍しくない光景といっても、まだこの世界に足を踏み入れたばかりの紫苑は腰を抜かしてもおかしくはない。
たじろぐ紫苑に、狐耳の女性は気分を害した様子はなかった。
「はい! お兄さん食べてみてー。タダだから! なんと、今ならタダだから! はい、あーん」
「あ、あーん?」
皿に盛り付けてあった串を口元に差し出され、断ることもできずに咀嚼する。
骨がコリコリしていて、それでいて、肉の感触はジューシー。
今まで食べたことのない食感で、美味というよりは珍味。最高に美味しいという訳ではないが、今朝は五キロの肉しか口にしていない紫苑は目を輝かせる。
「……おいしい」
「そうでしょー!! 美味しいでしょー? なんたって、お稲荷さんのお肉だからねー!」
「…………おっ、いなりさん!?」
ぶっ、と口に含んでいた肉を、もう少しで吹き出すところだった。
狐耳の巫女が、お稲荷さんの肉を販売しているとかシュール過ぎる。
「ウ・ソ。まあ、なんのお肉か聞かない方が、お兄さんの為だと思うから、黙っとくけれどねー!」
ゆらりと、巫女のフサフサした尻尾が動く。
もしかして、この人は俺と同じ種類の……と、紫苑が思わず目で追っていると、
「私は『式鬼神』だよ。『吸血師』には『眷属』がいるように、『魔術師』には『使い魔』がいるように、『陰陽師』には、『式鬼神』がいる。まあ、もっとも私のご主人様はもうこの学園にはいないから、今のところフリーで寂しんだよねー。どう? お兄さん、私のこと買ってくれる? お兄さん可愛いから、ちょっとだけお安くしておくけど?」
「け、結構です!!」
上目遣いで瞳をウルウルとさせていたが、冗談を本気にした紫苑を見やるとププッと笑う。どうやら巫女の方が一枚も二枚も上手らしい。
この学園には、『操術師』と『隷属』という2種類の生徒がいる。
『操術師』は強大な力を持っていて、あらゆる術を行使できる万能の存在。だが、万能であっても全能ではない。
例えば、『操術師』が、術を行使する際には多少のタイムラグが発生する。そこを突かれてしまえば、なんの能力も持っていない一般人すら勝ててしまう可能性がある。そんな事故を未然に防ぐために使役するのが、『隷属』だ。
『隷属』とは、術者の剣となり、時には盾となって術者を守護する存在。
何かしらの契約を交わした『操術師』と『隷属』の関係性は、その契約を『操術師』自身が破棄するか、『操術師』の命が尽きるか、といった特例が発動されない限りは半永久的に持続する。
「美味しかったでしょ、お兄さん。ほら、こうして私たちが出会ったのも運命! せっかくだからもっと食べちゃおうよー。今なら出血大サービスで、2割引にしてあげるから。……ね? ほら、どんどん買っちゃってー!」
「今から入学説明会で、そんなの食べてたら……」
「いいの、いいの。そんなこと気にしないで! あんなの形式だけで、先生の自己満足な演説を聞くだけなんだからさー。取り敢えず買っちゃお! 30本ぐらい買っとこー!」
「いえ、その、」
「よっ! 男前だねー、お兄さん。『ここで買ちゃおう!』……って即決断するなんて、格好良いよー。それに、タダ食いしちゃったんだから、このぐらいは買っておかないと将来甲斐性なしになっちゃうよー!」
矢継ぎ早に促してくる巫女さんに気圧され、言われるがままに正体不明の肉を購入。それから、「毎度有りー、またのご贔屓をー」と営業スマイルに見送られ、ようやく解放された。
紫苑の腕には、抱えないといけないぐらいの大量の紙袋。
この身体になってから、山のような肉を毎日食べなければならなくなったのだが、今はまた別の話だ。
学園生活が始まる前から、前途多難。
この状態のまま入学式に望まないといけないかと思うと、憂鬱になる。ため息をつ――
「…………あっ…………?」
いきなり、音が消える。
まるで世界そのものが停止してしまったかのように、ぱったりと。
鼓膜が破れてしまったのかと思った、そのたった一瞬の刻。
呆然と立ち竦んでいた紫苑が我に返ると、いつの間にか人垣が真っ二つに割れていた。まるで、前から向かってくる人だけが極彩色。それ以外の生徒たちは色褪せて見えるぐらいに、その人間の存在感は凄まじかった。
「まったく、君という人間はどこまでお人好しなんだい。どうせ、そこまで必要ないのに、買わされたんだろうね。その他人に遠慮する性格は矯正した方がいいと、ボクは君に再三に渡って忠告したよね」
アッシュヘアーと同色の瞳をしてる人間は、平然と歩み寄ってくる。
まるで、他人から注目されているのに、慣れきっているかのように。
「もっとも、君のその短所は長所にも結びついているのだから、そのままでも充分君は魅力的だと思うけどね」
平坦な口調のせいで、褒められている気が全くしない。
美麗な顔をした、紫苑の『操術者』は口の端を不器用に上げる。そして、華奢な手を紫苑に差し出すと、最上級生として威厳のある声でこう言った。
「ようこそ、ユーイリエ操術学園へ――」