phrase.28「生きとることを、実感するためかの」
過去編
夕暮れ時。
大空は段々と血の色に染まっていく。
家に帰宅するまでに、ポロポロと流した涙の跡をゴシゴシと消す。
いつものように今日も、ヒートリンクスは仲間外れにされた。
殴られたり、蹴られたりといった暴力行為はこちらの反撃が怖いのか一切されない。せいぜい石を投げられたり、所持物を使い物にならなくされたり、陰口を叩かれたりされただけだ。
大人は気色の悪い生物を見るかのようにヒートリンクスを奇異の目で見るだけだが、子どもは剥き出しの言葉をぶつけてくる。
そんな時に思うのが、死んだ方がましだということ。
自分から望んでこんな力を得たわけでもないのに、『四聖精霊』の一つを使役する『精霊師』というだけで、毎日繰り返されるのはバケモノ扱い。反論するようならば、集団の力に押し潰される。バケモノ退治を正義だと信じ切っている人たちは容赦がない。
ヒートリンクスは家の戸の前につくと、身だしなみをチェックする。家の人間に何かがあったと思われたくないからだ。
と、ドアノブが勝手に回る。
幼いヒートリンクスの前に聳え立つように、見たこともない二人の大男が立ちはだかる。スーツを着ているためか、どこか堅苦しいイメージがあって近寄りがたい。
ヒートリンクスを観て一瞬驚いたようにするが、すぐに男たちは表情を緩める。どこか作り物のような笑顔をすると、
「やあ、君が――」
「さっさと、この家から出て行け!! 餓鬼ども!!」
家の中から怒声じみた叱咤の声が聴こえる。
仕方ないという風に、男二人は吐息をつくと、すごすごと引き下がっていった。
ヒートリンクスがおずおずと家の中に入る。
そこには、祖父が機嫌悪そうに腕組みをしながら椅子に座っていた。貧乏ゆすりのせいで、カタカタと机が揺れている。
白髪交じりの髪で、祖父の肌には皺が刻まれている。
いつも鬼気迫るものがあるので、冗談の類は一切言えない祖父はいつも怖かった。家族であるのに、あまり積極的に感情を吐露出来る相手ではなかった。
ヒートリンクスは、ただいまと、か細い声で言うと、
「ガロウお祖父ちゃん、さっきの人たちは誰だったの?」
「ん? ああ。なんでもない。礼儀を知らん、無礼な餓鬼どもだっただけだ。……それよりも、今日も何かされたのか?」
ガロウの観察するような睨みに、ビクッと怯える。
「なにも……ないけど」
ガロウはハァと疲れたようにため息をつく。
「子どもは大人に遠慮なんてせんでいい。嘘なんぞつかんでいい。お前の顔を見れば、なにかがあったのかぐらい分かる」
ヒートリンクスは、グッと両唇を口内で噛む。
こちらが、どれだけ努力して我慢しているのか分かっているのだろうか。心配をかけさせないよう、必死で家では取り繕っていることがどれだけ辛いことなのか。何かあったらなんでも相談しろだなんて普段言いつけられてはいるが、言えば確実に困り果てるだろう。
それが嫌だから、いい子でいたいと思っているのに。
どうしてそれに気がついてくれないのだろう。
どんな問題も、一人で背負い込んで溜め込んでいるということを。
「なんでも、ない」
ガロウはガタン、と椅子を鳴らす。拳骨が飛んでくるのかと、ヒートリンクスはビクついて、眼蓋をギュッと閉じる。首をすくめて痛みに耐える姿勢をしていたが、いつまで経っても拳は振り下ろされることはなくて、不思議に思っていると、
「よく、頑張っとるな。偉いぞ」
ポンと、頭に掌を乗せられていた。
紅い髪がクシャクシャになるまで頭を撫でられ、ただただ呆然とヒートリンクスは上を向く。ガロウの優しげな眼差しを一身に受け取りながら、ただ見つめていることしかできなかった。
「両親がおらんくて、ただでさえ辛い。それなのに、みんなに酷い仕打ちをされ、それでも我慢して、お前は立派な子だ。俺はそんなお前を誇りに思っとる。……だがな、俺の前では我慢せんでくれ。それとも、俺はそんなに頼りにならんか?」
うっ、と呻くようにして、泣く。まるで発作を起こしたかのように嗚咽を漏らして、唇を噛み締めているが、それでも声は出てしまう。
ダムが決壊したように、心の垣根は取り払われる。
「……私は、生きていていいのかなあ……。……こんなに……こんなに……みんなに色々されて、私はいらない子なのかなあ……。……だから……お父さんもお母さんも、家にいないのかなあ……」
「そうじゃない。お前のお父さんもお母さんも、本当にお前のことを愛してくれとる。……ちょっと仕事が忙しくて、今はこの家には帰って来れんだけだ」
「――ほんとうに?」
ヒクッ、ヒクッと声に出しながらも、少しだけ涙が引いていく。
「本当だとも。俺はお前と違って嘘はつかん。お前の両親は、離れていてもお前のことを想っとる」
ガロウはそう言うと、懐から煙草を取り出して火を灯した。そして、煙草に口をつけると、煙をフゥーと吐き出す。
ヒートリンクスはウッ、と鼻をつまむ。
「煙草、臭い」
「ああ、すまん」
ヒートリンクスがいることを思い出したかのように、灰皿に煙草を押し付ける。
「どうして大人は煙草を吸うの? おじいちゃんは、ただでさえ体にわるいんでしょ?」
いつも病院に通院しているガロウは、身体そのものが以前に比べて細くなっているような気がする。それでも未だに、怖いぐらいの威厳は健在なのだが。
ガロウは逡巡すると、
「そうさなあ。生きとることを、実感するためかの」
「……分かんない」
「まあ、今のお前には分からんままで――ゴホッ、ウッ、ゴホッ!!」
副流煙が気管に入ったかのように咳き込む。
まだ煙を出していた煙草の火を完全にもみ消すと、ガロウは洗面所にいって何度か吐いていた。ヒートリンクスは慌ててガロウの許へと駆けていく。
「大丈夫、ガロウおじいちゃん!?」
「……ああ、大丈夫だ」
やつれた顔をしたガロウは、ヒートリンクスの前だからと、なんとか笑みを溢す。
そっとヒートリンクスは視線をスライドさせると、洗面所には赤黒い水が流れていた。




