phrase.27「お前は、俺が幸せになるために生きていてくれ」
「……なんだ、そういうこと」
全てを見切ったとばかりに、冷笑を浮かべるヒートリンクス。
涙の気配を頬の上辺りにグッと力を込める。
「不死と言っても、所詮は動く屍。自己回復が追いつかない速度で、全身を灼き切れば流石に死ぬわよね」
「ああそうだ。……だけど、お前にはそんなことできない」
確信に満ちた瞳の色をしているのが、無性に腹が立った。
ヒートリンクスはギリッと奥歯を苛立ちげに噛み締めながら、照準を敵に合わせる。
「できるわよ。こうやって――ね!」
銃口に収束させた熱量を帯びた炎の球体を、連続射撃する。
威力を弱めることになるが、発射速度は段違いに速くなる。ドゴォオン! と、小爆発が起こったように地面が爆裂する。
紫苑は、銃口の位置からなんとか軌道を予測できてはいるが、それも時間の問題。不死といえども、疲労は蓄積される。紫苑が足を止めた時に、集中砲火をすればこちらに采配が上がる。
だが紫苑は、そんな勝負の駆け引きはどうでもいいかのような顔をしていた。
「俺は、騙されない」
ヒートリンクスは、紫苑の言葉に眉根をひそめる。
「何言ってるのよ? 負け惜しみ? 言っておくけど、もうアンタは私に騙されたの。冷酷無比で、なんの躊躇いもなく自分の身勝手で他人の命を平気で奪う。それが、私なのよ」
「違う……っだろ」
カタカタと、何故かまだ銃口が定まらない。
そのせいで、紫苑に直撃しない。
両手で包み込むように銃を持ち直す。そして、更なる猛撃を開始する。
地面を横に転がりながらも、紫苑はただ胸中を叫ぶ。
「なんでお前は、その遠距離専用の『纏術装具』を近距離で使ったんだ? ……近距離だったら、逆にその武器は扱いづらいだろ」
「……アンタを……確実に仕留めるためよ」
「違うだろ!! ……お前はその手を血で汚したくなかったんじゃないのか!?」
ピクンとヒートリンクスの肩は跳ねる。
怖かった。
また血を流す人間を目にすることを想像しただけで、昨晩は足が竦んだ。手の震えが止まらなかった。だから、一撃で殺せる銃を選んだ。
「トドメを刺そうとした時に、お前目を瞑ったよな!? それは、無残な俺の姿を見たくなかったからじゃないのか!? 本当はお前だって、こんな戦いなんてしたくなかったんじゃないのか!?」
「……黙れ」
「俺は、お前の過去がどれだけ重いのかは知らない。家族がいなくて、どれだけ辛い思いをしたのかも分からない。お前の闇の深さにも気がつけなかった。……だけど、お前がどんな人間かぐらいは、知っているつもりなんだ」
叫んでいないのに、何故か心の芯に突き刺さってくる。
ビリビリとこちらの肌まで鳥肌が立つほどに、紫苑は剥き出しの感情をぶつけてくる。なんの武器も持たず、何の防御態勢もとらずに、紫苑は猪突猛進に突進してきた。
勝算なんてあるはずがない。
こちらが攻撃してこないと信頼しきっているかのように。
ただ馬鹿みたいにヒートリンクスのことを信じているように、突き進んできた。銃口を向けられているのに、これだけ攻撃されているのに。身体の傷が治るといっても、その心は傷だらけのはずなのに。それでもまだ、前に進んでくる紫苑が怖かった。
なんでそこまでできるのかが理解できず、ただ恐怖を感じていた。
「お前は、誰かを傷つけて心を傷めることができる。他人の痛みを理解できる。……そんな、優しいやつだってことぐらい、分かってるつもりなんだ」
馬鹿みたいに突進してくる紫苑。
それを振り払いたかった。
心を見透かされているみたいで、ただ怖かった。
「黙れええええええええええええええええ!!」
銃口から閃光と業火が放出される。
迸る炎のエネルギーが地面を焦土として地獄絵図を描く。それでも体内で暴れる感情を吐き出すために、何度も火球を発砲する。殺して、殺して、殺さないといけない。自分の感情を殺して、紫苑を殺さないといけない。
(そうしなきゃ……)
「私は……」
横合いから、ぬっと影が土煙の中から映し出される。
すぐに銃口を向けて、エネルギーを放出するつもりだったが、「なっ!?」と影の正体に気がついて、銃の横っ面でそれを薙き払う。
千切れた腕だった。
(……不死の肉体であることを利用して……!?)
逆方向から襟を掴まれると、そのまま柔道の技のように足を掬われて地面に倒される。
動かないようにヒートリンクスの腹に足を添えながら、紫苑は千切れた腕を手に取る。
腕の付け根の筋肉組織を結合させるようにくっつけると、シュウウと白煙を出しながらも細胞は繋がっていく。そこまでせずとも自然回復するはずなのだが、媒体がないほどに紫苑は追い詰められていた。
両腕が健在となり、馬乗りになられる。
そうなってくると、筋肉の差でヒートリンクスは振りほどくことができない。
「くっ、離せっ!!」
「離さない。お前が本心を打ち明けてくれるまで、お前のことを、俺は離してやらない」
「アンタが思い込んでいるような本心なんてっ――ない!!」
くだらない。
誰かが誰かを思いやるなんてことは、本当にくだらないことだ。
勝手に他人の人格を決め付けて、それを妄信する。理想のヒートリンクスを押し付ける。そんなのは、ただの紫苑のエゴに過ぎない。
いいやつでいれる筈がない。
これだけ他人を傷つけてきた人間が、いまさらいい人間になれるはずがない。
バケモノが、ハッピーエンドを迎えていいはずがないんだ。
「他人の心なんて、一生わからないのよ。どれだけ表面上取り繕っていても、心の中では他人を貶めることを考えている。自分のためなら、他の何を犠牲にしても構わない。私は、そんな人間なのよっ!! それを、何? 言うに事欠いて、『優しいやつ』? ……そんなわけ……ないでしょ? こんな他人を傷つけて平気でいれるやつが、ただの人間でいていいはずがないのよ。私が……人間らしい感情なんて持っていちゃだめなんだからっ……」
何も考えたくない。
思考せずに、ただのバケモノでいたい。
そうすれば、哀しい過去を思い出さずに済むから。
どれだけこの手が血に汚れたとしても、人間でなくなったのならそんなもの水に流せるから。
それなのに、紫苑はただ笑って、
「違うだろ。――お前は他人のために涙を流せる、心のある人間だよ」
つぅーと、温かなものが頬に線を描く。
今の今まで気がつかなくて、涙を流しているのですら気がつかなくて。
震えた。
「……涙? ……なんで……こんな涙が……?」
この場に来る前に、感情なんて抹殺したはずだった。
情があれば、それだけ辛くなるだけだから。
「うるさい、こんなことでえええええええええ!!」
ヒートリンクスは全身から炎を放出する。
全てを呑み込み燃やす焔。爆発するかのように火柱が上がると、紫苑は腕を交差して防御する。それでも、耐え切れずに吹き飛ばされる。
轟轟と炎は空間を貪り尽くす。
術者の身体ですら燃やし尽くす火炎。
ヒートリンクスの皮膚の表面は剥がれ落ち、ただれ始める。地表は燃やし尽くされ、黒く焦げていく。せり上がるようにした観客席を保護する壁が、キャンディーのようにドロドロになっていく。
「ヒートリンクス、止めろ。お前、身体が……」
「そんなこと、どうだっていいでしょ!! アンタになんか関係ないでしょ!?」
この身が朽ち果てようとも、誰も心配してくれる人間なんていない。
ヒートリンクスの家の連中だって、実験体がいなくなって嘆くだけだ。
ずっと昔から誰からも相手なんてされなかった。
過去の大罪を知っている人間はすべからく、ヒートリンクスを忌避した。知らない人間でも、この力を見た人間は誰もが退いた。
それがずっとヒートリンクスにとっては、日常で、当然のことだった。
だからこそ、怖い。
人間と人間との繋がりの温かさを知ってしまって、その関係を切られた時。どれだけの絶望が待ち受けているのかが怖い。
全てを知ってしまった紫苑が、一体どんな罵声を浴びせてくるのかが嫌だった。
だから、一瞬でいなくなってしまえばいいとさえ思っていた。
それなのに。
「私は、ただの人殺しなのよ。アンタのことをこの手で殺そうとした。それが……真実なのよ」
燃え上がる炎はまさに地獄。
そんな地獄の業火の中を、紫苑は一歩ずつ近づいてくる。
「俺のことはどれだけ傷つけたっていい。何回だって殺していい。いくらでも言葉をぶつけていい。……なんたって俺は、不死の存在なんだから」
ヒートリンクスは、バケモノという単語にビクつく。
その言葉を言ったのは、いったい誰のためかということを悟ると、また熱いものが頬を流れ出す気配がする。
「俺は、俺の目に見えない真実なんかよりも、今、目に見えるお前のことを信じたいんだ」
「……私は生きているだけで、誰かを傷つける。不幸にしてしまう。アンタのことだって……そう。私は、この世にいない方がいいのよ」
「そんなわけないだろ。俺は、お前がいなくなったら俺が不幸になるから。俺はお前が生きてくれたら、幸せになれる。……お前に生きていて欲しいと思うから。……だから、そんな悲しいこと言うなよ。もう少しだけ俺の我が儘を言わせてくれならさ――」
苦痛に顔を歪ませながら、それでも炎の渦巻く中心にまで歩んできた紫苑は、ガッとヒートリンクスの肩に手を当てる。
「お前は、俺が幸せになるために生きていてくれ」
もう、限界だった。
お前のために、なんて言ってくれたら炎を操って焦がす覚悟でいた。完全無欠の綺麗事を信じられるほど、真っさらな人生を歩んできたつもりはない。
だけど、自分のためになんて自己中極まりない言葉を吐きながら、汚れた綺麗事を吐く紫苑の言葉に、ヒートリンクスはもう嗚咽交じりの号泣を堪えることができなかった。
ずっと昔からどうしようもなく、誰かにすがりたかった。
そんな時に、傍にいてくれる人はもういなかった。
だけど、もしかすればもう……いいのかもしれない。もう、心の底から誰かを信頼してもいいのかもしれない。
そう思うと、瞳からジワリと、また新たな涙が溢れてくる。
「いいの…………かなっ…………? …………こんな私でも…………生きていて…………いいのかな……?」
「いいに決まってるだろ。お前が生きているっていうだけで……俺はこんなにも嬉しいんだから」
「私は、私は……」
ヒートリンクスは本当に心の底から笑顔になって、そして――
炎の刃が紫苑の身体を引き裂いた。
噴水のような返り血が、顔にかかる。訳のわからないような顔をしているヒートリンクスの顔に、血の涙は流れゆく。
「なんで……こんな……私じゃない……こんな……こと……!?」
炎が自由意思を持っているかのようにうねる。
轟音を響かせながら、地面を這い、中空を舞い上がって、灼いて焦がし尽くす。
「……炎を……操りきれない……」
絶望感に心を蝕まれながら、ヒートリンクスの脳裏には閃光のように過去の出来事が駆け巡っていった。




