phrase.25「……やっぱり、戦えないよな」
入学最終試験。
耳を聾するほどの歓声が四方から飛んできて、まともな思考回路を保つことすらできない。
大勢の目にさらされ、紫苑は浮足立つ。熱気の籠った会場の雰囲気に呑まれ、落ち着きなさげにキョロキョロと見渡す。
ゴウッ、と炎の塊が燃え盛る。
チリチリと火の粉は空気中に舞い上がり、紫苑の喉はカラカラに干上がる。眼球の水分が蒸散されるかのような熱量に、何度も瞬きしながらヒートリンクスを見据える。
「……ねえ、早く攻撃してきてよ」
炎上する炎に、紅い髪はふわりと浮きたつ。
そして見えてしまったのは、こんな戦いなんてしたくないと言いたそうに悲痛に顔を歪める。こんなこと、早く終わらせて欲しいと願うようなヒートリンクスの顔。
自分からは攻撃できないから、せめて紫苑に攻撃して欲しいと言っているかのようで。……だから、紫苑は腹に括っていた戦う覚悟は萎えてしまった。
ヒートリンクスには最初から戦うつもりなんてなかった。
だけど、それで紫苑が戦いづらくなってしまったら忍びない。昨晩は三文芝居を打って、紫苑が手を出しやすくした。そうすることが、両者の心が最も傷つかない方法だから。
そんなヒートリンクスの思惑が、彼女の態度で瞬時に分かってしまった。だから、紫苑にはヒートリンクスには手を出すことができない。出すことなんてできない。
「早く、しなさいよっ!!」
震える声で絶叫する。
それはまるで、助けてくれと叫んでいるようで。ヒートリンクスに纏わりつくように舞っている炎ですら、自らの心を守るための心の壁のようなものに感じられた。苦しそうに、喘ぐように、咽び泣くようにヒートリンクスは、
「……お願いだから、早くしなさいよ……」
いったい、今までヒートリンクスの何を見ていたんだろう。
紫苑は自身のことで精一杯で、彼女のことを一切正視することができなかった。炎を操りきれずに、まるで周囲の酸素すべてが霧消していくかのような業火になっていく。
呼吸困難に陥っているかのように、苦痛そうに顔を歪める。何も攻撃といった攻撃を両者ともにしていないのに、ただひたすらに彼女は傷ついていた。
紫苑は後先考えずに、駆け出す。一瞬、走ってきた紫苑の身を焦がそうと炎が背後から忍び寄るが、それも分散する。紫苑もその後ろからの気配を感じ取っていた。だが、それでもヒートリンクスへと駆け寄った。
速く、なるべく速く。
紫苑が走り寄ったのは、攻撃から逃れるためなんかじゃない。ただ、攻撃なんて紫苑には絶対にしないと信頼したヒートリンクスの傍に行って、そしてただこうして言いたかっただけだった。
「……やっぱり、戦えないよな」
諦め切ったように紫苑は首を横に振る。
ヒートリンクスは、驚愕したように瞳孔を開く。
「な、何言ってんのよ!? 戦わなかったら、どっちも退学になるのよ!? それなのに、どうして攻撃してこないのよ!?」
「――ヒートリンクスを、傷つけたくないからだ」
ヒートリンクスは理解しがたい事を突きつけられた子どものように、いやいやと首を振る。ここで自分の心を曲げてしまったら、覚悟が無駄になってしまう。そんな風にも見える。
「何……言ってんのよ!? 私は、私はただの……バケモノなんだから!! だから、だからっ、アンタが私のことを庇おうしないでいいのよ!! 何も考えずに、ただ私を攻撃すればいいのよ!?」
「できない。……だって、お前はバケモノなんかじゃないだろ」
よろよろと、貧血を起こしたかのようにヒートリンクスは蹈鞴を踏む。
何もかもが信じられないかのように、訝しげな顔をする。
「バケモノよ!! 私の過去を知らないから、知らないからそんなことが言えるのよ!! 私は、ほんとうに、ほんとうのバケモ――」
「だったら、それでもいい。ヒートリンクス自身がバケモノっていうなら、それでも。……でも、それでも俺は、ヒートリンクスのためになんだってやってやる。俺は絶対にヒートリンクスを傷つけるようなことだってしない。……だから、もうこんな意味のないことはやめよう」
気がつけば周りに取り巻いていた炎は一切ない。
ヒートリンクスの静まった感情とともに、火炎は掻き消えた。
紫苑はヒートリンクスの肩を持つ。
まるで雪国にいるかのように全身震えていて、唇の血色が悪い。支えてやらなければ、今にも倒れてしまいそうだった。
それでも、仄かに紅い瞳には希望の光が宿る。瞳に溜まった涙を頬に流しながら、それでも縋るように紫苑を見つめる。
「……私の? 私なんかのために――?」
「『なんか』なんて言うなよ。他の誰でもないお前のために、俺は俺のできることをしたいんだ」
「……私のっ…………ために…………?」
「ああ、ヒートリンクスのために!」
「……だったら私のために――――――
死んで。
ゴボッと、紫苑は口の端から血が垂れる。
鼓膜が破れているかのように、無音状態。ゆっくりと時の流れが停滞から動き出すと、紫苑はおもむろに手を腹にあてる。ぬるりという感触とともに、空洞である箇所を手探りで確認する。
ミチミチという肉が引きちぎれるような音だけが、静かに聴こえる。ひっくり返した手のひらを見てみると、紅い血がこびりついていた。
そして気が付く。
ヒートリンクスに攻撃されたということを。
視界が斜めになる。
膝を地面につくが、そのまま態勢を保つことができずに前のめりに倒れこむ。吐血しながら倒れ伏したのだが、その際にヒートリンクスは返り血を浴びたくがないように、さっと身を離した。
侮蔑を込めた視線で見下ろされる。
疲労を込めたため息をふぅと漏らす。
そしてヒートリンクスは、手に持っていたものを紫苑に見せつける。
「これが私の『纏術装具』。私の炎を収束し、それを火球として撃ち出すことができる拳銃。大きさも私が力を込めた分だけ放出できるの。……つまり、操れるだけの炎を今まで以上の威力で放てるのよ。不得意だった遠距離への攻撃もこれで完璧。……どう、これ?」
明るい声色で話すヒートリンクスは、さっきまでとまるで別人。流していた涙も嘘のように引いていた。今までの言葉が全てがお芝居だったように、ヒートリンクスは笑っていた。
紫苑はガクガクと顎を言わせながらも、なんとか言葉を出す。
「ヒート…………リンクス、お…………まえっ…………」
「ごめんね。騙して。……でもやっぱり私には居場所なんてないんだ。この学園から出たくないの。だから――」
ヒートリンクスの『纏術装具』が発光する。
拳銃の銃口からは、途轍もないエネルギー量の火球が膨張していく。やがて、紫苑の体全てを喰らいつくすような球体が出来上がると、ヒートリンクスは眼を瞑って、作り笑いをする。
「――ここでお別れね」
地に臥せていた紫苑は避ける動作をとることもできなかった。ただ、ヒートリンクスが考え直してくれることだけを祈るように見上げていた。だが、直撃すれば確実に死ぬであろう火球は無慈悲に放出され、紫苑の全身を灼ききった。




