phrase.24「ワタクシと戯れる気になってくれたようですわね」
フイファンは、腕組みをしながら楕円形の闘技場を睥睨する。
人目につかないよう、観客席からは離れた場所から、紫苑とヒートリンクスが出場してくる姿を見据える。
ワッという盛大な歓声が観客席から上がるが、二人の顔は浮かない。
ここに居る上級生全てが通ってきた道だ。歴代で一番辛かったのは、恐らく『国斬り』だろう。彼女は自らの『操術師』との戦いを余儀なくされ、そして打ち倒してしまったのだから。
『操術師』と『隷属』の関係でありながら、戦闘しなければならない。その辛さは身をもって味わったフイファンは、反吐を吐きそうな顔をする。
その辛さは、ヒートリンクスと戦わなければならない紫苑も同様のはず。この場を飛び出したい気持ちに駆られるが、ここで終わるようならば、それこそ紫苑はこの先に進めない。
「だから――」
ピクンと、フイファンは指を動かす。
すると、その直後に観客席の一人が、バタンと昏倒する。当惑する周りの観客も次々に意識を失っていく。まるで伝染病のように、昏倒が感染していくと、周囲で意識を保っているのがフイファン以外いなくなってしまった。
「……これ、は……」
瞠目するフイファンの鼓膜に、カツンという足音が響く。
まるで死体のように眠りについている人間達の中で、昏睡者を嘲笑するかのようなその靴の音。影が足元から忍び寄り、形をなして蠢くような、そんな気色の悪い感情に支配される。
「色々とフイファンさん自身の足でワタクシに会いに来てくれるように仕掛けたのですが、結局はワタクシ自ら出向くことになりましたわね」
観客席の影から徐々にその姿を見せてくる。優雅に歩くその姿には、絶対的な強さを誇っているという自信で溢れていた。
その立ち振る舞いは、まさにどこぞの姫。
場違いなほどに綺麗なドレスを着込んでいる彼女は、まるで舞踏会から抜け出してきたお姫様のようだった。
「……君は、自分の巣から決してでてこないものだと思っていたんだけどね」
「心外ですわね。ワタクシはフイファンさんと劇的な再開を演出できるのなら、この場にいる全員を永遠に眠らせることもできますわよ」
観客席には、金色の鱗粉を撒く複数の蟲が飛び交っていた。
それらの一匹が、『蟲の姫』のなだらかな肩にとまる。蟲はノコギリが木屑を擦る切るような、不快な音を立たせる。角砂糖が溶けそうな笑顔で一瞬蟲を見やると、グシャリと唐突に握り潰す。
まるで、フイファンとの邂逅には自らの『隷属』すらも不要と言いたげに。
青緑の体液が手袋にかかると、そのまま床に捨て、また代わりの手袋をドレスから取り出す。薄く輝いているように見えるドレスが似合うような、お嬢様然とした雰囲気。その笑みだけを見ていれば、同性異性問わず見蕩れる美貌。
だが、その胸の内に渦巻くどす黒い感情を知ってしまえば、気味が悪いとしか思えなくなる。
「何をしに、君はここまで出向いてきたのかな?」
「それはもちろん、フイファンさんのおもちゃが壊れる様をご一緒に観覧するためですわ」
クスクスと笑うと、金髪の髪を揺らす。
若干内巻きにロールのかかった髪の毛は、毛先一本全てが洗礼されていた。全ての光を収束し反射するようなその髪すら、鬱陶しいと思うフイファンは、能面になると身構える。
自分自身に不甲斐なさに鬱憤が溜まっていて、発散したいと思っていたところだ。
「……なるほど、よく分かったよ。……君はむざむざボクに倒されに来たってことがね」
辺りを飛び回っていた蟲達が、術者の心に反応して収束していく。
まるで無数の蟲達が一匹の蟲になるかのようにその身を寄せる。黒い風のように『蟲姫』の周囲を回って、フイファンを相手取る準備は整えている。
すべてが順調に事が運んでいることを確信するかのように、『蟲姫』はほくそ笑んだ。
「――ようやく、ワタクシと戯れる気になってくれたようですわね」
フイファンは腰をどっしりと据えて構えると、一撃で精神をごっそり削げる拳を固める。ちらりと紫苑を心配げに見やると、眼前の敵に爆裂的な拳を放った。




