phrase.23「――これがアッシの操術ッス!!」
円形闘技場。
『戦闘区域』の敷地内に建てられている建築物。
戦いの場をぐるっと囲むように観客席が設けられていて、何段にも重なる観客席から戦いの一部始終を観戦できる。戦闘場には、小細工の一切ができないように遮蔽物の類は一切ない。ただ真っ平らな地面が広がっているだけだった。
試験が行われる度に、一時中断される。
何故なら、新入生達の激烈な攻防によって、何度も地面が抉れるからだ。その度に平らにする作業が行われる。新入生全員に平等な条件下で戦わせるために。
「馬鹿馬鹿しいッスね」
アシュレーは、唾でも吐き捨てるように独りごちる。
学園側の配慮が気色悪い。
そうまでして、生徒間同士の戦いを楽しみたいのだと思うと、反吐がでる。
ランダムで決定された対戦カード。アシュレーは新入生の中でも、かなり後の戦闘になったので手持ち無沙汰な状態になっている。
押し寄せてくる熱気は観客全員に伝播していて、アシュレーの足元にも押し寄せてくる。だがアシュレーは、鬱陶しげに手を振る。こんな残酷なショーを観戦して悦楽に浸る生徒の気がしれない。
「……こんなの、思考停止してるだけじゃないッスか」
寝食を共にした同居人同士の戦い。
本来ならば目を背けるべきもののはずなのに、誰もが狂気を演じている。
観客席にいるのはほとんどが上級生。ということは、ここにいるほとんどがこの戦いを経験したということだ。過去に自らが行った過ちを、正当化する行為にしかアシュレーは感じ取ることができない。
苛立ち混じりに歯ぎしりしながら、観客席から立ち上がる。
後ろに座っていたやつが、生徒同士の戦いが観れなくなったのか、聞こえよがしに舌打ちする。だがアシュレーは、いつものように腰を低く謝罪することはしない。演技すべき相手はここにはいない、する必要なんてない。
「………………!」
出入り口に差し掛かると、フイファンが佇んでいて心臓が跳ね上がりそうになった。
相手は本当の意味でのバケモノ。
どうやって心理的懐に入り込もうかと、一瞬で三十八通りの会話を頭で巡らせるが、それは無駄に終わった。
心ここにあらずといった様子で、アシュレーの存在に気がついていないようだった。上の空のまま、ただ中空を睨みつけている。虎の尾を踏むことを恐れたアシュレーは、ノータッチを決め込むことにした。
そのまま気がつかれないようにそろりと歩くと、出入り口にまで出る。
外に出ると、闘技場の熱を帯びた歓声が、くぐもった音で鼓膜を響かせてきた。あそこでアシュレーも戦うはずなのだが、まるで他人事のように聴こえる。
そして、一際大きい観衆の声がワッ、と上がった。
先刻までの戦いが山場を迎えたのか、それともどちらかが地に附したのかのどちらかだろう。そうして跳ね上がった声のボリュームは波打つように引いていく。
「……もしかして。もうそろそろ、旦那が戦う出番ッスかね」
紫苑はまるで空っぽの器のようだった。打てば響くというわけではなく、まるで暖簾に腕押し。どれだけ持論をぶつけても、まるで微動だにしなかった。
そのくせ、他人のために身体を張って助けようとする時だけは機敏。
何かを思考しているようで、無鉄砲な紫苑。それは、傍から見ればただの無謀な馬鹿に過ぎない。ただ条件反射だけで行動し、その場しのぎの生き方をしているようにしか見えない。
紫苑の言葉がフト脳裏に蘇る。
――……なんだか聞いてると、アシュレーって本当は他の誰より、他人に期待してるんだな。
何を分かったようなセリフを言うんだって、あの時思った。
こちらの事情なんて何も知らずに、適当な言葉を吐くなって憤りすら感じた。だけどその怒りはすぐに委縮した。
紫苑が他の奴らとは違う意味で、思考停止していると気が付いたからだ。
過去のしがらみなんて全部どこかに置き捨てて、ただ今自分がすべきだと思ったことを直観の赴くままに飛び出していく。
信じるということは、何も他人のことだけじゃない。
簡単そうで簡単じゃないこと。
『自分を信じる』ということを、紫苑はやってのけているだけだ。
それは、誰にでもできるということじゃない。むしろ、紫苑以外の誰にもできないことだ。あれほどまでに、自分の可能性を潰さないで生きれるということを。
「アッシにも、もしかしたら、」
もう、手遅れなのかも知れない。
透き通った瞳でこの世界を観るなんてことは、今さらかっこがつかない。
どうせひねくれているのなら、それを貫いてこそだ。そのはずだったのに、なぜだか今はそうではない選択肢も広がっているような気がした。
「……もしかしたら、」
紫苑に近づくことで、自らの目的を達成する。
安い同情を得るために、自らを低く見せて媚びへつらった。こいつ如きになら、口を軽くしてもいいんじゃないかと思い込ませるために、プライドなんてかなぐり捨てた。それで少しでも、『三竦み』の一人に近づくことができるのならそれでもいいと思っていた。
友情ごっこでもなんでも演じてやると。目的を達するためにそれが必要ならば、どんな道化でも演じてみせると覚悟していた。
(だけど、もしかしたら――)
「ようやく、隙を見せたな」
ドッ、と爆発的に殺気が膨れ上がる。
歩み寄ってくるだけで、その殺気の層は徐々に分厚いものになっていく。チリチリと首元で火がチリついているような感覚に襲われる。そのくせ、体は石化したように動いてくれない。
ストンホルム・フォン・ヘルヴィヒ。
新入生二強の一人。
今、他人を嬲り殺すことを躊躇いもしないような腐った瞳をしているってことは、両目を包帯で覆っていても感じ取れることができる。
「臆病な小動物は、自らの命を守る術だけは一流らしい。何度も殺そうとしたが、その気配をお前はずっと読み切っていた。だからこそ手を出せなかったのだが、ずいぶんと今は隙だらけだな。何か思うことでもあったのか?」
「……わざとッスよ」
心臓を繋ぐ血管が沸騰するように熱を帯びながら、尋常でないほどに脈打つ。
(しくじったッス。試験前に色々と細工を施すつもりが、先手を打たれたッスね)
よくよく考えれば、好戦的であるストンホルムがわざわざ試験がくるのを指をくわえて待っているわけがなかった。痺れを切らしてアシュレーを葬ることなんて、簡単に予測できていたはずだったのに。
「……ふん。ただの苦し紛れとも言い切れないというのが、お前の怖いところでもある」
ストンホルムは敢えて攻撃を仕掛けてこない。
いつでも攻撃できるように、既に『アウスグス』を待機させている。逃げさせないようにだろうか、威嚇する『アウアスグス』に、アシュレーは気圧されている。
「常に死角に回ってチャンスを伺っていたが、まるで後ろに眼があるかのようにお前には隙がなかった。色なしといえども、その警戒する力は称賛に値するほどだ。……だが、お前は俺に能力の一切を見せなかったな。ホテルの室内で俺がどれだけ隙を見せても、だ」
「そりゃあ、光栄ッスね」
まずい、と胸中で舌打ちする。たらりと汗が首筋を垂れる。
おどけることによって、相手の油断を誘っていたつもりだったが、どうやら全てを見透かされていたらしい。
「お前は、一体どんな牙を隠している?」
「…………っ!」
様子見とばかりに『アウスグス』を突進させようする気配を感じると、すぐさまアシュレーは踵を返して脱兎のごとく走り去る。
どれだけ無様であろうと、勝算の低い戦いに身を投じるわけにはいかない。ここは、逃げるという選択が正しいに決まっている。
だが、勢いよく駆け出したその足を急停止させると、アシュレーは顔を青ざめさせる。
ストンホルムがこうも周到に準備してくるとは思わなかった。いくらなんでもこれは想定外にもほどがある。
眼前には、もう一体の『アウスグス』がいた。
会話を長引かせることによって、策を練る時間稼ぎ。それから、相手の油断を誘うために時間を置いたのだが、それすらも読まれて上をいかれた。
(……これが、『ブロンズクラス』のバケモノッスか)
アシュレーは慄き、唇をゆがめる。
ストンホルムはシュッと空気を切るように手を横に切ると、『アウスグス』を操作する。アシュレーの周囲をゆっくりと二体を回らせて、逃避するルートを塞ぐように。絶好の獲物を前に爪を研いで、余裕を見せるかの肉食獣のように。
「入学式の時の俺は慢心故に遅れをとった。だから、今度こそ誰が相手だろうと手加減はしない。この二体の『アウスグス』をもって、お前を打ち砕く」
同格であるはずのヒートリンクスでさえ、一体の『アウスグス』相手にボロ雑巾のようにズタボロにされた。普通なら、色なしであるアシュレーが太刀打ちできる相手ではない。
「しかし、前から疑問に思っていたが、お前の『隷属』はどこにいる? 『隷属』の力を術者本人の身に宿す『精霊師』ならともかく、お前はそうではない。そうであったのなら、色なしであるはずがない」
「……さあ、どうしてッスかね」
肩をすくめて見せるが、どうやらもう効果はないらしい。
ヒートリンクスでの対戦から、ストンホルムはかなり成長している。強者であるが故の弱点である慢心も克服され、得意の戦力分析にも磨きがかかっている。
「まあいい。どうせお前の力はこれからわかるのだからな。隠すな。実力を隠したまま死なれ、幽鬼となって恨み言をいわれてはかなわない」
「……そのつもりッスよ」
視覚を封じているために、鋭敏にそれ以外の五感は力を発揮できる。
耳から感じ取れる歓声のボリュームが明らかに先ほどから少なくなっている。そして、この闘技場周囲に集まっていた人間の会話もおかしいほどに消失している。
考えられることは一つ。
ストンホルムと類似した考えを持った人間が他にいるということ。
大勢の観客を巻き込こめるだけの力を持った人間が、広範囲に渡って操術を放っているとしか思えない。それをここまで広い範囲を一瞬でやってのける人間も数が限られている。そして、この足元から生物が這いずりよってくるような最悪の音が、誰かを特定させていた。
だが、その事態も今となってはアシュレーにとっては好転。
観客に実力を隠すために色々と次善策を用意していたが、それも全ては意味のないものになった。だが、これでようやくこちらも本来の力を発揮できる。
プランが潰れてしまえば、瞬時に違うプランを組めるだけの柔軟性を持ち合わせているアシュレーは、不敵に手を薙ぐ。それはまるで、ストンホルムが『アウスグス』を操るような挙動。
「こいつ、まさか俺と同種の――!?」
初めて動揺してくれたストンホルムに、アシュレーは内心ほくそ笑む。たとえこの行為が虚実であろうが、この心の隙間が、一瞬の動揺が、下剋上の一手を差し込むことができるからだ。
アシュレーは無理やり約束をこじつけた。
それは、絶対に果たさなければらないと、自らを追い込むために。背水の陣をとることによって、いつでも絶体絶命を切り抜けてきた。
自身の答えを導き出す前にストンホルムに割り込まれたが、今はそれでいい。
ただ今は、眼前にいる強大な敵を打ち倒すことだけを考えればいい。
勝って全てを終わらせた後に、紫苑達と一緒にこの学園に残るという約束を果たすため。そんな尊い約束のために、この戦い負けるわけにはいかない。
「さあ、初お披露目ッスね。――これがアッシの操術ッス!!」




