phrase.16「それじゃあ、クライマックスと洒落込もうかなー」
猛火を纏った拳が筋肉質な背中に炸裂する。
派手な爆発音と、『乖離幻想体』の獣じみた蛮声が鳴り響く。肉片を撒き散らすほどの爆炎が起こった……はずだった。
煙が晴れると、そこにはほとんど無傷で佇む『乖離幻想体』の姿があった。
ズサァッと、草原に着地するヒートリンクスの顔は悲痛に歪んでいる。バケモノの外皮はぶ厚く、こちらの攻撃が一切通らない。
蚊でも刺したかぐらいの反応しか示さず、顔をぶるりと振る。
そしてバケモノは、悠然とこちらを振り向いてくる。
街からヒートリンクスに標的が変わっただけだ。
グワッと牙の生えた口を開くと、地面ごと呑み込むように迫ってきた。直撃する寸前のところで、蹈鞴を踏みながらもなんとか跳躍する。
ドゴォン!! と、大地を割る一撃。起き上がったバケモノは自爆することなく、強靭な顎を地面につけていた。牙の間から土と草を吐き出しながらヒートリンクスを睨み付ける。鈍く光る眼球に写っている彼女は、空中にいて身動きできない状態。
「……やばっ」
空中に呟く言葉は虚しく響く。
回避行動をとることもできないヒートリンクスは、猛烈な『乖離幻想体』の一撃に見舞われる。全身を包み込むように炎の鎧を身に纏うが、回避は間に合わない。
無慈悲に、胴体を真っ二つに切り裂かれる。
地面すら簡単に噛み砕くほどの顎に捕まってしまえば、人間の肉体など一溜まりもない。血の雨を降らせるだけじゃ済まない。
と、ヒートリンクスの身体が霧のように揺らぐ。
実戦で試したことがなかったために、ヒートリンクス自身賭けに近かった。大気の温度差を利用した、即席の蜃気楼。光を屈折させるほどの力を一気に放出したヒートリンクスは、着地のタイミングがとれない。
「うっ」
ヒートリンクスは、苦痛に歪む顔をする。身体のあちこちに裂傷を受けていて、破れた制服からは肌が露出している。
完全には避けきれていなかった。
昨日『アウスグス』との戦闘で蓄積されていた疲労も、動きの鈍さの要因に直結していた。紫苑の目に触れたくがないために包帯をとっていたが、服には血が滲んできた。
頭が朦朧として、思考回路が上手く機能しない。
ヒートリンクスの視界に写ったのは、残忍な瞳の色を帯びたバケモノ。手負いの弱者を追い詰めたとばかりに、舌舐めずりする。
パカッと大口を開く。
そのまま、動けないヒートリンクスの肢体を食い千切ろうと、
「うあああああああああああああ!」
横合いから飛び出してきた紫苑は、『乖離幻想体』の首元に剣を叩きつけるように斬り裂く。押し潰された装具屋から『纏術装具』を拝借していた。
「……あ、あれ?」
だが、キン、と虚しい音を響かせると、折れた刃が地面に突き刺さる。操力を込めていなければ、『纏術装具』もただの武器。しかも、武器の扱いに慣れていない紫苑が使えば、最上級の武器であってもナマクラ同然。
ギョロリと、『乖離幻想体』が紫苑を捉える。
「ちょっと、タン――」
それは、羽虫を振り払うような挙動。
ドォゴオン!! と物凄い音を響かせると、装具屋まで強烈なスピードで吹っ飛んでぶつかった。トドメとばかりに、屋根の破片が紫苑の上に崩れ落ちた。ズシィインという落盤の轟音とともに、ヒートリンクスの視界から紫苑は消え去る。
「――紫――苑ッ――!!」
悲哀に満ちた金切り声を上げる。
ヒートリンクスの目尻に涙が溜まっていく。
とっくに涙なんて枯れ果てていたものだと思っていた。どんなことが起こっても、もう涙なんて流さないものだと思い込んでいた。
だけど、なぜかヒートリンクスの頬にはつぅーと一筋の涙が伝う。
ポタッと、へたり込んでいるヒートリンクスの膝に落ちる。それが一つ、二つと。やがて、大粒の涙になっていく。
泣きながら、過去の自分と照らし合わせた今日の他わいもない出来事を思い出していた。
(……いったい、いつ以来だったのかな。こんなに、満たされた気持ちになれたのは……)
ヒートリンクスには、血の繋がりのある家族なんてもういなかった。
頭に浮かんだのは、炎の舞う大地。
途方に暮れていた少女に、さし伸ばされたのは救いの手なんかじゃなかった。それは、少女の力を利用しようとする人間の手だった。
それでも、その手に縋ることでしか、少女にはこの世界を生きていく方法なんて知らなかった。
ヒートリンクスの家で育てられた少女は、今では本当の名前すら忘れてしまった。
来る日も来る日も操術の特訓しかしてこなかった少女には、話し相手すらいなかった。ただ教えられたことを、実行していくだけの毎日だった。だけど――
――……この俺が、全ての絶望を喰い尽くしてやる
誰かに守られるなんて、想像もしたことがなかった。
だって、幼少期から少女は強大な力を持っているせいでバケモノ扱いされてきたから。誰かから避けられることはあっても、近寄ってくる人間なんているはずがないと思っていた。
だけど、無知な少年はそんな少女の常識を簡単にぶち壊してくれた。
「それを、お前がっ……!!」
ヒートリンクスの身体から、怒気の孕んだ業火が噴出される。一瞬で、触れるもの全てを焦土と化す一つの炎の塊。後先なんて何一つ考えていない。
代償は明白。
脂汗を全身から流しながら、ヒートリンクスは衰弱しきった顔をする。
全身に迸るのは、操れる限度を超えた炎の量。
命が削られているような感覚に襲われる。
それでも、眼前の敵を灼きつくすまでは、殺気の炎は鎮火しない。
「……私が、殺してやる」
巨大なバケモノに、憤怒の炎を撒き散らす。
バケモノは、ヒートリンクスに恐れたような唸り声を上げる。身命を投じようとヒートリンクスが、攻撃しようとすると、
ドゴォオンンン!! と、瓦礫を吹き飛ばす音ともに、煙が巻き上がる。
ビクゥとヒートリンクスが、振り返る。
そこには、ひと振りの刀を持った人間が、ズタボロになった少年の体を抱えていた。
「ごめんねー。ちょっと、私の『纏術装具』を探すのに手間取っちゃったからさー」
ふざけているのは言動だけじゃなく、その格好。車両販売員の制服は胸元からビリビリと破れると、その中に着こんでいるのは巫女服だった。
狐耳の彼女が持っているのは、自身の身長より刃渡りのある大刀。
細くて折れそうな刀を鞘から片手で抜くと、ギラリと刀身が銀色に光る。
その刀と同じ色に輝くのは、彼女の胸についているバッチ。
巫女服についていたバッチの表す称号は、『十傑』。
それは、学園の実力者の中でも、たった10人しか与えられない『シルバークラス』のものだった。
「さーてと。……それじゃあ、クライマックスと洒落込もうかなー」
『国斬り』はこの絶望的な状況にも関わらず、愉しげに笑った。




