phrase.09「お兄さん、いい食いっぷりだねー」
ユーイリエ蒸気機関車。
黒鉄の鋼鉄車は、ほとんど音を立てずに移動する。耐音性のある素材でレールが作られているためか、レールを滑走する音と微風の音しかしない。
ヒートリンクスは、車窓から海中を眺める。
透明なトンネルから観える景観は、まさに絶景。
コバルトブルーの海には、色鮮やかな海魚たちの大群。深海から地上への天然の階段のように、珊瑚礁や貝石が地上の光に向かって連なる。幻想的な海中の世界に、乗車客の感嘆が絶えない。
(……それなのに、こ、こいつは……)
車窓には見向きもせず、紫苑はただひたすらに朝飯に執心していた。
先ほど来た車内販売のワゴンが空になるまで注文。引き攣る顔をした女性販売員には、紫苑は気がついていないようだった。
結果として、一人ピクニック。
花より団子にも程があるが、ヒートリンクスにはそれよりも癪に障ることがあった。
(なんで、そんな平気な顔していられるのよ……)
ヒートリンクスの痴態を見た直後。
もう少し気まずげに、恥じらっていてもいいはず。それなのに、目の前の紫苑ときたら飯にがっつくだけ。そんな無神経な紫苑を見ていると、自然の偉大さに触れていても心は癒されない。
朝シャンをしていたら、紫苑の叫び声が聞こえてきたあの時。壁越しのくぐもった声だったが、確かに悲鳴だったので慌ててシャワーを早めに切り上げた。
ドアを開けたら、そこには目を見開いた紫苑。
あの時本当は、バスタオル姿のヒートリンクスは焦りに焦っていた。布面積が思いの外なかったせいで、凹凸のある身体の各部がはみ出しそうだったから。
だからこそ、敢えて余裕のあるフリをした。紫苑を慌てふためかせることによって、自意識を保とうとした。
(……でも、……今思い出すと……)
バフンッと、顔が一気に紅潮する。
なんと痴女じみたことをやってしまったのかと後悔する。そのせいもあって、ヒートリンクスはいつもの露出している私服ではなく、学校指定の制服を着用している。
炎を操って戦闘に臨むヒートリンクス。いくら耐火性能の高い服を着込んでいるとはいえ、服の布生地は少ない方がいい。だからこそ、こうして普段着ないような、普通の服を着ていると逆に落ち着かない。そわそわしてしまって、他者にどう見られているのかが気になる。
「どう……かな? この学園の制服、初めて着たんだけど……似合ってるかな?」
口に出してしまった瞬間に、猛烈に後悔が足元からせり上がってきた。
熱を帯びた顔から火が出そうだ。
「似合ってるんじゃないのか。入学最終試験では制服着用義務があるんだろ。それだったら、制服の方が纏術装具の具合を確かめやすいだろうしな」
最初の一言にはヒートリンクスも喜色だったが、それ以外の言葉は余計だった。納得いかなげに、ヒートリンクスは鼻を鳴らす。
「……そうね」
このユーイリエ学園に入学するには、様々な検査と審査をクリアしなければならない。その段階の結果をもとに五段階のバッチが配布される。そうして無事入学してからも、さらにふるいにかけられる。
それが入学最終試験。
筆記試験や適正試験だけでは、新入生の真の実力は測れない。だからこそ最後の試験は実技試験。この試験こそが最大の難関。実技試験に落ちた、50%の学園生徒は退学を余儀なくされる。
「だから、紫苑にも付き添ってもらうと思ったの。せっかくの休日だったけど、どうせ紫苑だって『纏術装具』買わないといけないんだからいいでしょ」
「そう……うぐっ……だっ……な……」
「……喋るのは全部飲み込んでからでいいわよ。……ったく、なんでこんなやつに……」
ストンホルムの猛攻から庇われたのが、向かいの席で肉を頬張っている男だったのが悔やまれる。他の生徒だったら、もう少し素直にお礼を述べられた。
だけど、こんなにも他者の心の機微に、アンテナを張っていない相手に感謝の気持ちを吐露するなんて無茶ぶりだ。
「『纏術装具』が売ってるのって、『商店区域』だったよな」
「そうよ。最終入学試験には、一ヶ月の猶予があるから、今のうちに購入しておいた方がいいわよ。早いうちから、自分の体にあった『纏術装具』を買って、鍛錬しておかないとって思ってるのよね」
「……あー、俺あんまりお金無いんだよな」
「それなら大丈夫よ。新入生のために、この時期はある程度格安になるんだから。まあ、特待新入生の私は、学園からの援助金が遣えるからそんな大打撃ってわけじゃないんだけどね」
「いいよなあ、そういうの。俺も、もっと強い能力持ってたらよかったのにな」
「最悪、稼ぐしかないわね。『商店区域』じゃ、学生でも商売している人も珍しくないみたいだし」
ガコン、という手動ドアの開閉音の後に、ガッ、と車輪がドアの溝を乗り越える音が響く。
車内専用の弁当等をかなりの高さまで積んだワゴン。
ゴミ回収しにきたのだろうが、さっき来た女性販売員ではない。弁当等で顔の全貌は分からないが、揺れる金髪と同色の尻尾が少し視えた。
淀みなく進んでいたワゴンは、紫苑の傍で停止する。
そのまま、金髪の女性は笑って紫苑に視線をやるだけ。なぜか、販売員として言葉をかけようとはしなかった。紫苑は不審な顔をして、食べ物に落としていた目線を上げる。ずいっと紫苑に顔を寄せたその美女の頭には、狐耳がひょっこりとあった。
「お兄さん、いい食いっぷりだねー。追加注文でもしてみる?」




