断罪されるかと思ったら、イケメン男五人が「彼女が正しい」と言い出したので、令嬢より仕掛けた聖女様が泣いています
王宮の大広間は、静まり返っていた。
ヴィオレッタ・フォン・クラインフェルトは、大理石の床の上に一人で立っていた。
金色の髪が背中に流れ、薄い紫の瞳がまっすぐ前を見据えている。
その表情は凪いでいた。
まるで今日の天気について考えているかのように、ただ静かで、穏やかだった。
玉座の前に、五人の男が並んでいた。
真ん中に立っている一人は、第一王子レオナルド・ヴァンシュタイン。
その周りにいるのは、騎士団長グレイソン・ダウンズ。宮廷魔法師フェリクス・アレン。神官ルシアン・オルフィア。商人貴族の嫡男クロード・メルヴィル。
王国の中枢を支える、各分野の精鋭たちだった。
そして、五人のやや後ろに、聖女見習いのアメリアが立っていた。
白いドレスの裾がわずかに震えている。
ふっくらとした頬に、乾きかけた涙の跡。
傷つけられた子鹿のような、そういう顔だった。
――実に上手いものだ。
ヴィオレッタは内心でそう思ったが、顔には出さなかった。
「ヴィオレッタ・フォン・クラインフェルト」
レオナルドの声が広間に響いた。端正な顔に怒りと失望が混じっている。
婚約者として情が残っているのかもしれないが、今日の彼は王子として立っていた。
「そなたによる聖女見習いアメリアへの嫌がらせは、これ以上看過できない。廊下での突き飛ばし、茶会でのドレス汚損、舞踏会での中傷発言――証言と証拠は揃っている。よって、婚約の破棄を宣言する」
「はい」
ヴィオレッタは答えた。それだけだった。
「……反論はないのか」
「もちろんあります。ただ、皆さんの話を先に聞いてからにしようと思いまして」
レオナルドが眉をひそめた。
アメリアが顔をわずかに上げ、涙をためた目でヴィオレッタを見た。
そのとき。
「殿下」
グレイソンが、一歩前に出た。
「なんだ、グレイソン」
「断罪の前に、私から申し上げたいことがあります」
グレイソンはヴィオレッタのほうへ向き直った。
傷跡の残る顎、鋭い目。
普段は滅多に感情を見せない男が、珍しく何かをその顔に滲ませていた。
「二年前の北方遠征で、私は毒矢に倒れた。部隊から取り残され、動けなかった。その夜、誰かが私の傍らに薬草の束を置いていった。それがなければ、私はここに立ってはいないだろう」
「それは…ヴィオレッタ様と関係のない別のお話では?」
アメリアが柔らかく口を挟んだ。
声に慈愛があって、目に憂いがある。
どうみても完璧な被害者の顔だった。
「その薬草は、王都の特定の薬問屋にしか流通していないものだった。そして私の部隊の進軍ルートを知り得た人物でなければ、あの場所にたどり着けない…」
グレイソンはヴィオレッタを真正面から見た。
「クラインフェルト家はその薬問屋の最大取引先で、当時の遠征ルートを知り得る数少ない家のひとつです」
「…………」
「以前、ヴィオレッタ嬢はこう言いましたね。『騎士団長が死んだら誰が国を守るんですか。迷惑です』と」
「ええ…言いました」
「あの言葉の意味が、今になってやっとわかりました」
グレイソンは膝を折った。戦場の騎士が頭を下げる、それは重い礼だった。
「命の恩人に、遅すぎる礼を言わせてください」顔を上げ、ヴィオレッタをまっすぐ見る。
「そして、これは少し場違いかもしれないが。私は、あなたに惚れています」
広間が、ざわめいた。
「グレイソン!今はそういう話を——」
レオナルドが声を上げた。
「事実を申し上げているだけです。今言わなければ…伝えることができなくなってしまいそうだったので」
「騎士団長、場をわきまえてください」ヴィオレッタが静かに言った。
「わきまえているから今言っています」
「それなら、私も言わせてもらいますよ。」
そう言って、次に動いたのはフェリクスだった。
眼鏡を押し上げながら、わずかにため息をついて前に出る。
「半年ほど前、私の研究室に大量の古書が送りつけられてきたことがありました、差出人は不明。最初は陰湿な嫌がらせかと思い、腹立ちまぎれに整理していたら…」
そう言いながら、フェリクスは眼鏡をわずかにずらした。
「その中に、珍しい上代魔法の写本が三冊含まれていたんです。巷では消滅したと言われていた物です、私も生で見るのは初めてでした。その写本のおかげで、私の研究は五年分前進しました」
「クラインフェルト家の図書室にそれが所蔵されていたことは?」
「ええ、後で調べがつきました…なぜ正直に渡さなかったんですか?」彼はヴィオレッタを見た。
「あなたが素直に受け取らないと思ったので」
「……正解ですが、それはそれとして腹が立ちます」
フェリクスは眼鏡を外し、珍しく直接ヴィオレッタを見た。
「グレイソンが言うなら私も言います。あなたのことが気になっています。研究者として、ということだけではなく」
「魔法師まで」レオナルドが額を押さえた。
「殿下も本当はそうなのでしょう?黙っていないで言えばいいのに」
「今はそういう話をしていない!」
騒ぐグレイソンを横目に、ルシアンが、静かに前に出た。
穏やかな声で、しかし揺るぎなく言う。
「神殿の孤児院に、毎年匿名で寄付をしてくださっている方がいます。そうですね…時期的には、ヴィオレッタ様が社交界にデビューされた年から、六年間欠かさず」
「それは……たまたまでは?」
アメリアが険しい顔で言った。態度に苛立ちが出ている。
「先日の大雪の夜、孤児院の薪が底をつきました。子供たちが凍えそうになっていたとき、翌朝、馬車一台分の薪が届いていた。御者に確認したところ、出発地はクラインフェルト邸でした」
アメリアが黙った。
「私は神に仕える身ですが…それとは別に、一人の人間として申し上げます。ヴィオレッタ様、あなたのそばに置いてもらえませんか
ルシアンは微笑んだ。
「神官が何を言っているんですか?」
アメリアがここぞとばかりに突っ込む。
「神は愛を否定しません」
「皆、時と場所くらい選んでは?まあかく言う私も同じではあるんですが…」
クロードが最後に肩をすくめた。
「俺の家が三年前、取引先の不正で潰れかけたのはご存じですよね。あのとき誰かが裏から手を回して、取引先を全部繋ぎ直してくれたんです。そして先日…、父の古い書類から手紙が出てきた。そこにはクラインフェルト家の紋章が入っていて、一行だけ書いてある手紙がありました」
「そこには何と?」
「『負けるな』と」クロードはにやりと笑った。
「捨てろと言っても捨てません。額に入れて飾ります。それで俺も便乗して言いますが、ヴィオレッタさん、俺と組みませんか。商売でも、人生でも…望むものを」
「全員…おかしいんじゃないですか」
ヴィオレッタが初めて声に感情らしきものを乗せた。
それを聞いて、皆は小さく笑った。まるで、愛しい自分の子供を見つめるように。
そのとき、アメリアが立ち上がった。
それまでの震えが、嘘のようにぴたりと止まっていた。
「待ってください」声が変わっていた。
蜂蜜のような柔らかさが消え、硬く、低くなっていた。
「証拠だなんだと言っていますが、私への嫌がらせは事実です。私は嘘なんてついていません」
「そのことについて、反論をしていませんでしたね。あなたが言う、嫌がらせ行為の日時は、私の生活していた時間と合いませんが…」
ヴィオレッタが静かに言った。
「廊下での突き飛ばしとされている件は、私がその時間帯に別邸で書類仕事をしていた記録があります。また、茶会でのドレス汚損の件についても、私はそのお茶会には出席していません。舞踏会での中傷発言については、私は当日ずっとレオナルド殿下のそばにいた。全て記録と証人があります」
「あ、あなたが誰かに証拠や証人を用意するように頼んだのかもしれないでしょう!」アメリアの声が上がった。
「私がわざわざあなたの邪魔をする理由が、一つでも?」
ヴィオレッタは静かに続けた。
「あなたは私より婚約者を必要としている立場でした。黙っていればそのうち勝手に話が進む…私が動く必要はどこにもないと思いますが、これでは動機がありません」
「あなたは……!」
「あなたが廊下で転んだとき、あなたのドレスが汚れたとき、傍にいたのは誰でしたか」
沈黙が落ちた。
アメリアの表情が、少しずつ崩れていった。
「……そんな細かいこと、一々覚えていません」
「私は覚えています」ルシアンが穏やかに言った。
「全ての件に、同じ侍女が関わっていました。その侍女は先週、実家への帰省を理由に突然姿を消しています」
「それは関係ない!」
「その侍女の実家への送金記録が、アメリア様の口座と一致することも確認が取れています」
広間が静まり返った。
アメリアの顔が赤くなった。
ふっくらとした頬が引きつり、涙をためていた目が細く、鋭くなった。
「……ならなんなんですか」
彼女は歯を食いしばった。
「なんで私ばっかり責められないといけないんですか」
「アメリア」
レオナルドが静かに諭すように言った。
「あなたたちは最初からこの女の味方をするつもりだった! 平民の私が這い上がろうとすると、必ずこういう連中が——」
「被害を受けた話をしていたはずでしょう」
レオナルドの声は低く、冷たかった。
「なぜ『這い上がる』という言葉が出るのでしょうか。あなたは嫌がらせを受けた、と言っていた。なのに今、あなたはまるで計算していたものがうまくいかなかった人間のような話し方をしている…」
アメリアが口を閉じた。
「もう一つ聞かせてください」レオナルドは続けた。
「舞踏会でヴィオレッタが私の飲みかけのグラスを強引に奪ったことがあった。その場では口にはしませんでしたが、とても失礼だとは思っていました。だがその翌朝、そのグラスの残りを処理した給仕が体調を崩した。――誰があのワインに何かを入れたのでしょうか」
「……そ、そんなの私じゃ——」
「あの夜と同じ小瓶が、あなたの部屋の書き物机の引き出しから見つかったと、昨日警備の者から報告を受けています」
アメリアの顔が、完全に崩れた。
それまでの無垢な少女の面影は、どこにもなかった。
「……くだらない」
吐き捨てるように言った。
声に、一切の媚びがなかった。
「正直に言えばよかったんですか? 平民が貴族の世界で生き残るには、使えるものは全部使うしかないでしょう。嘘も、涙も、可愛い顔も、同情も、全部。それの何が悪いんですか。悪いのはそういう道しか残さない社会の方でしょう」
「…ようやく正直になりましたね」
ヴィオレッタだけが、落ち着いた声で言った。
「……何が言いたいんですか」
「別に何も。ただ、最初からそう振る舞えばよかっただけです。嘘をつかなければ嘘をつく必要もなかった」
ヴィオレッタはアメリアをまっすぐ見た。
「私はあなたが嫌いでしたが、それはあなたの嘘の顔が嫌いだっただけです。今の貴方の方が、まだ話せますから」
「私を馬鹿にしてるんですか」
アメリアは眉をひそめた。
「していません。本音で話せる人間の方が、私は好きです」
アメリアが唇を噛んだ。
何か言いかけて、やめた。結局、黙った。
レオナルドが騎士たちに目配せをすると、警備の者がアメリアの両腕をとった。
彼女は振り払おうとしたが、騎士は動じなかった。
引きずられるように退場していくアメリアは、最後まで一度もヴィオレッタを見なかった。
広間に、五人と一人が残された。
長い沈黙の後、レオナルドがゆっくりとヴィオレッタへ向き直り、深く頭を下げた。
「ヴィオレッタ。確認もせずに断罪しようとして、申し訳なかった」
「……頭を上げてください。あなたは今日、最終的に正しかったですから、それで十分です」
「十分ではない」レオナルドは顔を上げた。その目に、複雑な光があった。
「一つだけ聞かせてほしい。なぜ、誰かに感謝されようとしないんですか」
「う~ん…めんどくさいから、ですかね」
グレイソンが噴き出した。
フェリクスが「相変わらずだ」と呟いた。
ルシアンは目を細めて微笑んだ。
クロードだけが「この人、本当に愛想がない」と言って、ルシアンに肘で突かれていた。
「ヴィオレッタ」
レオナルドが静かに続けた。
「舞踏会の夜、あなたが私のグラスを奪ったとき、私はあなたのことを傲慢だと思った。だが今になって考えれば、あなたは何も言わずに私の分まで毒があると知って飲んだのだろう」
「……日ごろから胃が強いので、大丈夫だと思って…」
「そういう問題ではない」彼は息をついた。
「一言、なぜ教えてくれなかった?」
「言えば大事になってしまっていたでしょう?それは…めんどくさいかなと」
「大事になって当然の話でしょう」
「殿下が巻き込まれる方が面倒でした。私一人で済むなら、それで十分」
レオナルドは、しばらく何も言えなかった。
「今日のことを詫びる資格があるかどうかわからないが、それでもずっとあなたのそばにいたいと思っている。やり直させてもらえますか」
五人が一斉にヴィオレッタを見た。
ヴィオレッタは、全員を順に見渡した。
騎士団長。魔法師。神官。商人の息子。そして王子。
小さく、息をついた。
「……騒がしいですね、本当に」
「それで、答えは」クロードが言った。
「返事は追って」
「いつ」フェリクスが言った。
「追って、と言いました」
「ということは、検討する気はある、ということですね」ルシアンが穏やかに笑った。
「そういうことにしておいてください」
「前向きな返事と受け取ります」グレイソンが言った。
「勝手に受け取らないでください」
「でも否定はしませんでした」レオナルドが静かに言った。
「…………」
「沈黙は肯定と解釈します」
「全員、交渉が上手すぎる」
グレイソンが低く笑った。レオナルドが「進展だ」と呟いた。
クロードが「これは商談成立と同じですよ」と言い出し、フェリクスが「論理的には少し違う」と返し、ルシアンが「でも気持ち的には同じでは」と言って、広間がにわかに騒がしくなった。
ヴィオレッタはそれを一瞥して、くるりと背を向けた。
「ヴィオレッタ、どこへ」グレイソンが言った。
「部屋に戻ります。疲れました」
「送ります」五人が同時に言った。
「全員来なくていいです」
「一人では心配です」ルシアンが言った。
「何が心配なんですか」
「今後また誰かに狙われるかもしれない」フェリクスが言った。「統計的に、今日のような事態が一度起きた場合、再発リスクは——」
「わかりました、一人で十分です」
「では私が」五人が再び同時に言った。
ヴィオレッタは額に手を当てた。
「……じゃんけんでもしててください」
大広間の高い窓から、午後の光が差し込んでいた。
その光の中を歩きながら、誰も気づかないくらい微かに、ヴィオレッタ・フォン・クラインフェルトの口元が、弧を描いていた。
――騒がしいのは、嫌いではない。
胸の奥で、そっと思った。
《完》




