第1話
薄ピンクの花びらが舞う通学路。
一年間通い慣れたはずのこの道を、今日も足取り重く一人の少女が歩いていた。
通学路に咲き誇っている花々が好きだ。
今日も色とりどりの花が、私の心を少しだけ癒してくれる。
通り道から見渡せる草原や木々も好き。
ひときわ大きな木があるけれど、樹齢は何百年だろう。
いつも気になるのに、結局調べられずじまいだ。
草原の奥に見える湖も好き。
朝の光を受けてキラキラと輝いていると、それだけで気持ちが軽くなる。
学校が近づくと見えてくる石畳の道やレンガ造りの家々も好き。
お気に入りのカフェや、気になるお店がたくさんある。
馬車が通る石畳の音が好き。
この魔法の世界が好き。
私は、この街が好き。
――でも。
学校は嫌だ……。
帰りたくなる気持ちをごまかすように景色を楽しもうとするが、どうしても歩みは遅くなる。
複雑な気持ちを抱えたまま、いつもより時間をかけて進むこと数分。
視線の先には、街の美しさを汚泥で塗りつぶしたような"掃き溜め"のような私たちの学園が見えてきた。
校舎を囲む壁には、一目で落書きとわかる謎の模様やイラスト、血の気の多い連中の自己主張が所狭しと描かれていて、
もはやある種のアートのようですらあった。
(なんとか一年は頑張ってきたけど……)
(もう一年も、こんなところに通うなんて……)
新学期早々、この落書きだらけの壁を見るだけで憂鬱さが増していく。
さらに歩みを進めたそのとき、大きな人だかりのざわめきが聞こえてきた。
嫌な予感が、胸をよぎる。
校舎に近づくにつれて、けたたましい衝撃音が響き、巻き上がった砂埃がこちらまで届いた。
「コホ、コホ……。だから学校は嫌いなんだ……」
憂鬱な気持ちがさらに増し、思わず独り言が漏れる。
予感は、的中した。
校舎へと続くグラウンド手前の正門。
そこには数十人の生徒が、中に入れず足止めされていた。
最後尾から群衆の隙間を覗き込むと数人の生徒が校門前に陣取り、魔法で封鎖している。
「やっぱりかぁ……」
少女はため息混じりに呟いた。
「ふざけんな! 通せー!」
「なに通れねぇようにしてんだ! ぶっ殺すぞ!」
「あと十秒で開けねぇとテメェ終わるぞ!」
怒号が飛び交うが、誰一人として門を強行突破しようとはしない。
タイマン
一騎打ちという聖域の邪魔はしない。
それはこの学園に存在する不文律。
もちろん絶対のルールではない。
通ろうと思えば力ずくで突破もできる。
それでも誰も動かないのは――
封鎖している生徒たちが強いこと。
そして、今戦っているのが、学園上位勢だからだ。
下手に刺激して、後で“お礼参り”に来られたらたまったものではない。
新学期早々、遅刻はしたくない。
少女は状況を確認するため、人垣の隙間から正門の向こうを覗き込んだ。
グラウンド中央。二人の女子生徒が火花を散らす。
一方は両拳に紅蓮の炎を、もう一方は脚に奔流の水を纏い。
巻き上がる砂埃と衝撃音が、バトルの激しさを物語っていた。
通学時間に校門を封鎖してまで戦うような連中だ。
おそらく学園でも上位の実力者だろう。
教師は止めない。
止められるほどの強者も、この場にはいない。
「これは長くなりそうだな……朝礼、間に合うかな……」
憂鬱な声が、また漏れた――そのとき。
「なんだこの人だかりー。いきなり遅刻はヤバいんだって。先に通るよ!」
熱狂と罵声が渦巻く中、場違いなほど軽やかな声が背後から響いた。
「そこのあんた、ちょっと肩借りるよ」
「えっ?」
振り返るよりも早く右肩に柔らかな重みが乗る。
太陽光を反射して銀に輝く髪が、頬をかすめ、制服姿の少女がふわりと宙を舞う。
銀髪をきらめかせながら彼女は吸い込まれるように校門を飛び越え、
炎と水の魔法が荒れ狂う「聖域」のど真ん中にスタと着地した。
そして、まるで散歩でもするかのようにそのまま歩いていく。
「て、てめぇ何してんだ!」「なに勝手に通ってんだぁ!!」「止まれ! 殺されたいのか!」
門番たちが顔を真っ赤にして叫ぶが、彼女は振り返りもしない。
命令された封鎖を破られた責任を恐れてか門番の生徒たちの顔は、怒りと焦りに歪んでいた。
タイマン中だった二人も、異変に気づいた。
自分たちの聖域に踏み込んできた不届きもの。
殺意の矛先がゆっくりと変わる。
「おい! お前! アタシらの邪魔して、タダで済むと思ってんのか?」
「……まずはお前から血祭りにあげてやるよ」
息の合った威圧。
炎と水のプレッシャーが銀髪の少女へ集中する。
「それよりだ」
目線が校門へ向けられる。
「おいっ! てめぇら何してんだ! 勝手に通してんじゃねえよ、後で焼き入れんぞ!」
拳に炎をまとう女が、正門の門番たちへ怒声を飛ばした。下っ端たちはその声だけで震え上がり、自分たちの運命を悟って青ざめる。
だが、そんな殺伐とした空気もどこ吹く風。
銀髪の少女は、背後に突き刺さる視線など露ほども気にせず、退屈そうに校舎へ足を向けた。
「おい、テメェ無視してんじゃねえ……!」
「ふぅ。……ま、てっぺん獲りに来たんだけどさ。こんなところで戦ってるやつが一番なわけないよな。君たちには興味ないんで。時間の無駄。ワタシ急いでるんで」
空気が凍りその不遜な挑発が、火に油を注いだ。
「……死にてぇんだな、ブチ殺してやる!」
「後悔しても遅いぞ、クソアマ!」
先ほどまで殺し合っていた二人の息が、奇妙に揃う。
猛然と突っ込んできた炎の拳が振り抜かれる。
――その刹那。
銀髪の少女の姿が、沈んだ。
「なっ――!?」
低姿勢で回避しそのままコマのように回転した彼女の右足がウンターの回し蹴りとなって炎の女性徒の顎を跳ね上げる。
一瞬。
本当に、一瞬だった。
ボォンッ!という音とともに、数メートル吹き飛ばされた。
静寂がその場を支配した。
何が起きたのか、観衆の脳が理解を拒んでいる。
理解が、追いつかない。
だが、次に動いたのは、水を纏う生徒だった。
一番近くにいた彼女は、本能で察知していた。
(――消えた? いや、速すぎる!なんの魔法?)
同格の実力者が一撃で沈んだ。次は、自分だ。
避けることは不可能。彼女は震える脚に力をこめ、玉砕覚悟で水の魔力を両足に凝縮させる。
だが、蹴り出すよりも早く、眼前に銀色の死神がいた。
「が、はっ……」
腹部にめり込んだ拳。防御魔法ごと内臓を揺さぶるような一撃に、彼女の意識は一瞬で闇に落ちた。
重なり合うように倒れ伏す二人の「実力者」
わずか二発。
たったそれだけ。
学園の不文律も権力も積み上げてきた自尊心も何の意味もなさなかった。
蹴りと拳――たった二撃で沈んだ。
まるでまとわりつく羽虫を払うかのうように。
銀髪の少女は、息一つ乱さぬまま、静まり返る群衆を置き去りにして校舎へと消えていった。
衝撃が、正門前を支配していた。
目の前で起きた信じがたい光景を理解できず、誰もが言葉を失い、多くの生徒が立ち尽くしていた。
「姐さんっ!」
「嘘だろ、先輩が……!」
「姉さん、大丈夫ですか?しっかりしてください!」
静寂を破ったのは、倒れた二人のもとへ駆け寄っていく門を封鎖していた下っ端たちの声だった。
あるじを失った結界は呆気なく霧散し、誰もが予想しなかった形で、校門の封鎖は解除される。
だが動ける生徒はいなかった。今見た「怪物」への恐怖が、足を地面に縫い付けていた。
つい先ほどまで、この学園の上位クラスだった二人が、ほんの一瞬で倒されたのだ。
理解が、現実に追いつかない。
――キーンコーンカーンコーン。
間の抜けた予鈴の音が、現実に引き戻す合図となった。
「今の、ヤバくねぇか?」
「一撃だぞ。あの二人、一応は幹部クラスだろ?」
「てか、誰だよあいつ、新顔か? 見たことねえぞ」
「報復されそう……あいつ終わったな……」
「あーあ、二つの夜会を敵に回したな。あいつ、今日中に消されるぜ……」
ざわめきが波紋のように広がる。
生徒たちは、自分たちが目撃したものが幻ではなかったと確かめ合うように語り合いながら、ようやく校舎へと動き出した。




