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メメント・モリ  作者: 星乃夜衣
【第二章】蝶の舞
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2-9.再会

「銀座の三浦ギャラリーは個展もやるみたいだけど、グループ展も多いみたい」


 香ばしい珈琲豆の香りが漂う昼下がりの店内で、大きな目を輝かせながら薫が話を弾ませる。直人は赤みを帯びた右眼を細めると、一年半ぶりに会った薫の眉間を視てみた。薫の命の結晶は力強く輝いてる。遺体にも死後三日間は命の結晶が微かに灯るものの、生きた人間の放つ光は、その比ではないほど生命力に満ちた強烈な輝きだ。


「聞いてるの?」

 薫に睨まれ、直人は右眼を元に戻すと慌てて応えた。

「ちゃんと聞いてるよ。三浦ギャラリーは共同展示会が多いんだよね」

「少なくとも西園寺一成という画家の作品の場合はそうみたいね」


 薫はモンブランを最後の一口まで堪能すると、満足そうにコーヒーで喉を潤した。

 外堀(そとぼり)通り沿いに佇む三浦ギャラリーからそう遠く離れていない珈琲屋で、直人は芸術について薫から直々教えを乞いでいた。店内は明るく、レンガ敷きの壁が洒落た雰囲気を演出している。


「薫さんは西園寺さんの作品を見たことある?」


 ふと疑問に思い、薫にぶつけてみた。高額で毎回取引される作品を生み出す画家であれば、西園寺一成という名前はそれなりに知られているのではないだろうか? それに、あの鮮烈な色彩を放つ一成の作品を、薫がどのように評価するのかも興味がある。


「ないわ。だから今日一緒に見に行くんじゃない」

 直人の期待とは裏腹に、薫の返事は拍子抜けするようなものだった。

「そっか……まあ、独特な感じの絵だから、薫さんも驚くと思うよ」

「そうなんだ」


 薫はコーヒーカップをテーブルに置くと、正面に座る直人をまじまじと見詰めた。薫は背が高いから、座っていても視線の高さが直人とほぼ同じ位置にくる。渡辺によく似た雰囲気を漂わせる薫に見詰められると、ついドキリと微かな緊張が胸に走る。直人はそんな思いを打ち消すかのように慌てて話題を振った。


「ここだけの話、一成さんの絵は二千万から三千万で売れるらしい」

「ええっ、そんな高額で買われてるの!」

 薫の鋭い反応から、やはり相場的に高額な絵なのだと直感した。薫は慌てて周囲の目を気にすると、

「くっ、そういうお金をホイホイ出すような客層が欲しい!」


 眉間に皴を寄せ、小声で呟いた。そんな薫の態度に、思わず直人は声を上げて笑った。すると、薫も釣られるように笑い出し、二人の間にあった一年半もの壁があっという間に打ち壊された。久しぶりに会った薫は大人っぽい雰囲気を漂わせているが、中身は相変わらずで、直人はどこか安心した気持ちになった。


「薫さんは仕事どう? 独立しようとしてるって、渡辺さんから聞いたよ」

「まあ、お父さんってば! 何でも直人にペラペラと話すわねぇ」

 薫が呆れたように口を尖らせたので、直人は慌てて話題を変えた。

「あ、そういえば、渡辺さんのマンションも雰囲気がガラッと変わってて、凄くよかったよ。薫さんセンスあると思うな」

「ふっ、ふっ、ふっ」


 薫は意味ありげに笑って見せたが、直人はあえて渡辺の個人的な問題に触れるのを止めておいた。思い返せば、薫はどちらかというと昔から〝お父さんっ子〟だったのだ。


「それよりも、さっきから〝薫さん〟だなんて、なんでそんなに他人行儀なの?」


 直人は小さい頃から薫のことを〝薫ちゃん〟と呼んでいたのに、三つ年下の薫はいつも〝直人〟と呼び捨てだ。なんで彼女はこんなに態度が大きいのかと、直人は一度だけ薫の母親に不満を漏らしたことがあった。だが、それは薫なりの乙女心だと、薫の母親に微笑まれるだけだった。


「だってもう〝薫ちゃん〟なんて呼ばれるような歳でもないじゃないか」


 驚くほど大人っぽい雰囲気を身にまとった薫との再会に、直人は思わず〝薫さん〟と呼んでしまったことを隠しておきたかった。


「ふっ、ふっ、ふっ、私も五月には二十五になるし、直人だって三月には二十八よね」


 そんな直人の心境を知ってか知らずか、薫は渡辺に似た笑いを浮かべた。


***


 三浦ギャラリーは、外堀通り沿いの白いビルの一階にあった。通りに面したウィンドウにはグループ展のポスターが飾られている。一見上品でモダンなショールームだ。ガラス越しに画廊員が接客している姿も見える。


「美術関係の話になったら全て私に任せて頂戴。直人は話の流れを変えたい時に、口をちょっと挟むだけでいいわ。そうしたら私が合わせてあげるから」

「わかった」

 薫の勢いに圧されるように直人は頷く。

「展示会は今週の月曜日から始まってるんでしょ?」

「来週の金曜日が最終日だったはず」


 直人が三浦佑蔵を調べ始めると、ちょうど今週から展示会が開催されることを知った。しかも幸運なことに、西園寺一成の作品もその展示会に含まれている。直人が急いで薫に連絡を入れると、一年半ぶりの連絡だというのに快く了解してくれた。


「運が良ければ画家と会える場合もあるけど、難しいわね。最終日に作品搬出に来るかもしれないけど」

「来週の金曜日か……」

 直人は考え込んだが、

「何をボソボソと云ってるの、行くわよ!」

 直人の迷いなど打ち消すかのような堂々たる振る舞いで、薫はギャラリーのガラス扉を開けた。


 中に足を踏み入れると、ベージュのカーペットが敷き詰められていて、奥行きのある画廊は、実際よりも広々として見える。白い壁には規則正しく一定の間隔を保ちながら作品が展示されていて、ざっと見ただけでもそれぞれ大きさの違う絵が十五点近く展示されている。興味深そうに絵を眺める薫の横に並び、さり気なく周囲を確認すると、画廊員は二人いるようで、いずれも女性だった。すると、直人と目が合った年配の画廊員の女性が、穏やかな笑顔を浮かべながら接客のためにこちらに近づいてきた。


「こんにちは、よろしければご案内いたします」

 画廊員は丁寧に一礼した。

「では、お願いします」

 薫が軽く頷くと、画廊員は時計回りに二人を案内し始めた。

「今回の展示は『希望』というテーマを基にしています。作家たちが異なる視点からテーマを捉えていますので、どの作品も非常に興味深く表現されています──」


 直人は画廊員の丁寧な説明に耳を傾けながら展示された絵画を眺めていった。同じ『希望』というテーマでも、作家によってアプローチがまるで違う。暗闇を切り裂く一筋の光を描いた抽象的な作品もあれば、白い鳩や幼児を抱く母親といった象徴的なリアリズムの作品もある。松明、水中を泳ぐペンギン、無邪気に遊ぶ子供たち。一つひとつ作品を鑑賞しながら進んでいくと、ひときわ個性的な色彩を帯びた絵が目を引いた。


「これは……面白い絵ですね……」


 直人は直感的に、一成の作品であることを確信した。不思議な色彩で描かれた無数の蝶が舞い上がる絵であったが、全体的にどこか癖がある。画廊員は立ち止まると、直人が指摘した絵を眺めながら説明を加えた。


「これは西園寺一成の作品です。三浦ギャラリーではこの作家の作品を常に展示しています」

 薫は静かに頷くと、独特の雰囲気を放つ無数の蝶を見詰めながら口を開いた。

「面白いのは色彩だけではないわ。力強いタッチでありながら、どこか繊細で女性的な線も融合している。構図も……個性的だわ……」

「これはこれは、お若いのに鋭い観察眼をお持ちのようだ」

 背後から響いた低い男性の声に、直人と薫は驚いて振り向いた。

「このギャラリーのオーナーである三浦佑蔵です。ようこそお越しくださいました」


 見事な銀髪をしっかりと整えた頭を軽く下げると、佑蔵は静かに笑みを浮かべた。仕立ての良いピンストライプのダークスーツの胸元に、深紅のポケットチーフをアクセントとするその佇まいは、どことなく洗練されたお洒落さを醸し出している。もうそろそろ七十代に届こうという年齢のはずだが、佑蔵は〝老年〟などと呼んで収まるような雰囲気ではない。


「こちらこそ、素晴らしい展示会にお邪魔できて光栄です」


 一瞬、直人の肩に力が入ったが、穏やかな口調で挨拶を返した。まさかいきなり佑蔵本人を拝見することになるとは予想していなかったが、案外好都合だ。


「ありがとうございます。お楽しみいただけているようで何よりです」


 そう云いながら、佑蔵は薫の方をちらりと見た。表情は穏やかではあるが、佑蔵の眼差しにはどこか鋭さがある。


「この作品をお気に召しましたか?」

 佑蔵は一成の作品を一瞥すると、興味深そうに目を細めた。

「ええ、非常に印象的です。一度見たら忘れられませんね」

 直人の代わりに薫が微笑みながら冷静に応えた。

「そう仰っていただけると、作家も喜ぶでしょう」

 佑蔵は微笑むと、画廊員に軽く目配せをした。

「では、ごゆっくり。他の作品についても、こちらの者がご案内いたします」

 それだけ告げると、佑蔵は静かに踵を返し、奥の部屋へと消えていった。


***

 

「薫さん、平日なのにわざわざ僕の仕事に付き合ってくれてありがとう」


 三浦ギャラリーを後にし、直人は薫と肩を並べて西銀座通りを歩いていた。すると、薫はふと立ち止まり、小さく囁いた。

「なんだか、ただのギャラリーのオーナーとは思えないような雰囲気の人だったわね」

 薫の何気ない一言に、直人は目をみはった。

「薫さん、やっぱりお父さんに似て鋭いかも」

「ふっふっふっ、だってなんか独特の余裕感が漂ってたじゃない」


 薫が得意そうに笑いを浮かべながら、直人を見詰めた。薫の眼差しに一瞬どきりとしたが、その瞳には疑念と興味が交じっているようにも見える。

「薫さん、なんか状況を楽しんでるね」

 確かに、直人も佑蔵のどこか独特な雰囲気を感じ取ってはいた。


 ──やはり三浦佑蔵は曲者なのか──


 平岡の言葉が一瞬重くのしかかる。だが、そんな考えを振り払うように、薫の明るい声が直人の思考を遮った。


「直人はこれからお父さんの所に行くの?」

「いや、行かない。事務所に近づくなって云われてるから」

 直人は軽く肩をすくめた。しばらく平岡の姉の店で報告を行うよう渡辺から指示されたばかりだ。


「何それ?」

 薫が怪訝そうに眉をひそめた。

「新しい人が途中採用で入ってきたから、当分事務所には近づくなって云われてるんだ」

「お父さん、疑い深いわねぇ」

 薫が半ば呆れたように呟く。

「仕方ないよ。職業上、それが正しいと思う」

「じゃあ、これから西園寺一成の作品の販売先とかを調べなきゃね。あと、三浦ギャラリーが抱えている他の作家とも比較しなきゃ」

「薫さんは僕の仕事を取らないでください」

 直人は慌てて薫を制しようとしたが、

「何を云ってるの、協力するに決まってるじゃない。直人は芸術関係に疎いんだから」


 あっさりと薫に云い返されてしまった。渡辺が薫は何でも首を突っ込みたがるという言葉が現実味を帯びてきた。


「一緒にギャラリーに来てくれただけで十分だよ。ちゃんと渡辺さんにはそのように言ってあるだから」

「あら、あの絵が二千万と云われて素直に納得する直人は、どう考えても疎いと思うわ」

「うっ!」


 痛いところを突かれ、直人は反論の言葉を失い、口を噤むしかなかった。


「だから、私の協力が必要でしょ?」

 薫は勝ち誇ったように微笑みながら、直人を見詰めた。その表情には、自信と余裕があふれている。

「笑い方も遺伝だなぁ」

 直人は困ったように呟いたが、自分の上司を彷彿とさせる薫の不敵な笑いは嫌いではなかった。

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