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メメント・モリ  作者: 星乃夜衣
【第四章】裏切りの因子
118/140

4-7.遺された想い

 依頼人の鈴木ケイという男は、細身でどこか影の薄い雰囲気をまとっていた。華やかな舞台よりも、暗い袖の方が似合いそうな──そんな控えめな若者だった。


「地味な若者ね」

 幸恵が直人の耳元で囁く。直人は頷き、ガラスパネル越しに向こうを眺めた。渡辺のデスクが置かれた窓際の空間には、木目の美しい会議テーブルが据えられ、その向こうで渡辺と鈴木ケイが向かい合っている。


「どうにかして無理やりチケット二枚取りました。出入り口付近の席ですが、渡辺社長の希望どおり後部席です」

 平岡が通話を切り、幸恵に声をかけた。


「うわっ、本当に? どうしよう……若者に混ざって私たち浮かないかしら」

 幸恵は心配そうに眉を寄せつつも、どこか愉しげだった。

「うちの社長は目立ちますからねぇ……違う意味で浮くかもしれません」

 平岡が苦笑したところで、直人の脳裏にひらめきが走った。

「じゃあ、トレードマークの髭を剃ってもらうのはどうでしょう。若返るし、ちょっとした変装にもなります」

「おっ、それは名案だな」

「あら、いいわね。十歳は若返るんじゃない?」


 平岡と幸恵が賛同の声を上げた時、ガラスの向こうで依頼人が立ち上がるのが視界に入った。握手を交わす二人の様子を見て、直人は思わず頷いた。渡辺が鈴木ケイの依頼を受けるのは間違いないらしい。

 平岡もその切れ長の目を細め、依頼人と渡辺の様子をちらりと確認する。


「どうやら終わったみたいね」

 幸恵はそう呟くと、書類を片手にガラスルームへと足を向けた。


***


「鈴木ケイ、都内在住の二十五歳。ネクロマンテイア結成時のメンバーでしたが、二か月前に離脱。現在はIT企業に勤務しています」


 幸恵は交わした契約書に目を通しながら、要点を絞って説明していく。鈴木ケイはすでに事務所を去り、四人が作業テーブルを囲んでいる。


「ネクロマンテイア離脱に関して本人は不服のようだが、契約書にサインしている以上、覆すことはできない。ただ、依頼の要点はそこではない」

 渡辺が顎を撫でながら幸恵の説明に口を挟むと、直人の視線がその髭に吸い寄せられた。


「……なんだ?」

 渡辺は不思議そうに見渡した。どうやら、平岡と幸恵も同じことを考えていたらしく、皆の目が自然と渡辺の顎に集まっている。直人は思い切って口を開いた。


「土曜の夜、ネクロマンテイアのショーに潜入するとき、髭を剃って最低限の変装をしてください」

「……まあ、髭なんかすぐに生えてくるからな。べつに剃ってもいいぞ」

 そう云いつつも、渡辺は名残惜しそうに顎を撫でた。


「チケットは二枚、確保しました。出入り口付近ですが、後部席です」


 平岡は口元にわずかな安堵を浮かべながら報告した。その表情の裏に、強引な手段を用いた気配がちらりと覗いたが、渡辺はあえて問い返さなかった。自らが命じた以上、手口を知れば胸の奥に重いざらつきを抱えることになると解っているからだ。


「よし! 土曜日の夜は、俺と幸恵さんが後部席から全体を把握する。神崎は薫と一緒に前方の席で観察しろ。俺たちは他人を装い、互いに知らん顔だ」


 渡辺の乗り気な指示に、直人は素直に頷いた。だが、話が少し逸れてしまったことで、依頼の内容をまだ正確に聞いていない。


「それで……結局、依頼の内容は何だったんですか?」

 直人の素朴な問いに、平岡も小さく頷く。


 渡辺は椅子の背にもたれ、ゆっくりと答えた。

「鈴木ケイの弟が、例の〝心を読むトリック〟の被害を受けたそうだ」

「被害……」


 直人はその言葉を繰り返す。やはり渡辺が潜入に乗り気なのも、その一点に疑念を抱いたからに違いない。

 ──あの時の耳鳴りも何か関係あるのだろうか?

 そんな考えが頭をよぎる。


「具体的にどんな被害ですか? 神崎が体験した耳鳴りだって被害ですよ」

 直人の気持ちを代返するように平岡が透かさず返す。

「いや、弟さんの場合は体調不良ではなく、精神的苦痛だ──」

 そこで一旦言葉を切ると、渡辺は視線を伏せた。その仕草に直人が眉を顰めた時、低い声が落ちる。


「──それが原因で、弟さんは自ら命を絶った」


 その言葉と同時に、場の空気は氷のように張り詰めた。直人は息を呑み、幸恵は言葉を失う。事務所は鉛の重さで押し潰されたように静まり返った。


「……マジシャン側に、悪意があった……ということですか?」

 平岡がその重苦しさを裂くように問いを投げかける。


「ああ、そうだろう。心を読まれたことで弱みを握られ、弟さんは女性メンバーに恐喝されていたらしい」

「玉木ミカですね」  

 平岡は切れ長の目を細めると、溜息をついた。


「それは……ステージ上で弱みを暴露されたってことですか?」

 直人は土曜日のショーを思い出しながら問いかけた。もしかしたら、ほかにも同じような被害者がいるのではないか。最後のトリックを目撃できなかったことが、悔しさとなって胸を締めつける。


「いや、舞台上ではあくまで他愛のない内容を当てるだけらしい。観客に精神的なダメージを与えるほどの個人的な暴露は、さすがに公ではやらんだろう。それでは悪評に繋がる。ああいうSNS頼みの連中にとって、口コミは命綱だからな。ネットでの不評は致命傷になる」


 渡辺は冷静に依頼内容を語り始めた。だが、その声音の奥には舞台の華やかさとは正反対の、闇の部分が潜んでいるかのように思えた。


 事の発端はこうだった。

 鈴木ケイと長谷川蓮は高校時代の演劇部仲間で、互いに夢を語り合う関係だったという。そのため、弟にとっても長谷川蓮は昔からの顔見知りだった。


 今年の春、弟は高校を卒業したものの進学せず、浪人しながらフリーターとして働き始めた。二か月前、鈴木ケイがネクロマンテイアを離脱した時も、弟は気に留めることなく長谷川蓮たちと交流を続けた。そのことで鈴木ケイは苛立ちを覚えたというが、弟は止める気配もなく、聞く耳を持たなかった。


「弟さんは、妙な憧れを長谷川蓮たちに抱いていたらしい」

「まあ、あれだけSNSで騒がれていれば、それなりに憧れるのかもしれません……でも、鈴木ケイさんの立場からは、面白くなかったと思います」

 直人が庇うように応えると、渡辺は頷きながら話を続けた。

「そこで、彼らが新しいトリックを発明したとの情報が、弟さんの耳に入った」


 そのトリックは、相手の心を読むというものだった。弟は目を輝かせたという。


「ステージで披露する前に、彼らはそのトリックを弟さんに試したが──」

 内容は弟の名誉のために、鈴木ケイも渡辺に詳細は開示せず、渡辺もまた問わなかった。

「──結果、弱みを握られた弟さんは、ミカという女性メンバーに恐喝されるようになった」


 弟は、アルバイトの収入だけでは到底追いつかず、ついには預金口座を解約し、全額を引き出した。その額は、およそ五百万円。名義こそ弟のものとはいえ、もとは両親が大学進学のために積み立ててきた学資保険の満期金であり、将来を託した大切な金だった。先月末、預金が消えていることを両親に知られ、激しい詰問を受けた弟は、自ら命を絶ったという。


「母親は毎日泣き崩れ、父親は辛く当たったことを悔やみ、自分を責め続けているそうだ」

「警察には……?」

 直人は眉を寄せ、思わず机に拳をついた。

「口座は本人の名義だ。成人していれば自分の意志で解約できる。現金であれば、証拠を掴むのも難しいだろう」

「そんなことが……」 

 平岡も眉を顰める。


「単なる心を読むマジックじゃない。相手の弱みを突き、逆手に取る。そんな悪用のされ方もあるということだ。そこで──」

 渡辺は椅子にもたれ、ゆっくりと手を組んだ。

「全財産を賭けても、玉木ミカという女が弟さんを恐喝していたという証拠を掴みたい。……それが依頼だ」

「全財産……」

 その覚悟に、幸恵は息を呑んだ。

「気迫は伝わりますね。本当のところは、鈴木さんのご両親からの依頼ですね」

 平岡の問いに、渡辺が静かに頷く。

「それから、長谷川蓮と玉木ミカは同棲している」

「恋人同士……」


 直人は土曜日のショーの光景を思い出し、派手な衣装に包まれたレンや、濃い化粧を施したミカの表情を脳裏に浮かべた。


「この件には全力で臨む。他の依頼は、土曜日までに片づけられるものを処理しておけ」

「わかりました」


 互いに目を合わせた瞬間、言葉にせずとも想いは同じだった。娯楽も悪用されれば、命を奪う凶器になり得る。


 ──人の心を読むなんて、本当にできるのか──

 それぞれが作業場へと散っていく中、直人は無意識に拳を握った。


 直人には死者の記憶を覗く力がある。だが、生きた人間の心には触れられない。

 ──長谷川蓮という男は、何か特別な能力を持っているのだろうか?


 不安と同時に、ほんのわずかな期待が直人の胸をくすぐった。

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