身体目的で付き合った彼女から離れられない
「林くん、付き合って」
高校二度目の秋。二学期が始まってから一週間が経過した。夕方だというのにまだ暑い。
教卓の前で向かい合って立っているクラスメイト、新田久遠さんは頬を赤らめて期待と不安が混ざったような瞳で見つめる。
放課後の教室には僕と新田さんしかいない。が、教室は静かではない。セミの鳴き声がうるさいせいで余計に暑く感じてしまう。いや、告白されたのが人生初めてだからって熱くなってるわけではないよ。
新田さんは気が利く人なのだろう。
今朝、机の中に入っていた新田さんの手紙には放課後人がいなくなってから話があると書いてあった。
誰かが教室に残っていれば面倒なことなっていた。いや、ただ単に誰かに告白している姿を見られるのが恥ずかしかったのかもしれない。
僕、林柊人の人生で今まで恋愛イベントなど一度も縁がなかったが、手紙を読んだときに予想しなかったわけではない。正直、嬉しかったです。だが……まだ嘘告白という線は消えたわけじゃない。疑うのは失礼かもしれないけど、不審な点がある。
僕と彼女は今まで接点がない。今年初めてクラスが同じになったくらいで中学も違うし、他の場所で知り合ったわけでもない。高校になってからも話したことはないし、クラスが同じでも関わることはなかった。お互いに名前と顔だけ知っているレベル。そんな相手に告白するだろうか。
仮に僕がイケメンなら納得できる。だけどそれはない。イケメンなんて言われたこともないし。イケメンなら告白イベントが今まで生きている中で何度もあって良いはずだ。だが、一度もないんだよ! 悔しいけど! 残念だけども! まあ今日で一回は経験できたので良しとしよう。まだ確定ではないけど嘘告白だったとしても一回は一回だからね。
返事はもう決まっている。
「ごめん。新田さんとは付き合えない」
「えっ?」
きょとん、とした顔で首を傾けた。
振られると思っていなかったらしい。少し固まった後、顎に手を当てて言われた言葉を理解しようとする姿が見られた。
そんなに難しいことを言った覚えはないが、彼女はプライドが高いのかもしれない。
いや、自信があるのは当然か。
新田さんはモテる。艶のある栗色の髪は背中まで伸ばし、綺麗に整った小顔。
僕の身長が175センチだから新田さんは多分160センチより少し高め。
細身だが膨らみのある胸とお尻。見た目だけでいえば、ギャルゲーのヒロイン級だよ。
一度くらいは新田さんの綺麗な髪を触ってみたいとは思うけどそんな機会はないだろう。すみません、格好つけました。身体も触りたいです、はい。
もちろん、見た目だけでなく性格も良いからモテるのだろう。
告白を断ったことを少し後悔した。でも付き合うなら内面とかお互いの性格の相性とか大切じゃん。新田さんのこと全然知らないし。まあ付き合っても身体が触れる前に振られるかもしれないし。身体目的で付き合うのも失礼じゃん。
付き合うなら純粋な恋愛したいし。まあ、まあ、まあね、仮に、仮にですよ。勢いとか流れとか若気の至りでねえ? えっちなことになったらねえ……もちろん、喜んでやるとは思うけど。いや、腰が引けるかも。経験ないし。それでも好き同士が前提の話。
顎から手を離した新田さんは一歩踏み込んで顔を近づける。女性に耐性がない僕は新田さんから顔だけ後ろに下げた。
「意味わかってる? あたしと付き合えば彼氏彼女としてイチャイチャできるのよ」
「わ、わかってるよ。……確かに恋愛に憧れはあるけど。新田さんと付き合う気はないよ」
「ふ~ん、あたしの告白を断るってこと? 好きな人とかいるの?」
「いないよ」
「そっか」
納得してくれたようで新田さんは二歩後ろに下がった。
「………断るなら」
新田さんは夏服のブラウスに手をかけ、ボタンを外そうとする。
僕は咄嗟に顔を背けた。
「ちょ、ちょっ! なにやってんの!?」
「制服のボタン全部外して服乱して林くんに襲われたって泣きながら隣のクラスに駆け込むわ。隣のクラスに人がいるのは確認済みよ。あたしと林くん、どっちの言葉を信じるかしら?」
「あんた、最低か!」
顔を新田さんに向け直す。どうやら諦めてくれたわけではないらしい。
「それが嫌なら告白オッケーして」
ボタンから手を離した新田さんはにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「そこまでして嘘告成功させたいのかよ!」
「嘘告? そんなつまんないことするわけないでしょ」
なに言ってんの、こいつみたいな目で見られる。なんか腹立つな。
「だったらそんな脅しの告白があるかっ! 素直に受け入れろよ」
「嫌よ。無理」
「ワガママか」
「だって―――」
顔を下に向けて拳をキュッと握る。
嘘告白じゃないならなにを考えているんだ。
決心したように顔を上げ、真っ赤な顔で、
「あんたの身体が触りたくて触りたくて我慢できないんだもん!」
「は?」
えーっと、すみません。この女は何言ってんの? 理解できないんだけど。うーん、聞き間違いカナ?
「あたしがどれだけ我慢したと思ってんの!? もう我慢の限界! てか、全部はっきり言うわ。あんたの身体が好きで好きで仕方ないから付き合って!」
なにキレてやけくそ気味に言ってんの? って、聞き間違いじゃなかったー! え、なに、こんな残念な告白ってあるの? まだ噓告白のほうがマシだったわ。
「ちょ、ちょっと待って! どういうこと? 身体が好きってなに?」
「あれは忘れもしない。一学期の水泳の授業のときだったわ」
なんか熱く語り始めたんですけど。
「林くんの上裸を見たときにこう! 胸がキュンってなってそれから胸がトクントクンって」
「上裸って言い方やめてくれる。水泳の授業だから上半身は裸だけど。あと擬音語多いな」
新田さんは両眼を瞑って大切な思い出を抱きしめるよう胸に両手を当てる。
なにこの雰囲気。女と会話するときは共感力が大切? 無理無理。ついていけねーよ。置いてけぼりだよ。高いよ、高すぎるよ。テンションもハードルも世界観も。変態ってこと以外理解できないんですけど。
美少女だから絵にはなるけど、話してる内容最悪だ。もうこの人、やべえよ。変態だよ。関わりたくないよ。
「それからは林くんの身体が気になって、気づけばいつも目で追っていたの。ああ……今日も良い身体してるわって。もちろん、今もよ」
目をゆっくり開いて恍惚な笑みを浮かべている。幸せそうだな、おい。見た目は美少女、中身はエロおやじってか。怖いわ。
「普通一目ぼれって言ったらイケメンを見たときになるやつでしょ。なに恋する乙女みたいに語ってんの」
「そう、わかってるわね。あたしは林くんの身体に恋してるの。大丈夫、今は上半身だけじゃなくて下半身も好きよ。顔と性格以外は好き、大好き。愛してる」
「全然わかんねーよ。酷い告白だな、今日一番傷ついたわ」
なんなら中学のときにイジメられたときより傷ついたわ。過去一かもしれない。
「え、褒めてるのよ。自信を持って! あなたの身体は素敵よ」
天然なの? もうこいつと話したくないんだけど。僕も新田さんの身体を触りたいなんて考えていたから人のこと言えないかもしれないけど、見た目しか良くねーよ。新田さんの性格やべよ。良い人じゃねえよ、気が利く人でもねえよ。ただの変態だよ。評価がだだ下がりだよ。知りたくない一面だったよ。
「なんで僕なの? 水泳の授業なら他にも男子はいたでしょ」
よくぞ、聞いてくれたみたいな表情しやがった。新田さんの顔が輝いてるよ。もう帰りたい。
「そう! そうなのよ、他の男の身体じゃ全然ダメだったのよ。それからあたしはこの謎を解くべく調べたわ」
「探偵みたいな台詞やめてくんない。誰もそんな真実知りたくないよ」
「探っていくうちに林くんと他の人の違いがわかったわ」
一拍空ける。いや、溜めるなよ。
「キックボクシングをやっていることよ」
僕は中学一年のときイジメられていたので自分の身を守るために習い始めた。
結果だけいうと、イジメっ子を全員ボコボコにしてしまった。しかも、やり過ぎた。それ以降周りから怖がられて浮いたので中学時代はぼっちライフだった。まあ、イジメられた時期も友達はいなかったのでぼっちに変わりないけど。あ、キックは好きなので今もやってます。
だけどおかしい。
「どうして僕がジムに通ってること知ってるの? 誰にも話したことないよ」
「林くん、いつもぼっちだもんね」
「うるさいよ。いいから話を進めて」
「林くんの身体を目で追っていったらジムに辿り着いたの」
「それ目で追うどころかついてきてるよね。ストーカーだよ!」
なにこの行動力のある変態。見た目が良ければなんでも許されると思うなよ。
「最初はキックボクシングをやってる人の身体が好きなのかと思って格闘技やスポーツジムに見学に行ったり、家のパソコンで動画とか画像とか見たけどね。全然ときめかなかったの」
顎に手を当て真剣に語ってくる。なにシリアスな空気作ってんの。言ってること変態だからね。
「わかったのよ。……林くんの身体じゃないとドキドキしないことに」
新田さんは色っぽく告げた後、胸の前で両手を合わせて幸せな表情で目を閉じる。
いや、本当に絵にはなるんだよ。内容がまともなら心奪われていたかもしれない。
「恋は理屈じゃないのよ。感じるものなの」
全然嬉しくない。質の悪い告白。もう愛の告白っていうよりは自分は変態ですって告白されているようにしか聞こえない。
残念な現実にため息が出る。
新田さんが瞑っていた目を開けた。
「ここまで話したんだからいいでしょ。もう我慢できないの。だから付き合って! 触らせて」
「本音駄々洩れだよ! ただ触りたいだけでしょ! 言ってること横暴だよ!」
「そうよ! でもカップルにならないと堂々といつでも触れないじゃない」
「そんな告白で、はい、そうですか、付き合いましょうになるわけないでしょ!」
一応新田さんの中でもルールはあるらしい。世の中のルールも守って欲しいんですけど。
新田さんが一歩踏み込んできた。
「あのね! あたしが今までどれだけ恋焦がれたと思っているのよ! あの夏のプールから夏休みの期間、最初は見ているだけで良かったの。だけど次第に触りたい気持ちが強くなって我慢するの大変だったのよ。夏休みの間は林くんの家の近くに張り込んであの暑い夏の中、林くんの身体を見るためにどれだけ努力したことか! 毎日会えなくて辛かったわ。林くん引きこもりがちだし。早く学校が始まって欲しかった。まあ二学期が始まったから毎日見れるけどあたしは触りたいの! 林くんの身体を」
「知らないよ! どんだけ欲望に忠実なんだよ! 抑えることに努力してくんない。それとやってることもう犯罪者だからね!」
全然気づかなかったわ。接点がないと思ってたのは僕だけで一方的な繋がりがあったなんて。喜べない事実だけど。
「てか、身体触らせて」
「話聞いてる!? 完全にセクハラだよ。無理に決まってるでしょ」
「あたしのなにが不満な訳!? 自分で言うのもなんだけどあたしって可愛いでしょ。彼女として優良物件よ」
「見た目じゃないよ! 性格! その欲望に忠実な内面! ストーカー行為! 断るのに充分すぎるだろ。変態過ぎて怖いわ。無理無理」
「あたしのほうが無理! もう限界!」
新田さんが勢いよく僕の胸に飛び込んできた。
咄嗟のだったので無意識の内にバランスを崩して二人とも転ばないように抱きしめていた。
触る機会のないと思っていた新田さんの髪はサラサラで身体は細くて弱そうで女の子って見た目より小さな存在に感じる。
この無意識に働いた自分の優しさに後悔した。なんとか自分だけ避ければ良かった。
「林くんの身体……はあはあ……」
作戦が成功した新田さんは嬉しそうに僕の胸に頬ずりをしている。
念願が叶って欲情した彼女がこれでもかというほど僕の身体を堪能していた。
「胸板がたくましいわ。はあはあ……熱くて、固くて、がっしりしてて、安心するよ……はあはあ……じゅるり」
「ちょ、よだれ! 汚っ」
「はあはあ……林くんの身体、ぐへへへ」
笑い方がきもいんだけど。
胸に顔を埋めているため、表情はわからないけど。きっと顔も気持ち悪いんだろう。見ない方が良いかもしれない。
「あたし、幸せ」
背筋に悪寒がする。美少女でも変態に抱きしめられるのは嫌だ。
「一生、このままでも良いかも。ぐへへへ」
「良いわけあるかあっ!」
こうして、彼女の欲望を叶えるために脅された僕は新田さんと付き合うことになった。