プロローグ
未完。
遥か昔、魔獣と呼ばれる存在が現れて人々を襲うようになり、これに対抗すべく人類は武器を手に取った。いつ終わるのかわからない戦いを続けるうちに、魔獣達は徐々に進化を繰り返し、遂には山のような巨大な魔獣――『巨大獣』――が現れるようになり、人類は存続の危機に陥るほどに追い込まれた。
しかし、人類は黙って滅びるような種族ではなかった。巨大獣へ対抗するため、巨大な人型戦術兵器『魔導鉄巨人』を作り出した。
魔導鉄巨人と巨大獣の戦いは凄まじく、戦いの余波で小さな村や魔獣の棲家が滅びるほどの規模だった。日々激化する戦いは遂に小国や魔獣のコロニーをも滅ぼし、世界中が戦火に包まれた……。
――長き戦いの末、人類は魔獣を退け、再び繁栄を取り戻すことに成功した。
そして時は経ち、現代。人々は時折現れる魔獣や巨大獣に悩まされることはあるものの、古き時代よりも間違いなく平和な生活を謳歌していた。
そんな中、ここフィランツェ王国にて、とある野望を抱く男が一人……。悪事に手を染め、己の障害となる者を次々と排除し、つい先日フィランツェ王国最強である魔導鉄巨人部隊【鬼神】の総隊長の座を奪った男。名を、エッケラルド・ガーバナー。彼は野望を叶えるための計画を実行しようと、鬼神に所属するとある隊員の部屋へと――。
「システィーナ・リリー!! 貴様に横領と違法取引の嫌疑がかけられ……て……?」
踏み込んだ。踏み込んだのだが、そこに居るはずの隊員と、この部屋にあるはずの物が存在しなかった。総隊長に就いてから、いきなりの計画失敗である。本来であればこの時、システィーナに対して『お前は鬼神に相応しくない、追放だ! 温情をかけてやるから、それで勘弁してやる。出ていけ!』と、格好良く追放を言い渡すつもりだったのだ。
まさに、もぬけの殻。人はおろか、ベッドも、クローゼットも、机や椅子、照明器具に至るまで全てがなくなっていた。あまりの出来事にエッケラルドは立ち尽くし、何が起きているのかを理解するまでやや長い時間を要した。
「まさか、逃げた……? いや、この計画は誰にも知られていない、はず……」
情報が漏れている可能性、誰かが裏切った、忍び込まれた、この計画を察知された……様々な可能性が頭を過るが、その全ての可能性にエッケラルドの脳はノーというアンサーを下した。
システィーナという隊員は、唯一の家族であった妹が亡くなったことを死後数日経ってから知り、妹の葬儀にすら出られなかったショックからか放心状態になっていることが多く、自分には生きている価値がないなどと呟くことが多くなっていた。
自殺だ。システィーナは変わった隊員だったと聞いていたエッケラルドは、彼女が自殺前に全てのものを処分して人知れずどこかで自殺を図ったと結論付けた。もし万が一にも自殺でなかったとしても、横領と違法取引の罪ですぐに口封じが出来る。何も問題はないと判断した。
「(計画を変更しよう。システィーナに罪状を言い渡し、正式な処分を言い渡すまで部屋で待機しろと命令したが、見張りの兵士を殺害して荷物を纏めて逃走した)」
こうして、『システィーナの謎の失踪事件』は、『システィーナによる横領・違法取引、及び兵士殺害と逃亡事件』へ塗り替えられた。後日、エッケラルドが国王へ事態を報告し、システィーナは重大犯罪者として指名手配が決定。哀れにもエッケラルドの思いつきによって殺された兵士の葬儀が執り行われ、システィーナの代わりとして鬼神へと別の隊員が組み込まれることとなった。
更にエッケラルドにとって幸いなことに、彼女の目撃証言はいつまで経っても上がってこない。王都内はおろか、フィランツェ王国の領地内ですら一切目撃証言が上がらない。大規模な捜索が行われ、国中で指名手配をしているにも関わらずだ。
彼女はいったいどこに消えてしまったのか? 暫くは誰しもがそう思っていたものの、時が経つにつれて徐々に彼女は人々の記憶から消え、エッケラルドも彼女は自殺したからこの世に居ないという推測が、いつの間にかそれが真実だと思い込むようになっていた。
果たして本当に鬼神の隊員、システィーナ・リリーは自殺してしまったのか? その真実を知るために、エッケラルドが踏み込むほんの少し前の時間へと遡ろう…………。
◆ ◆ ◆
エルエニアちゃん、私の大事な大事な、可愛い可愛い妹が――――死んだ。
15歳の誕生日を迎えてから数日後、穏やかな寝顔で息を引き取っていたと、メイドのイヴさんから聞きました。誕生日パーティの時はあんなに元気だったのに、ここ数年は咳も熱もなくて、徐々に体を動かせるようになるかもしれないってお医者様も仰っていたのに。
エルちゃんは私の全て、私の生きる意味そのもの。せめて、せめて……お別れの言葉だけでも……。最期の瞬間は隣りにいてあげたかった。悔しい。悔しい。巨大獣討伐の緊急任務なんて行かなければよかった。新しい司令官の命令なんて無視すればよかった。後悔、後悔ばかりが私の頭を支配している。エルちゃんが息を引き取った時、私が昔討伐した超巨大獣の体内から抉り出した魔石で作ったネックレスを、大事そうに両手で握っていたのだそう。今は私の首にかかっている。このネックレスに、エルちゃんが残っている気がして。そう思わないと、胸が張り裂けそうで。
――――コンコンコン。
誰かしら、こんな夜中に……。誰にも会いたくない、死んでしまいたい……。でもそれは『エルちゃんとの約束、第1条』に違反する。私がエルちゃんとした約束は沢山あるけれど、絶対に破ってはならない約束の中に『自ら死を選択してはならない』という大きな約束がある。エルちゃんが病気で死にたくないって頑張ってるのに、私が死にたいだなんて言ったら、それはエルちゃんに対する侮辱だもの。死んでしまいたいけれど、死ぬわけにはいかないの……。
「システィーナさん、フィールですわ。入っても、よろしくって?」
「フィール、さ、ん……? ど、ぞ……」
「失礼しますわね……。く、暗い……明かりを灯してもよろしいかしら」
「ど、う……ぞ」
「火よ光となれ」
フィールさん、確か隊長が鬼神の隊員の宿舎に連れ込んでいる、高級娼婦さん……だったかしら。綺麗な金色の髪にスラリと長い手足が綺麗な、大人の女性の魅力溢れるお淑やかな女性。そんな人がどうして私に、どんな用事があって私の部屋へ……? それより魔法、使えたのですね。
「単刀直入に。時は一刻を争いますわ」
「この、紙は……?」
「字は、当然読めますわね? 先日病死と発表されたレネガル総隊長の死因は毒殺。これが使われた薬物……。そして新しく総隊長に選ばれたエッケラルドの経歴、彼がこれまで就いた座にいた前任者は全員――――病死ですわ。この意味が、理解出来まして?」
「…………エッケラルドが、やったのですか」
「そう見るのが自然でしょう。しかし、これだけ派手にやっているにもかかわらず、エッケラルドは誰からも糾弾されない。おかしいとは思いませんか?」
確かに、これはあまりにも不自然ですね……。しかし、いきなりこんなものを渡されたからといって『はい、そうですか』と信じるほど、私は騙されやすいほうではありません。ええと、騙されやすくはないと思います……多分……。
「王国最強の魔導鉄巨人特殊部隊、鬼神……。その隊長である彼の性格は、貴方もよくご存知ね?」
「少し臆病ですが、面倒見が良く優しい人です」
『――触るな、汚らわしい娼婦が! この俺を誰だと思ってる! 出ていけ、この売女!!』
「これ、は……」
「隊長はこのようなことを仰る方ではありませんわ。しかし、私に向かってこう叫んだのです。これはおかしいぞと思ってこっそり彼を追跡した結果……。総隊長エッケラルドに、何やら怪しげな魔法を使われているようでした。いえ、魔法というよりは……洗脳能力。そう見えました」
「洗脳…………?」
『――隊長、うるさい虫は排除出来ましたか? 困るのですよ、私の女以外が部隊に近寄っては』
『――は、い。排除、しまし、た』
隊長が、洗脳されている……? フィールさんが見せてくれた映像球は、高級娼婦さんなら誰でも所持している魔導具。高級娼婦さんがトラブルに巻き込まれた時、有利に事を進められるようお店から持たされているものだったはず。映像球は改ざんが出来ないことで高い信頼性を誇っているものですから、この映像は間違いなく……本物ですね。
「これを、エッケラルドに嫌疑を向けた貴族にも使っているとしたら、どうでしょう」
「…………あらゆる悪事を、隠蔽出来ますね」
「そして貴方も簡単に、いえ物理的には無理でしょうけど……。社会的に抹殺する方法は、いくらでも用意が出来るということですわ」
「どうして、私を……あっ」
「何故なのかはわかりませんわ。しかし、女の存在は困るそうですから……」
「私を、排除するつもりなのですか……?」
「間違いなくそうするつもりでしょう。なんでもいいから貴方に罪を着せれば、簡単に」
私を、消す……? 王国のために、エルちゃんが静かに暮らせる場所を守るために。何の変哲もない、小さな村の出の平民である私を、排除する……?
「システィーナさん、ここにいては危険で」
「どこかで、マギアを弄って余生を過ごしたい。この国にいる理由なんて、もう何も……」
「…………それでしたら、いい場所を知っていますわ」
「そこ。そこに行きます。連れて行ってくださいな、今すぐこの部屋を片付けますから」
「そんな事をしている時間は……」
もうこんな国、どうでもいい。鬼神から追放されたら、私は魔導鉄巨人に乗ることが出来ない。エルちゃん以外に唯一興味を持ち、どうしても乗りたかった魔導鉄巨人……。それに乗ることが出来ないのであれば、もうこんな国に用はありませんね。
エルちゃんに作って貰った魔法の鞄に、エルちゃんに作って貰った快眠枕と、ベッドも心地よく寝られる術式をエルちゃんに刻んで貰ったので、これも持って行きたいですね。あ、このクローゼットも不変の保管術式を刻んで貰ったので鞄に入れましょう。照明も、カーペットも、机と椅子もですね。ああ、なんということでしょう。この部屋にあるもの全部ですね。
「え……え、その鞄、どうなって……?」
「エルちゃんから貰ったのよ」
「え……? え、凄い、ですわね……?」
「そう? 凄いのよ、わかってくださる? ああ、時間がないのでしたね……これからエルちゃんの素晴らしさを語りたかったのですが……」
「それは、またの機会に!」
「ええ、今度聞いて下さいな」
さて、全部鞄に詰め込み終わりました。これでもう、思い残すことは……。そうだわ、屋敷にあるエルちゃんと縁のあるものも全部鞄に詰め込んできましょう。ええ、そうするべきね。
「それではすぐに移動を――ひゃあ!?」
「屋敷にあるものも回収したいので」
「ど、どど、どうしてそれが、私を抱きかかえることに繋がりますの!?」
「だって、一緒に移動したほうが早いわ? ええ、そうでしょう?」
「そう、で――!?」
なるべく迅速に。フィールさんを抱っこして、窓から飛んで行ったほうが早いですね。ここは宿舎の3階、高さは十分。屋根から屋根へと飛んで行けば、屋敷まではあっという間ですから。
「お、お、おおお! 落ち、落ちる! 降ろし、ひいっ!? 降ろさないで!」
「大丈夫、もうすぐ到着するわ」
屋敷のものを回収して、後はフィールさんの言ういい場所に向かうだけ……。エルちゃんのことを想いながら、マギアを弄って余生を過ごすことが出来る場所……。今まで凄く暗い気持ちで、それこそ死んでしまいたかったほどだけれど……。今からそこへ向かうのが、とても楽しみで仕方ないわね。さあ、屋敷に到着したわ。あら、フィールさん……?
「…………ぁ」
「眠ってしまったのかしら、特別に私のベッドで寝かせてあげましょうか」
フィールさん、移動が退屈だったのかしら? 眠ってしまったわ。でも急いでいるから、回収が終わったら起きて頂かないと……。さあ、私を排除しようとする人達が追いかけてくる前に、やることをやってしまいましょう。これから忙しくなるわね。