限界オタクが推しを正気に戻してみたら
「──いやはや、騒がしいな。姉妹喧嘩とやらは」
アクアーリオが笑みを浮かべながら、応接室に入ってきた。
「アクアーリオ博士!」
「廊下にまで声が聞こえてきたぞ。まるで腹を空かせた子猫のよう。全く、そういうことはボクの目の前でやってくれないかね。是非、じっくりと観察させて頂きたい」
アクアーリオはくく、と笑う。
彼の手元を見て、べリエはぎょっとした。
彼は台車を引きずっていた。
その台車の上には、ノヴァが体を丸めて乗っていた。
ノヴァは「うー、うー」と唸りながら、台車に頭を叩きつけている。
「博士! 何故ゾンビを連れてきた!? そいつは魔物だ。危険なのだ! 直ぐにここから追い出せ!」
ベリエが声を荒げる。
アクアーリオは笑みを浮かべたまま答える。
「何をおっしゃる、殿下。彼は貴重なサンプル──こほんこほん。人語を理解し、人間に協力する姿勢のある魔物」
アクアーリオはノヴァの方を見た。
「みすみす群れに返してなるものか」
「城に入れるなと言ってるんだ! また、ヒナに襲いかかるかもしれないんだぞ!?」
アクアーリオはやれやれ、と首を振った。
「何故、突然魔物達が襲ってきたのか……殿下は気にならんのかね? ボクは非常に気になるが。知識は必要だよ、殿下。今後、このような魔物の襲撃に備えるためにも、多少の危険は許容すべきだ」
「それは今優先すべきことではない!」
「あの戦場に転がしておいたら、双子クンの流星群に巻き込まれて、跡形もなくなってしまうだろう。だから、保護したまで」
アクアーリオは悪びれもせずに言う。
「保護したところで何が出来る? 今のそいつに?」
ベリエはノヴァに訝しげな目を向ける。
ノヴァは目を赤くし、呼吸を荒げている。
「さて、どうだろう。それは、姉聖女クン次第ではないかね」
アクアーリオがイオリに目を向ける。
それに倣って、ベリエとヒナもイオリを見た。
「わ、私?」
イオリはきょとんとした。
「ボクの仮説によれば、今のゾンビクンの状態は〝興奮状態〟であるように思える」
「興奮状態……つまり、ノヴァくんは状態異常に陥っているってことですか!?」
状態異常とら、毒状態、麻痺状態などのようなものだ。
興奮状態に陥ると、能力が上がる半面、敵と味方の区別がつかなくなる。
──確かに、【よぞミル】にも状態異常のシステムはあったけど……。
イオリはちらりとノヴァを見る。
ノヴァは苦しそうに悶えている。
興奮状態というには、あまりにも痛ましい。
「姉聖女クン、キミは聖女の力を発現させたのだろう? 報告書で見たぞ」
アクアーリオは顎に手を当てる。
「古書によると、聖女の力は傷を癒すだけでなく、正常な状態に戻すことが出来るという。聖女の力が魔物にも有効だとわかっている以上、試してみる価値はあるのではないかね?」
「もし、戻らなかったら……?」
「そういう心配は試してみてからすると良い」
アクアーリオは未だに苦しみ、もがいているノヴァを手で示す。
ノヴァの苦痛を取り除けるのなら、とイオリは顔を引き締めて頷いた。
「わ、わかりました! やってみます……!」
イオリはノヴァに近寄り、ノヴァの横に座り込んだ。
唸っているノヴァが痛々しい。
イオリはノヴァの背中を撫でたあと、胸の前で手を組んで祈る。
「ノヴァくん……お願い。正気に戻って……」
──ノヴァくんがこれ以上、苦しみませんように。ノヴァくんとまた、お話し出来ますように……。
イオリはそう願った。
すると、ノヴァの周りに星が瞬き出した。
「星の輝き……! 報告書に上がっていた通りだ! これが、聖女の力……!」
アクアーリオは初めて見るそれに、好奇の目を向け、口端を上げた。
ベリエは黙ってそれを見守り、ヒナは恨めしげに見つめていた。
暫くして、瞬いていた星が消える。
イオリは恐る恐るノヴァを見た。
ノヴァの動きが止まっている。
外見からは、彼が正気に戻ったかどうかわからない。
イオリはノヴァに売れようと手を伸ばした。
すると、ぴくり、と体が動いた。
「……あれ……? ここは……?」
ノヴァは顔を上げた。
血走っていた目は、いつもの瞳孔が開きっぱなしの金色の瞳に戻っている。
「ノヴァくん!」
イオリはあまりの嬉しさに叫んだ。
しかし、まだ正気に戻ったか確かではない。
イオリは高ぶる心を落ち着けて、ノヴァに質問をした。
「自分のこと、わかる?」
「オレは……ノヴァだ」
「そう! じゃあ……私が誰だかわかる?」
「……イオリ……」
「うん、イオリだよ……!」
ちゃんとした受け答えが出来ていることに、イオリは目頭が熱くなった。
「良かった……! 正気に戻ったんだね、ノヴァくん!」
イオリは嬉しさのあまり、ノヴァに抱きついた。
ノヴァは肩を飛び上がらせた。
「い、イオリ……!?」
ノヴァは顔を真っ赤にして、イオリを見つめる。
イオリはノヴァの胸の中で泣いていた。
それを見て、自分が心配をかけたことを何となく察した。
「悪ぃ、イオリ。心配かけたな……」
ノヴァは行き場もなく彷徨っていた両手をイオリの背中に回した。




