限界オタクが推しの採寸を見てみたら
「僭越ながら、シキオリオリ先生──姉聖女様の御本を拝読しまして……」
ポワソンは手をもじもじとさせて言う。
「本……? 姉聖女ってことはイオリの?〝シキオリオリ〟って……?」
「もしかして……まだご覧になっていないのですかぁ!? シキオリオリ先生の御本を!」
ポワソンの突然の大声に、ノヴァはぎょっとした。
ポワソンはローブの中から一冊の本を素早く取り出した。
その本は勿論──
「シキオリオリ先生の代表作──『神官とゾンビのキャロル』でございます!」
ポワソンはキラキラと目を輝かせた。
「アッ! ダッ! み、見ちゃ駄目!」
イオリはノヴァの目を手で塞ぐ。
ノヴァはイオリの手をやんわりと退けた。
「なんで見ちゃ駄目なんだよ」
「ノヴァくんとリブラさんは絶対に見ちゃ駄目! ナマモノだから!」
「ナマモノ……? 魚の本?」
ノヴァは不思議そうな顔をした。
「〝マンガ〟と呼ばれる姉聖女様の元いた世界の創作手法だそうで! 絵は独特なタッチで好みが分かれるでしょうが……内容がそれはもう、素晴らしくてぇ! 兄弟愛を描いたものでして……!」
「兄弟愛……」
ノヴァの頭には自分と兄・リブラのことが思い浮かんだことだろう。
「はい! リブラ様とその弟君のお二人のことです! 明言はされていませんが、間違いないと専らの噂ですぅ!」
「オレと兄貴の話……?」
「【星の守護者】となった兄。ゾンビ化し、魔王軍に攫われた弟。悲しいすれ違い! そして、運命の再会! 美しき兄弟愛! わたくし、それはもう、感動致しまして!」
「オレと兄貴をモデルにした話……。そんなことしたのか、勝手に?」
ノヴァはイオリに非難の目を向ける。
「ごめんなさい……。キャンサー先生の勢いに押されて……。あれよあれよと言う間に製本されてました……」
イオリは肩を縮こまらせた。
──ポワソンさんが私の本を見ていたなんて……いや、少し考えればわかるか。ポワソンさんはキャンサー先生と親友だし。
ポワソンはキャンサーと同じ、水の都出身だ。
キャンサーの友人として、ポワソンが真っ先に挙げられるくらい、二人は関わりが深い。
勿論、キャンサーはポワソンにイオリの本を渡しているだろう。
「皆様に会えて光栄ですぅ! その……差し出がましいとは思うのが、あとで本にサインをして貰えませんか……?」
「サインってのは、作者に貰うものでしょう。なんでオレ達まで?」
「作者様には勿論ですが、やはり……。〝推し〟に頂きたく……」
──わかる……。
イオリは頷いた。
ポワソンはオタク気質だ。
期間限定イベントストーリーで、キャンサーに貰った本に熱中し、本の内容に合った服を作るポワソンを何度か見た。
ちなみにこのポワソン、男女のカップルは勿論、ガールズラブ、ボーイズラブもいける口である──個別ストーリーで語られていた。
兄弟愛を描いたイオリの漫画が、彼の心に刺さらない訳もなく。
──ポワソンくん、私の本が好いてくれるのは嬉しいけど、二人には見せないで!
「ふむ……」
リブラは既に本を開いて読んでいた。
「リブラさん!? 見ないで下さい!」
「……読み方が……普通と違う……?」
「あっ、それ、右閉じなんですよ。ページの右上から左下に読んで下さ──いや、読まないで!」
イオリはリブラの手から本を奪おうと飛びかかる。
リブラはそれをひらりと躱した。
「なるほど」
無情にも、リブラはページをどんどん捲っていく。
「ああああ……! ナマモノが本人の目に!」
イオリは震え上がった。
──兄弟健全本なのが幸い──いや、何も良くない!
「リブラさん! 見ないで下さい! いい加減、泣きますよ!?」
「泣く……? この本は良く出来ていると思いますが」
「これは同人作家の良識を疑われる行為なんです!」
「イオリ様の良識……。わかりました。この本はポワソンにお返しします」
イオリの説得の甲斐あって、本はポワソンに返された。
ポワソンは本をぎゅっと抱き締める。
「ああ、滾る……滾りますよぉ! デザイン案がわたくしの頭に次々と浮かぶ……! 早速、ノヴァ様の採寸をさせて頂いても!?」
ポワソンはメジャーを広げ、鼻息を荒くしてノヴァにじりじりと近寄った。
その姿はまるで変態である。
「はい、よろしくお願いします」
ノヴァは素直に頷いた。
イオリを見ていたから、オタクの大興奮に見慣れていた。
ノヴァは採寸のため、羽織りを脱いだ。
ポワソンはノヴァの体にメジャーを巻き付け、胸囲とウエストを測っていく。
「あれ……?」
途中、ポワソンは首を傾げた。
「失礼します」と言って、ノヴァの背中に手のひらを這わせる。
「背中が抉れてる……?」
リブラはハッと顔を上げた。
「……ああ。レオ騎士団長に斬りつけられたときの傷ですね」
「痛そう……。これ、治るんですか?」
「治らないですよ、ゾンビなんで。痛みがないのが幸いですねー」
ノヴァは何ともないように笑う。
「……レオ騎士団長に」
リブラは視線を下に落とした。
「あ、変なこと考えんなよ。そのとき、オレは魔王軍側だったんだ。レオ騎士団長は職務を全うしただけ」
「わかっています」
リブラは納得がいっていないような顔だった。
「他に傷は?」
「右腕くらい?」
リブラは眉を顰めた。
父親に斬り落とされたノヴァの右腕は、スキルで動かすしかない。
「……そうですか」
リブラはポワソンに目を向けた。
「ポワソン、他に傷があるようだったら、必ず私に報告しなさい」
「ああ、美しき兄弟愛……! 承知致しました!」
ポワソンは頬を赤らめた。
「そんなに信用ねえのかよ……」
ノヴァは不服そうだった。
「ノヴァくんは隠すからね」
イオリは冷静に言う。
暫くして、採寸が一通り終わった。
「採寸は終わりです。お疲れ様でした、ノヴァ様」
「ありがとうございます、ポワソン様」
ノヴァは羽織りに袖を通す。
ポワソンは早速、スケッチブックを開き、デザイン画を何枚か描いていく。
「ポワソン、ノヴァの瞳の色を入れられますか?」
「瞳の色……ああ、素敵な案ですぅ……! そうだ! 小さく天秤座の刺繍を施すのは如何ですかぁ?」
「良いですね。私と兄弟であることをアピール出来る」
ポワソンとリブラはデザインで盛り上がっている。
ノヴァは「あのー……」と恐る恐る口を開いた。
「そんなに凝る必要ないのでは? 着るのはこれっきりなんだし」
「──駄目です!」
ポワソンとリブラ、そして、イオリは口を揃えてそう言った。
「折角の新衣装なんだから、素敵なものにして貰おうよ!」
イオリが叫んだ。
「【星の守護者】と並び立つに相応しい服でなければ、民衆に軽んじられます」
リブラがいつもより早口で言った。
「皆様にお披露目するお洋服なのですから、妥協は許されません! 否! わたくしが許しませぇん!」
ポワソンは鼻息をふんふんと鳴らしながら言った。
三人のあまりの勢いに、ノヴァはたじたじになった。
「ノヴァ様の式典服、必ずや、素敵なお洋服にしてみせますぅ!」
ポワソンはどん、と胸を叩いた。