限界オタクが同人誌を配ってみたら
「それにしても、この〝マンガ〟という文化、小生、大変感銘を受けました。小生のような文弱にも読みやすい、しかし、絵本とは違った、大人でも手に取りやすい形態!」
キャンサーの賛辞に、イオリはうんうんと頷いた。
「小生もマンガを描いてみようかと!」
「先生がマンガを描く!?」
イオリは衝撃を受けた。
「自分は作家だ」と言いながら、一冊も本を仕上げていないキャンサーが、いつになくやる気を出している。
「小生、こう見えて、絵を少々齧ったことがありましてな」
「授業の時も絵を描いて下さいましたね。お上手でした」
「お褒め頂き光栄です。しかし小生、画家を目指すには根気が足らず……。一枚の絵を仕上げる前に、別の絵を描き始めてしまうのですな」
イオリはキャンサーの気持ちがよくわかる。
イオリもよく途中で飽きて、別の話を描き進めてしまうことがよくある。
「それに、小生は物語が紡ぎたかったのです。しかし、小生には字書きの才能も、絵描きの才能も中途半端なもの」
キャンサーは額に手を当てた。
「娯楽小説の考察や画材の物色は好きなのですが、いかんせん、ゼロから全てを作るとなると、何も浮かばなくなってしまう」
「私も一から作っている訳じゃないです。元になったキャラがいて、エピソードがあります。ゼロから全て作れる人は勿論、大尊敬の極み。しかし、二次創作から得られる栄養素があるのも事実」
「栄養素……?」
キャンサーは首を傾げた。
「二次創作はね……原作に狂った人にしか出来ないんです。皆幻覚を見てる。しかし、不思議とね。原作にあったような気がしてくるんです」
──今みたいに。
ノヴァの生存と兄リブラとの和解──本編ではあり得なかったストーリーだ。
まるで自分の妄想が具現化したようだ。
「ええと、つまり、何が言いたいかと言うと……『とりあえず、一作描いてみたら?』って言いたいんです。先生の好きなシーンを一ページ仕上げてみる、とか。十分〝好き〟を伝えられます!」
イオリは無料配布ペーパーの漫画や、SNSにアップされている一ページ漫画を思い浮かべて言う。
「一ページだけ……!? それで伝わるんですか!?」
「色んな人の共感を集めているのを見ますね」
「〝マンガ〟……素晴らしい。小生、一作描き上げられそうな気がしていきましたぞ」
──甘いな、先生。漫画は簡単に見えて、奥が深いんだぞ……。
イオリはニヤニヤと笑う。
一体何目線だ、とイオリは自分でツッコミを入れた。
──でも……。
イオリはキャンサーの顔を見た。
キャンサーはとある奇病を患っている。
そのせいで、長く生きられない。
──キャンサー先生の
名前がこの世界に残るのなら、応援したい!
「キャンサー先生の漫画、楽しみにしてますね。絶対、見せて下さい。約束ですよ!」
「ええ。約束です」
キャンサーは笑みを貼り付けた。
「小生も姉聖女殿の漫画の続き、楽しみにしてますからな」
「あ、え……」
イオリは自分も漫画を仕上げなければならないことをすっかり忘れていた。
「ほどほどに頑張ります……」
イオリは汗をかきながら笑った。
□
イオリは暫く、聖女勉強会と漫画執筆に明け暮れた。
あれよあれよと言う間に、イオリが執筆したアルタイル兄弟の漫画『神官とゾンビのキャロル』の一巻目の漫画は完成し、製本された。
勿論、兄弟のモデルがノヴァとリブラだとバレないように、名前は変えてある。
著者は『シキオリオリ』──これはイオリの同人ネームだ。
翻訳者は『キャンサー』だ。
キャンサーは「作者と名前を並べるなど」と言って拒否してきたが、「キャンサー先生にはアシスタントもして貰いましたし、合同誌ということで」とイオリが押し通した。
やはり、著作者として名前を載せるのには反対し、『翻訳者』として載せることになった。
「僕が関わった本が製本されている……! 感無量だ!」
出来上がった本を見て、キャンサーは興奮していた。
「一人称が『僕』になってますよ、キャンサー先生」
「おっと、失敬。〝腹の内が読めない古風な男〟という小生の人物像がブレてしまいますな」
キャンサーは落ち着きを取り戻したように見えたが、小さく鼻歌を歌っていていた。
──私も初めて作った同人誌が届いたとき、あんなだったなあ。
イオリは温かい目でキャンサーを見つめる。
「キャンサー先生が本を作るとき、私に手伝わせて下さいね」
「良いのですか!? シキオリオリ先生!」
「今回凄く助かりましたし。キャンサー先生と本を作るの、とても楽しかったですから! また一緒に出来たらなって」
「ええ、是非! 約束ですからね!」
キャンサーは楽しそうだった。
「みんなに『僕の名前が本に載ったよ』って自慢しよう……! 欲しい方にはお配りしても良いですよね!」
「友人に配るだけなら……」
「ありがとうございます!」
イオリは油断していた。
キャンサーの交友関係の幅広さを……。
キャンサーはプレセペ商会の子息だ。
社交の場に出ることも多く、交流は幅広い。
それ故、キャンサーの友人は多かった。
しかも、彼の人を見る目は優れていた。
普及した相手は必ず「続きを描いて!」と言い、金を握らせてきた。
そして、人から人へ、噂は伝播していった。
既存の娯楽に飽きた金持ちの貴族が、興味を持ったのだろう。
噂を聞き、『神官とゾンビのキャロル』を欲しがる者が増えていった。
キャンサーは欲しがった者達を〝友人〟として扱った。
そして、本を刷り、適切な代金と引き換えに本を渡した。
イオリの漫画『神官とゾンビのキャロル』は淑女の間で俄かに人気となった。
知る人ぞ知る創作物。
キャンサーの伝手がなければ手に入らない貴重な本として。
コアなファンが出来た。
それは、男性同士の絡みに興奮を覚える同志達、または、兄か弟が推しになった者達である。
そして、彼女達は噂する。
「『神ゾン』見まして!?」
「神官の兄はリブラ様がモデルでしょう! 眼鏡をかけた無愛想な神官は、リブラ様に違いありませんわ!」
「確かに、リブラ様は行方不明の弟君を探していらしたわ。まさか、ゾンビになっていたなんて……。とても苦しんだでしょうね……」
「まさか、そのゾンビ……。リブラ様が連れて来られたゾンビのことなのでは……!?」
「このお話……もしかして、実話!?」
「こんなとき、どう言えば良いか、作者様が後書きで言っておりましたわ」
彼女らは口を揃えていった。
「〝尊い〟……!」
そんなことになっているとは露知らず、イオリは続きを伸び伸びと描いた。
キャンサーは淑女の間で流行していることについて、何も言わなかった。
そして、『神官とゾンビのキャロル』が完結する頃には、とんでもない金額のお布施が集まることになる。
キャンサーはそれを伝え、イオリが卒倒することになるのは、まだ先の話だ。