マラートヴィチ=アクショーノフ
ピザにチキンにポテトにと、残してしまわないか心配だったが、私とアンリは綺麗に平らげてしまった。そんな創業祝いの後始末をしながら、アンリは私に問いかけた。
「さて社長、人財はどのように募る?」
「そうだなぁ、ビラ配りとか?」
私が答えると、アンリは首を横に振った。
「もっと効率的かつ効果的な方法がある」
「何さ?」
「スカウトさ! 優秀な人財を集めるならスカウトに限る!」
なるほどと思った。私も生前自分の市場価値を知るのに転職サイトに登録したことがあったが、いくつかの企業からスカウトが来たことがあった。その印象から、スカウトはハイキャリア向けかと思っていたが、なるほどインターン生をスカウトするというのもアリなのかもしれない。
「スカウトか。いいね。でもどんな人財が必要かな?」
「まず口が立つ人だな。その人にスカウトを手伝ってもらって、ゆくゆくは営業として頑張ってもらおう。それから法律に詳しく感情に流されない人だな。その人には法務として社内のコンプライアンスの向上と対外トラブルの解決を担当してもらおう。あとは食品を扱うんだから、食品衛生責任者の資格を持っている人がいれば良いんだけど」
「学生で取れるものなのか?」
「栄養学を専攻している学生なら取ってる人もいると思うけどな」
それを聞いて私は考える。アンリの言うことは全て希望的観測だ。しかし新規事業を始める時には、それに頼ることも必要だ。アンリが帆を上げ、私が舵をとる。そう考えると、案外このコンビは名コンビなのかもしれない。
「よし、じゃあキャンパスに行こう!」
「そうだな!」
私たちは連れ立って帝立ピンカーブリッジ大学の寮を発ち、キャンパスへと足を向けた。
外は夏の日差しが容赦なく降り注いでいた。仰げばどこまでも高い青空に、白くもくもくとした入道雲。まるで私たちの門出を祝福してくれているかのような空模様だった。
「さて社長、まずはどこへ行く?」
校門を通り過ぎたところでアンリは問いかける。その答えは既に決まっていた。
「ディベート部の部室だ。口が立つと言ったらやっぱりディベート部だろ?」
「さすが!」
私たちは目くばせしあい拳を合わせた。今胸の中には希望がある。あとはこの希望をどれだけ多くの人に伝えられるかだ。
サークル会館の扉を開け、階段を上る。ディベート部の部室は二階だ。やがて私たちは部室の前にたどり着く。部室の外の壁には各大会のMVPと思われる学生の名前が掲示されていた。その中で、度々MVPに輝いている人物の名前が目に留まった。マラートヴィチ=アクショーノフ。彼はどんな人だろうか。顔は? 服装は? 人柄は? どんな第一印象で現れるだろうか。期待と不安を胸に、私は部室のドアをノックする。
「どうぞー」
返事はすぐに来た。
「失礼します」
一声かけて、私とアンリはディベート部の部室のドアを引いた。
部室の中には10人ほどの学生がいた。学生にしては皆身なりが整っている。良い議論は良い服装からということだろう。それに合わせて、私は礼儀正しく挨拶した。
「文学部人文学科のウィナー=クリアウォーターです。こちらは経営学部経営学科のアンリ=ルフェーヴル。私たちはこの度起業することにしまして、それに際しぜひディベート部のエース、マラートヴィチ=アクショーノフさんにお声がけできればと思い来ました」
「部長のアンです。あいにくマラートヴィチは図書館で資料集め中です。でもその起業の話、私たちにも詳しく聞かせていただけますか?」
赤髪の女子生徒が一歩前に出て答える。声を聞く限り、ノックに返事をしたのは彼女のようだ。私は駅弁の何たるかから説明し、私たちがそれを広めようとしていること、グロース鉄道のリーザ=ハーバーマスから期待を受けていることなどを話した。学生たちは時折顔を見合わせながら、真剣に私たちの話を聞いてくれていた。話し終えるとアン部長は微笑んで言った。
「なるほど、面白そうですね。最後に入るかどうかを決めるのはマラートヴィチです。が、私たちからも条件を出させてください」
「なんなりと」
アンリが答える。私は緊張してアン部長の次の言葉を待った。はたして彼女の出した条件は、部長としては至極当然のものだった。
「マラートヴィチは我が部のホープです。業務は部活に支障のない範囲でお願いします」
「そういうことでしたら、最大限配慮します」
私が答えると、アン部長は右手を差し出した。私はその手を握る。やがてその手を放し、アン部長は笑顔を向けて問いかけた。
「それで、我が部の中であなた方の事業に興味を持った学生が現れた場合選考してもらえますか?」
「今回はマラートヴィチさんをスカウトするにとどめます。しかし事業が軌道に乗った際は是非ディベート部からの応募を受け入れたいと思います。もちろん、選考過程や待遇で優遇しますよ」
私の代わりにアンリが答える。優遇の部分については彼なりの考えがあってのことだろう。アン部長は満足そうに笑った。
その時ガラリと扉の開く音がした。振り向くと、腕と足を震わせながら山積みの本を抱える男子学生が立っていた。
「役立ちそうな資料集めてきました! あれ? そちらの方々は?」
2mはあろうかという高身長に、こめかみから上に伸びた立派な角、人の好さそうな笑顔が好印象だった。私は早速自己紹介から始める。
「私はウィナー=クリアウォーター。こちらはアンリ=ルフェーヴル。ともに帝立ピンカーブリッジ大学の学生です。この度起業することにしまして、それに際し、マラートヴィチ=アクショーノフさん、あなたをスカウトしに来ました」
「スカウト?」
マラートヴィチの眼光が鋭くなる。彼はこれから我々の事業や就業条件を見極めるのだろう。私は事業内容についてできるだけ魅力的に伝えるように努めた。
「我々が提供するのは『駅弁』です。『駅弁』というのは地域の名物を彩りと栄養バランスよく詰めた弁当のことです。駅弁があることによって旅の楽しみが増えます。また、オリジナリティの高い美味しい駅弁を売り出すことによって、それが旅の目的にもなり得ます。我々は『舌で感じる旅情の提供』をミッション、『駅弁を新たな食文化に』をヴィジョン、『品質』『ご当地感』『手軽さ』をヴァリューとして、旅客に選ばれる駅弁を提供していきます」
「それで、私の就業条件は?」
マラートヴィチの質問にはアンリが答える。
「あなたには最初は設立メンバーのスカウトを担当していただきたいです。メンバーが揃ってからは営業の仕事でディベートの経験をいかんなく発揮していただきたいです。最初はインターンという扱いですが、事業が軌道に乗ればもちろん正社員として採用します」
「今一つ魅力を感じないな。もっと魅力的な提案ができるはずだ」
マラートヴィチはにやりと笑う。さすがディベート部のエース、一筋縄ではいかない。でもだからこそ、この人財は逃したくない。アンリもそれは同じなのだろう、一歩踏み込んだ提案をする。
「正社員になった暁には即営業部長として活躍していただきたいです。小さな会社ですが即幹部というのはなかなかない待遇だと思いませんか? もちろん、インセンティブもつけます」
「いいね。もう一つ条件がある」
「なんでしょう?」
「将来的には役員に任用することを約束してほしい」
周囲がざわついた。大きく出たなと思う。アンリは私の方に振り向いた。私は考える。彼が経営に関してどれだけ知識と技能を持っているかは未知数だ。しかしそれは我々二人も同じこと。それにもし彼が誤ったとしても、それは多数決の取締役会で修正すればいい。元々役員は複数必要なんだ。そう考えると、答えは自ずと出た。
「いいでしょう。よろしくお願いします」
私が手を差し出すと、マラートヴィチは笑顔で手を強く握った。次いでアンリとも握手を交わす。ディベート部の皆が拍手を送った。こうして一人、有力なクルーが加わった。