設立! 株式会社駅弁商会
明朝アンリと朝食を食べていると、彼は唐突にこんなことを言い出した。
「今日はキャンパスにでも行ってみるか」
私は窓の外を見遣る。昨日と同じくらいか、それ以上に気持ちの良い晴空が広がっていた。
「いいな。ちょうどキャンパスの様子も気になってたんだ。天気もいいし、絶好の散歩日和だな」
「バカ違うよ。人集めだよ」
最初アンリが何のことを言っているのか分からなかった。しかし、考えていくうちに昨日のことが思い出され、ようやく紐づいた。
「ああ〜!」
「はぁ〜。キミって奴は本当に……」
アンリは呆れたようにため息を吐く。私はついつい必死になって弁明してしまう。
「違うんだ! ただ、あまりにも唐突だったもんで……。それで人集めだったな。どうしてキャンパスでやるんだ?」
「いいか? スタートアップが成功するかどうかはどれだけ優秀で熱意のある人財を集められるかにかかっている。その点帝立ピンカーブリッジ大学の学生は優秀で向上心がある。あとは仕事に対する愛着を持ってくれればこの上ない人財になるぞ」
「でもちょっと待ってよ。人財は集めた後が問題だよ。私としては高い給料でもてなしたいところだが、給料の分はおろか、事業を始める資金もない」
私が指摘すると、アンリは自信満々に笑って答えた。
「安心しろ、考えがある。資金は株式を発行して調達するとして、給料は当面の間インターンという扱いにして節約することにしよう。もし事業がうまくいけば、その時に高待遇の正社員にすればいい」
「そううまくいくもんかね」
「ウィナーよ、社長の仕事は事業の成功を心から信じ、そのために努力することだぞ」
「社長……」
それは甘美でいて、同時に身の引き締まるような響きだった。アンリは何度も頷く。
「そうだクリアウォーター社長。そして俺、アンリ=ルフェーヴルは副社長兼経理部長。俺の仕事はキミのことを様々な面で支えることだな。さて、社長。早速だが、社名とロゴとミッション・ヴィジョン・ヴァリューを考えようではないか!」
「決めることが多いな!」
「ああ。だが会社の軸となるものだ。午前中は寮の部屋でじっくり考えよう」
「ああ!」
夢が形をもつべく動き出した。それはとても不安で、でも同じくらいワクワクもあって、私は青春の感覚を思い出していた。
* * *
そういうわけで、朝食を終えて私はアンリと寮の部屋に戻ってきていた。アンリは紙とペンを手にデスクに向かい、俺に問いかけた。
「さあウィナー、社名はどうする?」
「そうだなぁ。『駅弁』の単語は入れたいなぁ。『駅弁商会』というのはどうだろう?」
俺が答えると、アンリは笑顔で頷いた。
「そうだよ! その『入れたいもの』というのが会社の軸なんだ! 名前は『株式会社駅弁商会』だな。じゃあ次はロゴだ」
私は顎に手を当てて考える。ロゴは会社のイメージを非言語的に訴えかけるものだ。私は駅弁のある旅をイメージしてみた。美しい車窓と彩り豊かな駅弁。今度はそれを抽象化してみる。
「こういうのはどうだろう?」
私は紙に色鉛筆を走らせる。左側には窓をイメージした左辺を長辺とする空色の台形。右側には駅弁の箱をイメージした茶色い枠の平行四辺形の中に、白い正三角形、緑の菱形、赤い丸を入れた。
それをアンリは後ろから覗き込み、感嘆の声を上げた。
「美しい車窓を見ながら美味しい駅弁を食べる! それがキミの理想なんだな!」
「分かってくれたか! じゃあロゴはこれでいこう!」
「じゃあ次はミッション・ヴィジョン・ヴァリューだな」
そう、これらが一番大事な上に一番難しいのだ。言葉一つで組織風土も対外的なイメージもがらりと変わってしまう。私はアンリに助けを求めた。
「経営学部生としての意見を求めたい。まずそもそもミッション・ヴィジョン・ヴァリューってどういうものだっけ?」
「ミッションは企業の存在意義だな。俺らでいうと、なぜ株式会社駅弁商会が存在しなきゃならないのかを端的に表すんだ。ヴィジョンはそれを実現するための中長期的な目標だ。ヴァリューはそれらを実現するための手法だな。従業員の行動指針ともなりうる」
「なるほど」
アンリの解説を受けて考えてみる。
「となるとミッションは、『舌で味わう旅情の提供』かな。ヴィジョンは決まってる。『駅弁を新たな食文化に』だ。問題はヴァリューだなぁ」
私は頭の後ろで手を組み背もたれに身体を預けた。そんな様子を見てアンリは助言をくれた。
「ヴァリューは別に単語でもいいんだぜ? ウィナーが社長として大切にしたい価値観を並べてみたらいい」
「うーん、そうなると……、『品質』! それから『ご当地感』! あとは……、『手軽さ』! かな?」
私が自信なくアンリの方に向くと、彼は笑顔で頷きながら拍手をくれた。
「素晴らしい! 良いと思うよ。よし、昼は創業祝いと景気付けを兼ねてピザでも頼もう! チキンとポテトとサイダーもつけるか! 腹一杯食って午後は人財集め頑張ろう!」
アンリは小躍りして電話機に向かい、ピザ屋に電話を掛ける。そんな彼を見て、私も嬉しくなるのだった。
11時半ごろ、寮の入り口にピザが届いた。私とアンリは手分けして届いたものを寮の部屋に運び込んだ。アンリは手際良くサイダーをグラスに注ぐ。
「じゃあ株式会社駅弁商会の創業を祝して、乾杯!」
アンリは本当に楽しそうにグラスを鳴らした。思えば私が勝手に言い出したことなのに、彼は心から楽しそうに協力してくれている。それを思うと、私は彼を生涯の友として大切にしなければと心の内で強く思うのだった。