初めての食事
アンリに誘われて、朝食は近くのティールームで摂ることにした。道には石畳が敷かれており、馬車が行き交っていた。街並みは美しい木組みの建物が並んでいた。大通りに面したこの店は、白を基調とした外観で、窓のそばには花も飾られ、可愛らしい印象を受けた。店の名前はティーサロンリーガ。
広い店内は多くの客で賑わっていた。内装は黄緑と白で若々しさが感じられる。木製のテーブルと椅子は木の温もりが感じられた。店員に席に通され、私はアンリの向かいに腰を下ろした。
席に着くなりアンリはメニューを手に取り、こちらに差し出した。
「見るかい?」
そう問いかける彼の笑顔には、ちょうど今の天気のような爽やかさがあった。
「ありがとう」
私はメニューを受け取り、開いて目を落とす。そこで私は改めて異世界に来たことを痛感させられた。書いてあるのは紅茶の種類だろうと思われるが、どれがどんな風味なのか全く見当がつかない。思い返せば生前の世界の紅茶は、多くは生産地の名前で呼ばれている。だが、その生産地はあくまで生前の世界に存在したものだ。この世界には、ダージリンもアッサムもセイロンも存在しないのだ。
「なんだ、今日はやけに悩むな。それとも地理学専攻は生産地に思いを馳せるのかな?」
揶揄うような眼差しでこちらを見るアンリ。彼はまさか私が転生してやってきただなんて夢にも思うまい。私はあくまで平静を装って答えた。
「そうなんだよ。茶葉はそれぞれの気候や地形に合わせて工夫して栽培されているからね。それに思いを馳せるとどうしても迷ってしまうのさ。今日は君のおすすめを飲むことにするよ」
「そうだなぁ。ルシェブルなんかどうだ? すっきりしてて飲みやすいから、朝にはぴったりだと思うぞ」
彼は妙にニヤニヤしながら勧める。なんだろう、何か仕掛けられている気がする。だが何が仕掛けられているかは、引っ掛かってみないと分からない。それに店で変なものは出されないだろう。何より、今私が頼れるのは目の前のアンリだけなのだ。私は腹を決めた。
「そうなのか。じゃあそれにするよ。フードメニューはあるかな?」
それを聞いた途端アンリは目を見開いた。私は何か変なことでも訊いただろうか。そう不安を覚えたが、アンリの表情はすぐに微笑みへと変わった。
「おい忘れたのかよ。ここはモーニングをやってるから、11時までは飲み物を頼むとノベラーロがセットでついてくるんだ」
「そっか、そうだったな! 忘れてたよ」
ノベラーロとは何かという疑問は呑み込んで適当に話を合わせつつ、改めてメニューに目を落とす。ルシェブルの価格は4ウンス80スぺ。ということはおそらく1スぺが1円とほぼ等価で、それが百集まると1ウンスになるのだろう。それに朝は何かフードがついてくるのだから、さすが学生街のティールーム、破格だ。
注文が決まったところでアンリは店員を呼ぶ。呼ばれた店員は太陽のような笑みを浮かべてやってきた。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」
「ええ。ルシェブルを二つお願いします」
「ルシェブルをお二つですね! ミルクと砂糖はいかがされますか?」
「結構です」
「ありがとうございます! ゆっくりとお寛ぎください」
店員はペコリと頭を下げると、にこやかな笑みを残して去っていった。それだけでこの時代のこの国がどれだけ文明化されているかが分かった。
やがて先ほどの店員がティーポットとカップアンドソーサー、ベーグルサンドの載った皿を持ってやってきた。
「お待たせいたしました! こちらルシェブルとモーニングサービスのノベラーロでございます」
ノベラーロとはベーグルサンドのことのようだった。配膳の時も音を立てることもない。この店の店員はよく訓練されているらしい。
店員は再びお辞儀をして去ってゆく。私は早速この世界に来て初めての食事を楽しむことにした。
まずは目と鼻で楽しむ。ベーグルは小麦色に焼き上げられ、見るからに美味しそうだ。焼きたてのデンプン由来の良い香りも食欲をかき立てる。上段のベーグルをめくるとルッコラとトマトと生ハムとチーズが挟まれていた。栄養バランスが良いだけでなく見た目にも鮮やかだ。
ルシェブルと呼ばれている紅茶をカップに注いでみると、水色は濃い赤茶色をしており濃厚そうだ。カップを顔に近づけるとほのかにカラメルのような香りが感じられた。
と、ここまで楽しんでいたところで視線を感じた。顔を上げると、アンリが怪訝そうな目を向けていた。その顔を崩すことなくアンリは問いかける。
「何してるんだ?」
「いや、ただ単に食事を五感で味わってただけさ」
「ふうん……」
彼は思案顔で紅茶を啜る。私はそんなに変なことをしただろうか? だが、それ以上彼は何も言わないので、私も食事に集中することにした。
まずは紅茶を一口口に含む。渋みは少なく、ほのかに黒糖のような甘味が感じられた。飲み込む。後味はすっきりとしていて、確かに朝に飲むのに相応しい一杯だ。生前の世界で例えるなら、セイロンのルフナが近いだろうか。
次にベーグルを口に運ぶ。ルッコラの辛味、トマトの酸味、生ハムの塩味は確かに効いてるが、乳製品特有の甘味を持っているチーズがそれを受け止めている。味のバランスがよく、無料で出すのは勿体無いくらいの一品だ。
そして再び紅茶を飲む。渋みが少ないので飲みやすく、すっきりした後味は口の中を爽やかにしてくれるように感じられた。
「この店いいな。紅茶もノベラーロも美味い! 特にノベラーロ、このクオリティでサービスしてくれるなんて素晴らしいよ。ルシェブルも渋みは少ないし後味はすっきりしてるし飲みやすいな」
そうアンリに話しかけると、彼は食べていたベーグルサンドを置き、真剣な眼差しで言った。
「なあウィナー、今日リーガのメニューを見ていた時から思ってたんだけどさ」
その真剣な声色に私は固唾を呑んだ。彼は身を乗り出しこう問いかけた。
「まさかキミ、魔女に拐われたのか?」
「え?」
耳に入った言葉が脳の理解を追い越していった。




