プロローグ1 最期の旅
秋の行楽シーズンはどこも賑わっている。それは普段空席が目立つ北海道新幹線も変わらない。三三五五と並ぶ家族連れと思われる旅客は、高速で流れてゆく車窓には目もくれず、楽しげに談笑している。
そんな中独り静かに車窓を楽しむ私は清水勝雄。伝統ある阪急百貨店の催事担当の責任者をしている。百貨店の催事担当を希望したのは、鉄道旅とご当地グルメが好きだからだった。全国に出向き、そこで美味しいものに出逢い、お客様の元に届けるこの仕事はまさに天職だ。
今回新幹線で移動しているのも観光目的ではない。来る冬の全国駅弁フェアに向けて商談の真っ最中なのだ。午前中は仙台駅で牛たん弁当やはらこ飯などの駅弁を販売しているこばやしさんと商談を行い、午後ははやぶさ23号で北海道入りし、宿のある函館を目指している。アナウンスが終着駅である新函館北斗駅への接近を告げる。景色は函館山が後方に流れ、七飯町の田園風景が見えてきたところだ。私は商談の資料の入ったカバンを手にデッキへと向かった。
* * *
函館駅へと向かうはこだてライナーは鮨詰め状態だった。新幹線の利用者の多くは札幌行きの北斗に乗るのだが、北海道の一大観光地である函館に向かう人も少ないはずがない。身動きの取れない車内で、それでも再前方のスペースを確保できたのは幸運だった。ここなら前面展望が楽しめる。
列車は五稜郭駅を発ち函館の市街地を駆ける。自動放送は函館駅への接近を知らせる。列車はそろそろ速度を落とす頃合いだ。
だが、速度は一向に落ちる気配がない。運転士は何やら車掌とやり取りしているようだった。直後、努めて平静を装った声色のアナウンスが流れてきた。
「前方の車両のお客様、どうぞ慌てず後方の車両へと移動をお願いします。只今運転士よりブレーキが故障したとの連絡を受けました。前方の車両のお客様、くれぐれも慌てず、後方の車両へと移動をお願いします」
長い三分間が始まった。
ここで解説すると、函館駅は頭端式、すなわち行き止まり式のホームになっており、線路の先は駅舎である。つまり、止まり切れなかった場合列車は駅舎に突っ込むことになる。
乗客の安全を確保するための放送は、しかし、鮨詰めの車内にパニックをもたらすだけだった。叫び声が響く。身動きの取れない乗客たちは、それでも急いで後方へ移動しようと、他の乗客を押す。となると当然起きるのは群衆雪崩である。
その様子を私は、どこか冷静に眺めていた。そう、ここに逃げ場などない。待つのは死。であればやりのこしたことは何だろうか。こばやしさんとの間で取り交わした書類は会社のドライブの方に上げてある。そうだ、報告と引継ぎだけは行わなければ。私は社内チャットを開き、簡単に報告と依頼を上げた。
「鉄道での移動中事故に遭いました。北海道地区について日程と担当者の調整をお願いします」
さて、これでやり残したことは何もない。いや、全くないわけではない。阿部商店さんの森駅のいかめしや長万部駅のかなやさんのかにめし、母恋駅の母恋飯本舗さんの母恋飯などの北海道の駅弁をこの舌で味わいたかった。それらをお客様のところに届けたかった。そして今年も駅弁フェアの成功を見届けたかった……。
だが、言っても仕方のないことだ。私は覚悟を決める。分岐器の上を通過するたび列車は左右に大きく揺れた。列車は函館駅特有の緩やかなカーブを描くホームに入り、やがて眼の先には車止め、その先に駅舎が迫ってきた。既に連絡が行っているのだろう、ホームにも駅舎にも人の姿はない。犠牲は乗務員と乗客だけで済むということだ。列車は速度を落とすことなく終端へと近づく。私は、ゆっくり、目を、閉じた……。